作家の辺見庸が中原中也賞を受賞した詩文集『生首』につぐ2冊目の詩集『眼の海』(注)を昨年の11月に刊行したのを機会に「週刊金曜日」(2012年1月13日 878号)と「週刊読書人」(2012年1月13日付)のそれぞれのインタビューに応じて、同詩集を刊行するに至った作者としての内的な動機について語っています。

眼の海
 

注:1月9日、『眼の海』は第42回高見順賞の受賞が決定しました。

「世情に逆らうなにがしかの『犯意』のようなものはあったわけです。」
                                             (「週刊金曜日」2012年1月13日号)

「マスメディアをふくむ世情は、とくに二〇一一年三月一一日以後の世情は、わたしにとって受け容れがたいものでした。その齟齬も『眼の海』が浮かんでくるバネになっていると思います。」
                           (同上)

辺見のいう「世情に逆らうなにがしかの『犯意』」「わたしにとって受け容れがたい世情」「その齟齬」とはなにか。

私として気にかかるところを傍線で引いてみました。傍線部分の抜粋だけでも辺見が「眼の海」となって発信しようとする違和のあらましはおわかりいただけるのではないでしょうか? そう思っての傍線部分の抜粋です。

辺見の違和はひとことでいって「頼まれもしないのにおのずとファッショ化していく」この社会への違和、「おのずからのファシズム」への違和といってよいでしょう。その違和は「文芸の言葉、市民運動の言語」にも向けられています。市民運動のファッショ化とはどういうことか。辺見の嘆息は次のようなものだと私は聴きとりました。

「戦後しばらくは、状況に対する否定的な思惟というものがありましたが、八〇年代ごろから現状を倦まずに批判し疑っていくという理念の芽を打ち消してきたのです。やがて疑問を持つこと自体を封じ、肯定的な思惟を強いるようになってきた」。それは市民運動も変わりはしない。「当局やマスコミ、政党は言うにおよばず、文芸の言葉、市民運動の言語もまたなにか空々しくインチキっぽく聞こえるわけです。」

私はインチキっぽい言葉は吐きたくない。私が言いえることはそれくらいでしょうか。

むき出しにされた この国の真景 詩集『眼の海』をめぐる思索と想念
(「週刊金曜日」2012年1月13日 878号)
辺見庸インタビュー

辺見庸インタビュー  辺見庸インタビュー2

前説

大地震、巨大津波、原発放射能汚染。
「二〇一一年三月一一日」を契機に綴られた言葉は数多くある。
が、この詩篇ほど死者と向き合い、正気と狂気の間にたゆたう
時代の虚実をあらわにしたものがあるだろうか。
詩集『眼の海』をめぐる思索と想念が語られる。


