この6月にはいま大飯原発の再稼働問題が政治問題化している関西電力の株主総会が開かれます。その同社の保有する全11基の原発を「可及的速やかに廃止する」という全原発廃止提案を含む株主提案を関電の株主総会にぶつける予定の同社の筆頭株主である大阪市(橋下徹市長)の「関西電力株式会社株主提案内容(案)」がこのほど明らかになりましたが、その大阪市の関西電力に対する株主提案について関西大学経済学部教授の森岡孝二さんが若干の論評をしています。是々非々の立場からの全体的に好意的な論評といってよいでしょう。

大阪市の関西電力に対する株主提案について(森岡孝二 働き方ネット大阪 2012年4月11日)

しかし、私は、この森岡さんの橋下「全原発廃止提案」に全体として好意的な論評には、「脱原発」という課題に限っても、橋下ポピュリズムの本質を見極める上でゆるがせにすることができない難点(オポチュニズム=楽観主義)といってよいものが含まれているように思います。

東京造形大学教授の前田朗さんが森岡さんの上記論評に関する感想を私に振ってきたのを契機にしてこの問題に関する私見を若干書いてみました。前田さんの振りとは次のようなものでした。

「(森岡さんの論評に)追加するとすれば、橋下氏は株主総会で勝負しようというのではなく、意識的に選挙スローガンとして打ち出していることでしょうか。/なお、ML上で私と東本さんとが議論をしていました。その際の私の説明が不足していて、すれ違っていましたが、森岡さんの分析には東本さんも納得されるのではないでしょうか。」(市民社会フォーラム 2012年4月12日付)

なお、メーリングリスト上での前田さんと私の議論とはおおよそ次のような議論を指しています。

三度、飯田哲也氏の「脱原発」主張の評価について――前田朗氏の反論に再度応える(弊ブログ 2012年4月9日)

以下、森岡孝二さん(関西大学経済学部教授)の上記論評に対する私の若干の感想です。


前田さんの「橋下氏は株主総会で勝負しようというのではなく、意識的に選挙スローガンとして打ち出している」というご認識、また森岡さんの「脱原発の世論を国政進出の追い風に利用とする『橋下・維新の会』の政治的意図がある」「橋下氏と維新の会の財界よりの新自由主義的な政治姿勢との整合性は明確でなく、今後、財界からの反撃が強まると、腰砕けの骨抜きになっていく懸念があ」る(注1)というご認識には賛成ですが、森岡さんの「(大阪市の株主提案は)よく練られていて筋が通っています」(同左)というご認識はどうなんでしょう? 少し疑問が残ります。


注1:大阪市の関西電力に対する株主提案について(働き方ネット大阪 2012年4月11日)

森岡さんのコメントも掲載されている4月11日付けの読売新聞の「関電は『原発全廃、取締役半減を』大阪市の株主提案決定」という記事(注2)には「株主提案では、自然災害やテロなどについて万全の対策を実施することを前提に、当面の原発稼働を容認する一方、将来的な原発全廃の方向性を打ち出した」とあります。また、4月9日に開催された第4回大阪府市エネルギー戦略会議に提出されたという「関西電力株式会社株主提案内容(案)」という資料にも「原子力発電所を稼働」する条件として(1)絶対的な安全性の確保(注3)(2)原子力発電所の事故発生時における賠償責任が本会社の負担能力を超えない制度の創設(3)使用済み核燃料の最終処分方法の確立という3つの条件が記載されています(注4)。要するに「万全の安全対策を講ずること」を条件に原発再稼働を認める、という株主提案になっています。

注2:関電は「原発全廃、取締役半減を」大阪市の株主提案決定(読売新聞 2012年4月11日)
注3:NHKニュース(「大阪市 関電への株主提案を決定」(2012年4月11日15時53分)によれば、「絶対的な安全性の確保」という表現は「論理的に想定されるあらゆる事象について万全の安全対策を講ずること」と修正されたということです。
注4:関西電力株式会社株主提案内容(案)

しかし、原発の存在自体が危険だというのは脱原発を主張する人たちの共通した認識といってよいものです。その原発の再稼働を条件付きであれ認めるという株主提案をどうして「よく練られていて筋が通ってい」るなどと評価できるでしょうか? それが森岡さんのご認識に対する第1の私の疑問です。

第2の疑問は、大阪市の今回の関西電力に対する株主提案を「原発全廃を求めて行う株主提案」(注1)と上出の「大阪市の関西電力に対する株主提案について」の第一行目に疑いもなく言う森岡さんのご認識に対する疑問です。

