市街地の中心部にある普天間基地


しかし、そうしたわが国のメディア一般、「革新」メディアの姿勢とは明らかに一線を画し、沖縄発の良質な論を発信し続けている人に沖縄在住の芥川賞作家の目取真俊さんがいますが、その目取真さんにして、戦後一貫して「沖縄に米軍基地を集中させてきた」日本人への怒りとしてはもちろん正当な怒りであり、私たち「本土」人としてはその沖縄の怒りを黙して肯んじるほかないのですが、ときにその沖縄の怒りを共同体主義的なルサンチマンとして日本人=ヤマトゥンチュー総体に向け(その「多く」は、と目取真さんは言っているのですが)、沖縄への差別者として批判することがあります。その目取真さんの日本人批判は繰り返しますが正当です。そして、その論が正当な批判であることを前提にして言うのですが、日本人なるものを十把一絡げにして断罪する彼の「理念」あるいは「情念」は誤っていると思います。誤っているというばかりではなく、その彼の「理念」は私が先に述べた「新種の仲井真擁護論」者に秀逸な「理念」を提供する結果になっています。それが私の見るところです。そして、彼の意図に反して、です。私の第3の危惧は残念ながら目取真俊批判とならざるをえません。

目取真さんは言います。

「沖縄問題」に関して熱心に論じる日本人=ヤマトゥンチューは多い。しかし、それらの人たちは沖縄を「問題」化させている『日本=ヤマトゥ問題』に関して、どれだけ論じているか。沖縄に米軍基地を集中させてきたのは、日本人の多数意思によるものだ。自分が生活している地域でそのことを問い、論じ、変える努力をしないで、沖縄県知事選挙について訳知り顔に論じるのは、恥ずかしいことではないのか。

自分たちが住んでいる地域で米軍基地を引き受けたくない、というのであれば日米安保条約を否定すべきだ。日米安保条約を肯定するというのであれば、それに伴う米軍基地の負担を自らの住んでいる地域で担うべきだ。沖縄に米軍基地を集中させることで、日米安保条約について自らの問題として考えることなく過ごし、憲法9条を守ろう、と言いながら日米安保条約の問題には向き合わない。岩国や厚木、三沢など沖縄と共通の課題を抱える地域を除けば、大多数の日本人は日米安保条約の問題を他人事のようにしてすませている。/沖縄で高まっている不満や怒りは、鳩山政権や菅政権の裏切り、政治姿勢に対してだけではない。日米安保条約の問題に向き合おうとせず、沖縄に基地を押しつけて当たり前のように過ごしてきた日本人全体に対する不満であり怒りである。誰が勝つかに注目する前に、日本人はそのことに目を向けるべきだ。
(「沖縄県知事選挙で日本人に問われていること」 海鳴りの島から 2010年11月28日付) 

何度も繰り返しますが目取真さんの批判は正しいのです。しかし、私は目取真さんの批判は日本人=ヤマトゥンチュー総体を「沖縄への差別者」として批判するあまり、「本土」人との連帯の視点に欠けるところの多い論になっているように思います。その視点の欠落が「東京の政治エリートがつくりだす構造的差別」論者の「新種の仲井真擁護論」にとっておきの「理念」として利用される瑕疵となっている、というのが私の目取真論攷に対する判断です。私は目取真論攷の瑕疵と思われる点について9か月ほど前に若干の批判を書いたことがあります(弊ブログ 2010年3月14日付)。その私の意見はいまも変わっていません。同論を下記に再説して一応この稿を閉じます。

……………………………………………………………………
「それは現在行われている普天間基地の『移設』先をめぐる議論を見ても明らかだ。総論賛成だが各論反対、といういつものパターンが繰り返され、沖縄の『負担軽減』は必要だが、自分たちが生活する地域に『移設』して負担を担うのは反対だ。『国外移設』では米軍による抑止力が失われるので、沖縄県内での「移設」=たらい回しをやればいい、という論法がまかり通っている。」(「NHK『日本の、これからいま考えよう日米同盟』を見て」 海鳴りの島から 2010年3月13日付)