『眼の海』を
受け容れてくれた
読者は
わたしの共犯者。

『眼の海』は今まで書いたどの本とも、脱稿した感じがまったく違っていました。

あまりに私的に暗い孔(あな)を穿(うが)ち進んだ

世情に逆らうなにがしかの「犯意」のようなもの

マスメディアをふくむ世情は、とくに二〇一一年三月一一日以後の世情は、わたしにとって受け容れがたいものでした。その齟齬

言語状況がなにやら〝愛国統一戦線〟みたいになり、戦時のような怪しい世情

不埒な個の内面を排除するああいう括りを忌み嫌う人間です。


この社会は
頼まれもしないのに、
おのずと
ファッショ化していく。

当局やマスコミ、政党は言うにおよばず、文芸の言葉、市民運動の言語もまたなにか空々しくインチキっぽく聞こえる

それらに対する自分なりの抵抗みたいなもの

この社会は頼まれもしないのに、権力的な抑圧とか強制があるわけでもないのに、おのずとファッショ化していくのです。メディアも市民運動もそこに巻き込まれてゆく。

全体として震災ファッショのような状況があるわけで、しかもそれらは主観的な善意によって構成されてゆく。

震災と原発メルトダウンによって死者・行方不明者おおよそ二万人


数値とリアリティの
間にある真空地帯、
そこを言葉で埋める
作業を拒否し、
放棄している。

しかし、振り返ると、関東大震災の犠牲者数は一〇万五〇〇〇人

広島の原爆では一〇万人以上、最終的には二〇万人以上

長崎では一四万人

このことを誰も奥行きある言葉として提示しようとしない。わたしが『眼の海』を書いていたときの怒りの底には、そのことがあります。

それはなぜだか似ていた。
ヒロシマの小学校に。・・・・・
それはなぜだか似ていた。
すべての大量殺戮の現場に。・・・・・
         (「それは似ていた」より抜粋)

わたしが通っていた小学校の、震災直後の写真を見ましたが、言葉を失いました。三階建ての校舎が全部焼けただれていて、校庭にはまだ死体があるのです。黒こげの車が何十台も校庭に山積みになっていて、窓から教室に突っこんだのもある。アブストラクトアート(抽象芸術)のようであり、地獄のようでもありました。車の中には焼けただれた人もいたのです。こんなことは報じられないでしょう。しかし、三月一一日の現実は、まさに超現実だったのです。

被災地ではまた、燃料が足りず、死者を火葬できなかった。臭くなるので、身元確認もできていない死体を埋めてしまうわけです。埋めざるをえない。手、耳、片足だけの部位を埋める。死者は陸だけではありません。どれだけの人間が今、海底で暮らしているのか。

断たれた死者は断たれたことばとして
ちらばり ゆらゆら泳いだ
首も手も足も 舫(もや)いあうことなく
てんでにただよって
ことばではなくただ藻としてよりそい
槐の葉叢のように
ことばなき部位たちが海の底にしげった
  (「水のなかから水のなかへ」より抜粋)

戦後しばらくは、状況に対する否定的な思惟というものがありましたが、八〇年代ごろから現状を倦まずに批判し疑っていくという理念の芽を打ち消してきたのです。やがて疑問を持つこと自体を封じ、肯定的な思惟を強いるようになってきた


ファシズムは
何年も時間をかけ、
いろんな小さな言葉の
積み重ね、連なりで
立ち上がってくる。

草の根ファシズム

「おのずからのファシズム」

生涯をつうじ個としてたたかうということのない、群れと絆、斉唱と涙、断念と裏切りを好み、それらを美とし、無常とうそぶく、まぎれもない腐生菌であるという事実である。
 (「ヒトヨタケ coprinopsis artamentarius の歌」より抜粋)

いくつもの過去を殺してきた
オポチュニストたちの声
フサオマキザル群によく似た
悲しいシュプレヒコールよ
(「オポチュニストたちの声門音」より抜粋)

オウム事件を
突き詰めてゆくと、
そこにわれわれ自身の
似姿を見る。


ファシズムのいまに、
わたしという個が、
よるべない
他の個にとどける
「ひとすじの声」。

フィズィマリウラは結果でも
過誤でもなく
つきるところ
とりとめのない本然であり
幻影ではなく
おそらくこれがわたしらの
現在の真景である
(「フィズィマリウラ」より抜粋)

*その後、予約していた『眼の海』(毎日新聞社 2011年)を図書館から借りてきました。「フィズィマリウラ」の正体を暗示する次のような「詩」がありました。

そののち・・・、
汚れた市(まち)のみぎわを暮れがた
音なくうごいていくもの
が、うわさされた。
つよいうわさではない。
バカ貝の吐息のようによわいうわさだった。
たれも突きとめようとはしなかった。
(略)
きまったなまえはなかった。
「フィズィマリウラ」と呼ぶ者がいたが
一般に「あれ」とのみいわれた。
あれには、あれといわれても、
いわれた数だけそれぞれの形があって、
さだまったそれだけの形はなかった。
(略)
あれのなまえはまだなかった。
世界には真偽の別はなかった。
それでも、
みぎわを暮れがたに
音なくすべっていくふたしかなものは、あった。
              「みぎわを暮れがた音なくすべっていくもの」
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