俳優の山本太郎さんが佐賀地検に告発され、同地検に受理された件について、不当な告発を受理した佐賀地検に抗議しよう、という呼びかけが一昨日来いくつかの脱原発系ブログやメーリングリストでなされていますが、いまの段階で抗議を言うのは私は少し(法律的に)筋違いのように思います。いまの段階で私たちにできることは、あるいは私たちがしなければならないことは、佐賀地検に抗議することではなく、今回の京都在住者といわれる某人の不当告発については明確に「嫌疑なし」とする不起訴処分にすることを同地検に要請すること。また、同様の趣旨の意見書を同地検に送付するということでしかないだろうと思います。

というのは、こういうことです。

まず以下に述べる告訴・告発の手続きの大前提として刑事訴訟法の第239条には告発(告訴ではありません)に関して「何人でも、犯罪があると思料するときは、告発をすることができる」という規定があります。「何人でも告発をすることができる」のであれば、その告発は基本的に警察、検察に無条件に受理されるべきものでなければなりません。それが法の要請するところであるはずです。

そして、国家公安委員会規則のひとつに「犯罪捜査規範」という規則がありますが、その第63条に告訴・告発の受理に関して「司法警察員たる警察官は、告訴、告発または自首をする者があつたときは、管轄区域内の事件であるかどうかを問わず、この節に定めるところにより、これを受理しなければならない」とする規定があります。

また刑訴法242条にも「司法警察員は、告訴又は告発を受けたときは、速やかにこれに関する書類及び証拠物を検察官に送付しなければならない」とする規定があります。

これらの規定は「告訴・告発を受けた捜査機関は、これを拒むことができず、捜査を尽くす義務を負うものと解されて」います(『告訴・告発』「告訴・告発先となる捜査機関」出典:Wikipedia)。

そして、上記解説にいう「捜査機関」には刑訴法191条(検察官は、必要と認めるときは、自ら犯罪を捜査することができる)によって検察官も含まれますから、警察も検察も「告訴・告発を受けた」場合は「これを拒むことができ」ないという解釈になると思います。

さらに行政手続法第7条に「行政庁は、申請がその事務所に到達したときは遅滞なく当該申請の審査を開始しなければならない」とする規定があることも上記の解釈の補強材料のひとつになるといってよいでしょう。

いずれにしても警察、検察は告訴・告発を受けた場合はそれを拒むことなく受理し、速やかに捜査を尽くす義務があるわけですから、検察が告発を受理したこと自体を批判することは法律的に筋が通らないということにならざるをえません。

これは私たちがある疑わしい人物なり機関なりを告訴、告発した場合のことを想定してみれば、警察、検察が告訴状・告発状の受け取りを拒否することのその恣意性や不当性がより鮮明になると思います。検察が告訴状・告発状を受理したこと自体をいたずらに批判することは私たち自身が自らの運動の手や足を縛るという愚を犯すことになりかねないのです。

もちろん、上記のことは、今回、山本太郎さんを告発したやからの告発の論は、本来断罪されるべき者を断罪せず、一点も断罪されるべき余地のない者を断罪するという古今東西の悪人に共通する人を冤罪に陥れようとする者の古来典型的な賊論でしかないということ。まさしくその意味で卑怯、卑劣、唾棄すべきやからの僻論でしかない、ということを大前提にした上で述べているものです。
 
なお、警察、検察が告訴状・告発状の受け取りを拒否することのその恣意性と不当性について若干のことを補足しておきます。
 
私が上記の問題提起をあるメーリングリストに発信したところ、「従来、警察・検察は、その都度、恣意的な判断で、市民による告発を受理しないことはいくらでもありました」。「告発状の受理・不受理そのものが、恣意的、差別的に運用されています」。あなたの問題提起は結果として「現実の運用が正当に行われているかのような幻想を振りまく」ことにしかならないのではないか、という批判がありました。
 
しかし、私は、これまでそうした「告発状の受理・不受理そのものが、恣意的、差別的に運用されて」きた事実があったとしても(現実に無視できない事態として数多くあるわけですが)、そうした警察、検察当局の不当な「恣意的、差別的」な運用と事実を既成事実化して、「告訴・告発を受けた捜査機関は、これを拒むことができず、捜査を尽くす義務を負う」と解されてきた本来の法の趣旨を反故にするような行為をすることはやはり愚策というべきで、市民運動のこれからにとっても決して得策とはいえないだろうと思います。

検察が告訴状・告発状を受理したこと自体に抗議するという主張は、とりもなおさず「山本太郎さんへの告発は受理するな」という主張にほかなりません。すなわち、ある者の告発は受理し、ある者の告発は受理するな、という主張にほかならないということになります。批判者はこれまでの警察、検察の「告発状の受理・不受理そのものが、恣意的、差別的に運用されて」きたことを批判しながら、一方で自らも警察、検察当局に対して「恣意的、差別的な運用」を求めるという相矛盾した主張をしていることになるのです。批判者は自身の主張にそうした矛盾が生じることにどれほど自覚的でしょうか? 疑問といわなければなりません。
 
さらに告発状の受理・不受理の問題は、単に告発状の受理・不受理の問題にとどまらず、一般の行政手続きにも波及する問題です(警察、検察も行政庁のひとつです)。行政が私たち市民の申請を仮に恣意的に「不受理」することが許されるような事態に立ち至れば行政との関わりで私たちのふつうの市民生活は成り立たなくなるといってよいでしょう。先に告訴、告発の受理、不受理の問題で行政手続法第7条を援用したのはそういうところにも理由があります。
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