目取真さんは、「沖縄の『負担軽減』は必要だが、自分たちが生活する地域に『移設』して負担を担うのは反対だ」というヤマトゥに住む日本人の主張に地域エゴイズムの思想を見出しているように見受けられますが、たしかにそういう思想の持ち主は少なくありません。いや、そういう思想の持ち主の方が「世間」という現実においては残念ながら多数派だと見てよいでしょう。

しかし、地元移設に反対する人々の思想及び論理は、そうした地元エゴイズム一色に還元されうるものでは決してありません。地元移設に反対する人々の思想及び論理は、もう一面において、あってはならない侵略の拠点はどこにもあってはならない。普天間基地の無条件の即時閉鎖・撤去と辺野古移設断念を求める、という安保条約制定の時代から長年にわたって確固とした思想を構築してきた市民の主張の謂いでもあるはずなのです。その主張には平和を希求し続けよう、という篤い志はあっても、地元エゴイズムの思想は皆無というべきです。そのふたつの思想と志の違いを混同することがあってはならないだろう、と思うのです。

また、沖縄の人々も、沖縄に米軍基地が集中していることの痛みをヤマトゥに「移設」しようなどということは決して望んでいないようにも思います。すでに述べていることの繰り返しになりますが(CML 003280)、先日私の地元の有志7人が沖縄各地を激励訪問したとき、北谷町砂辺の自治会長さんは次のようにおっしゃったといいます。「『痛みを他の人に分ける』というようなことは、痛みを持つ者も、分けられる者も望むはずがない。なぜ、痛みをなくすことに力を注がないのか」。この北谷町の自治会長さんの言は、もちろん自治会長さんおひとりの言でしかありませんが、沖縄の人々が痛みの「本土移設」を望んでいないことのひとつの証左でもあるだろう、と私は思います。

さらに統計的なことをいえば、これは目取真さんがご自身のブログ記事の中でも紹介されていることでもありますが(「普天間基地撤去のために」2009年8月25日付)、琉球新報と共同通信が電話世論調査で普天間飛行場の移設手法についての県民の意志をアンケートしたところ「海外に撤去」が最多の48・5%を占めた一方で、「嘉手納基地に統合」は10・9%、「辺野古への移設に賛成」』は10・1%、「国内のどこかへ移設」は7・1%だったといいます。

上記のアンケート調査でも、「本土」移設を望む人の声よりも沖縄県内移設の方を望む人の声の方が大きいということがわかるように思います。上記2社が合同で行った2005年のアンケート調査でもほぼ同様の結果が出ています。左記は、沖縄県民が、もちろん相対としてという但し書きが必要でしょうが、「本土」への痛みの移設などは望んでいないことの統計的な証左といってよいものだと思います。そして、上記で述べたヤマトゥの平和への志という意味で地元移設に反対する人々の思想及び論理とも相応するものです。

目取真さんは、上記記事の結論の部分で、「ヤマトゥに住む日本人はまず、日米安保体制維持のために沖縄に米軍基地負担を集中させてきた自らの差別と暴力、政治的欺瞞を直視すべきなのだ」と揚言します。しかし、ヤマトゥに住む日本人の主張を地域エゴイズムの主張である、と理解する限りにおいて左記のように揚言しても、ヤマトゥに住む人々の共感を得ることはできないだろう、と私は思います。左記の揚言が、「あってはならない侵略の拠点はどこにもあってはならない」という思想のゆえの地元移設反対論であることを理解した上での揚言であれば、沖縄とヤマトゥのあらたな連携の芽も芽生えてくるに違いない、とも思います。

しかし、目取真さんの怒りは理解できます。
……………………………………………………………………
関連記事
Secret

TrackBackURL
→http://mizukith.blog91.fc2.com/tb.php/39-02bbcfdb