たしかに上述の株主提案の第4番目の提案には「 本会社は、脱原発社会の構築に貢献するため、可及的速やかに全ての原子力発電所を廃止する」という定款の条文追加(第45条2項)の提案が含まれています。しかし、ここでも次の同条第3項には「原子力発電所が廃止されるまでの間においては、(略)必要最低限の能力、期間について原子力発電所の安定的稼働を検討する」という原発再稼働を認める項目が周到に追加されています。その提案の全体を「原発全廃を求めて行う株主提案」と評価できるでしょうか? 私はできない、と思います。

ここまでの第2の疑問は第1の疑問の重複といってよいものですが、ここでの問題、すなわち第2の疑問で私が提起している問題は、大阪市の「原発全廃を求めて行う株主提案」は実は東京都の猪瀬直樹副知事と昨年12月に橋下氏が会談した際に事前に合意されていた筋書きに基づく提案でしかない、ということです(注5)。

注5:「橋下氏と共闘し電力会社の『体質』に切り込む」猪瀬直樹・東京都副知事に聞く(日経ビジネス 2012年4月10日)。ここで猪瀬氏は次のように発言しています。「東電の経営体質を変えるようモノを言えるのは、東京都しかない。一方、関西電力については橋下市長にやってもらう。/特に、関電は事故を起こしたわけではないだけに、『原発廃止』ぐらいのことを打ち上げないと、関電をテーブルに着かせることはできない。そうした戦術を昨年12月に橋下市長と会談した際に決めている」。

このことはなにを意味するのか。

猪瀬氏の上司の石原都知事が原発推進論者であることは有名ですが、石原氏はその原発について次のように語っています。「恐怖は何よりも強いセンチメントだろうが、しかしそれに駆られて文明を支える要因の原発を否定してしまうのは軽率を超えて危険な話だ」(注6)。また、大飯原発の再稼働についても、「政府は情報を緻密に持っている。行政の最高責任者の政府が検討して判断したことを誰が否定できるのか。これを是としないと、いったい誰がどうこの国を動かすのか。私は是とする」(注7)と語っています。その石原氏の腹心の部下である猪瀬氏の言う「原発廃止」は所詮ポピュリズムのパフォーマンスとしての「原発廃止」でしかないことは政治文脈上明らかというべきものです。その猪瀬氏と「戦術」を練った上での橋下氏の「脱原発」のぶち上げであってみれば、その「脱原発」政策も大いに疑ってしかるべきだ、と私は思うのです。事実、橋下氏及び橋下ブレーン(大阪府市統合本部特別顧問の面々)のぶち上げる「脱原発」株主提案は再稼働を認める「脱原発」のたぐいにしかすぎないことは上記に見たとおりです。

注6:石原慎太郎 原発に関するセンチメントの愚(産経新聞 2012年2月6日)
注7:維新政治塾に注目 原発再稼働「政府の判断、是とする」石原都知事(産経新聞 2012年4月6日)

さらにその株主提案の再稼働容認の3つの条件のうちのひとつの「原子力発電所の事故発生時における賠償責任が本会社の負担能力を超えない制度の創設」という条件は前エントリで指摘しているとおり「人の尊厳と生命の値段は『会社の賠償責任負担能力』の範囲内で量り売りされる程度のものでしか」なく、「人の尊厳と生命」「よりも株主利益を保守することの方が重要、と言っているに等しい資本の論理丸出しの認識といわなければならないものです。原発事故被害者に対する損害賠償については、下記の日弁連の意見書(注8)も指摘しているように本来、電力会社の現有資産をすべて吐き出した上での上限の定めのない損害賠償が大原則でなければなりません。それが人命を尊ぶという意味でのせめてもの償いということでもあるはずです。それを「会社の賠償責任負担能力」の範囲内などと関電の定款に謳わせようとする。その彼らの倫理意識、いや反倫理意識も私には我慢がならないのです。

注8:東京電力株式会社に対する「資金の交付」による支援の中止を求める意見書(日弁連 2011年12月15日)

私には大阪市の今回の株主提案が「よく練られていて筋が通ってい」るものとも、「原発全廃を求めて行う株主提案」とも思えません。この大阪市の株主提案を「一歩前進」とはいうべきではない。もっと根底的な批判が必要である、というのが私の認識です。そうしなければ原発の再稼働は既定の事実のようになってしまうでしょう。そうした懸念を私は強く持ちます。
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