ブログの更新を怠っていました。滞らせていたこの間のいくつかの記事をアップしておきます。
 
8月21日発信:

田島(ni0615)さんがCML(市民のML)に下記のような記事(2011年8月20日付)を投稿されていました。

miki_kirin さんのtweetから

娘が高校生でもこんなに不安になるんだもの。ましてや小さい子のお母さんお父さんはどんなに毎日大変だろう。そして
いちばん気になるのは、放射能があぶないってこと知らないお母さんお父さんたちの子どもたち。それから危ないって知ってるけど、忘れようとしてるお母さんお父さんの子どもたち。

その田島(ni0615)さんの記事への応答として下記のような返信を認めてみました。


先日、札幌の松元保昭さんが本MLに徐京植(ソ キョンシク):フクシマを歩いて――NHK こころの時代、私にとっての『3・11』」という秀逸なテレビ・ドキュメンタリーをご紹介くださっていましたが、その中で徐京植さんはユダヤ系イタリア人作家、プリーモ・レーヴィの『溺れるものと救われるもの』(朝日新聞社 2000年。原著 1986年)という遺稿を援用して、「同心円的に遠ざかっているからこそ恐怖や不安を自覚することができる想像力」に対して、同心円に近い人たちの現実を直視することを避けようとする心理、「少しでも楽観的な作られた真実、なぐさめの真実というものを見つけ出してそれに縋(すが)ろう」という心理について語っていました。

 NHK「徐京植 私にとっての『3・11』 フクシマを歩いて」を観ての感想とともに

田島さんの上記のご投稿を拝見して、私もおおいに触発されたその徐京植さんの胸に迫る考え尽くされた思想そのものとしての「語り」を思い出しました。以下、そのうちの該当部分の音声を文字起こし、抜粋してみました。

もちろんこのドキュメンタリーのキーワードは松元さんも言及されている番組の冒頭から出てくる「根こぎ(根こそぎ)」という言葉です。徐京植さんは原発事故後に自殺においやられた相馬市の54歳の酪農家の「根こぎ」という国家的暴力によってずたずたにされた無残な生について、原発事故後も福島の地に残留してその国家的暴力としての「根こぎ」に抗しているスペイン思想の研究者の佐々木孝さんご夫妻、耕作のできない田んぼで1日1時間という時間を決めて黙々と草刈りをしている清水初雄さんについて敬意をこめて語った後、同心円に近い人たちの現実を直視することを避けようとする心理について次のように語ります。

私自身も私の韓国にいる友人や親戚から「大丈夫か」という連絡やあるいは「一刻も早く韓国に逃げて来い」というような連絡を受けました。だけど、そうしなかった。だから、そのことを私はたとえば自分はなぜここを動かないんだろうということを考えたときに繰り返し思い出したのはヨーロッパのユダヤ人、ナチスによるユダヤ人絶滅政策の危機がひたひたと迫っているにもかかわらず、もちろん知識人やあるいはお金を持っている人たちは非常に大量にですけれども国外に逃れましたけれども、それでも逃れないまま犠牲になった人たちが数百万人いるわけですね。その人たちはなんだったのか、なぜ動かなかったんだということをわかるようでわからない問題だったんだけれども、今回考えてみてなんか少しわかったような気がしました。

で、ここで私が思い出すのはプリーモ・レーヴィという人で、イタリアのユダヤ人、アウシュビッツで1年近く強制労働を経験しましたが、辛うじて生き延びて、生還後は文学者になった人です。『アウシュビッツは終わらない』という作品が彼の代表作で、日本でもよく読まれていますが、40年後、1987年に自殺されました。これ(注:『溺れるものと救われるもの』(プリーモ・レーヴィ 竹山博英訳)が画面上にクローズアップされる)は彼が自殺の前年に書いた自分自身の人生の経験を総括するようなエッセー集です。ここにこういうことが出てきます。

「私たちにされる質問の中でいつも必ず出てくるものがある。なぜあなたたちは逃げなかったのですか」。彼は「それはひとつのステレオタイプであり、歴史を時代錯誤的に見ることである」とここで書いています。まあ実際にはお金がないとかつてがないとかそういう人たちにとって国を出てゆくということは簡単なことではないんだ、ということを書いた上でこういうことを言っています。

「この村、この町、地方、国は私のものである。そこで生まれたのだし、祖先はそこに眠っている。そこの言葉を話すし、そこの習慣や文化を身につけている。おそらく自分もその文化に貢献している。税金を払っているし、そこの法律を守っている」。で、そういうものであるだけに「まさに、不安をかき立てるような推測はなかなか根付かないのである。極限状態が来るまで、ナチの信徒が家々に侵入してくるまで、兆候を無視し、危険に目をつぶり、都合のいい真実を作り出すやり方を続けていたのである」。つまり、不安を感じないわけじゃないのだけれども、いま言いましたようなさまざまなその人間を絡めとっている網の目、その人間が簡単には抜くことはできない根、というものがあるがゆえに危険な兆候をできるだけ軽く見ようとしたり、なにか気休めの都合のいい真実、そういうものを作り上げて縋(すが)ろうとする。そういう心理をプリーモ・レーヴィはここで語っているんですね。」

これを読んで(これは前から読んでいたんですけれど)、あゝ、こういう心理なのか、ということをそのとき思い当たったような気がしました。私が日本にとどまったのは、なにか楽観したいたわけでもなく、諦めていたわけでもなく、自分自身が日本という社会に絡めとられているという現実を、ふだんそんなに気がつかないことを突きつけられたというそういう意味です。逆にいうと祖父の場合に根扱ぎにされて日本に来たんだけれどもそれから3世代のうちに私はこの社会の網に絡めとられてこの社会に根を下ろすことになっている。半ばでも、ということです。で、具体的にいうとたとえば職業。収入ということだけじゃなくて人間は自分の属している会社とか、私の場合は教員ですが、そういう社会組織と無縁に生きていけるだろうか、ということですね。外国人であるか日本国民であるかにかかわらず日本社会にその人の生活の根があるということです。それを破壊するということがどれくらい暴力的なことか、ということですね。
 

相馬市の54歳の酪農家の絶望と自死もこの「根こぎ」という国家的暴力の延長にある、それによってもたらされた悲劇であったことはいうまでもありません。徐京植さんはこの酪農家の死を「国家によって殺されたのだ」と語っていました。
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