内富まことさんと大畑豊さんが先月31日に福島県ではじめて開かれた原水禁主催の原水爆禁止被爆66周年世界大会に関連してCMLというメーリングリストに「脱原発運動内部における矛盾をいかに克服するのか?」という問題提起を含む下記のような投稿をされていました。

■大畑氏:Re: 原水禁大会、フクシマで初開催=脱原発訴え、デモ行進も(CML 2011年8月1日)
■内富氏:脱原発運動内部における矛盾をいかに克服するのか?―Re: 原水禁大会、フクシマで初開催=脱原発訴え、デモ行進も(CML 2011年8月1日)

そのおふたりの問題提起に対する私の応答を下記にアップしておきます。

少し遅いレスになりましたが、内富さん、また大畑さんの「脱原発運動内部における矛盾をいかに克服するのか?」という問題提起はとても重要な問題提起だと思いますし、私もその問題意識を共有します。

ということを前提にした上で、内富さん、また大畑さんの上記の問題提起に関連していくつかのことを申し述べさせていただきたいと思います。

第一に大畑さんがCML 011086で、内富さんがCML 011069で発信された「原水禁大会、フクシマで初開催=脱原発訴え、デモ行進も」というニュースに関してですが、おふたりが紹介されている時事通信、毎日新聞、読売新聞、JNN(TBS系)、東京新聞などの報道記事では「放射能のない福島を返せ」などと訴えた先月31日の約1700人が参加した福島市内のデモ行進は同地での原水禁世界大会参加者らのみによって行われたデモ行進であったかのようですが、河北新報の記事によれば、同デモ行進は同地での原水禁「大会に先立ち、福島県平和フォーラム」が主催した「原発のない福島を求める県民集会」参加者ら約1700人によって行われたデモ行進であったようです。

私は確認してはいませんが、他の人からの情報によれば、この「原発のない福島を求める県民集会」について8月1日付の「赤旗」(紙版4面。インターネット版にはなし)は次のように報道しているようです。

原発のない福島を求める県民集会が31日、福島市内で開かれ県内外から1700人が参加しました。福島県平和フォーラムの主催。幅広い団体が賛同して取り組まれたもので、日本共産党福島県委員会、新婦人県本部、県労連女性部も賛同しました。

すなわち、今回の原水禁を主催団体とするフクシマでの原水爆禁止被爆66周年世界大会の関連行事として行われた「原発のない福島を求める県民集会」には、単に主催団体としての原水禁関係者だけでなく、これまでことあるごとにといってよいほどさまざまな局面で原水禁と対立することの多かった共産党を含む原水協系の団体や労働組合も賛同、参加しています。この「原発ゼロ」をめざすためのフクシマでの共同の動きは、内富さんのおっしゃる「『国民的大統一戦線』を構築するため」の3.11以後の特記すべき重要な変化のあかしのひとつと見てよいのではないでしょうか。私たちはこの重要な変化の兆しを見逃してはならないと思います。それと同時にこの重要な変化の兆しを私たちはきちんと評価することの大切さを思います。

ですから、京都の識者4氏が呼びかけ人となっている9月10日に予定されている「原発NO! 京都府民大集会」とバイバイ原発・京都や地球温暖化防止京都ネットワークなどが呼びかけ団体となっている「9・11大行動」(1000人~3000人規模)が競合しないように調整することは決して不可能なことではないだろうと私は思います。内富さんも「調整できたらと思」っています、とおっしゃっておられるので、内富さんたちのご努力に期待したいと思います。

第二に大畑さんの先日の共産党の「原発ゼロ」宣言に関する「反省して路線を変える、と言うならまだしも『当初からきっぱり反対してきました』って、どうなんでしょ」(CML 011086)というご指摘についてですが、この点については私も大畑さんとほぼ同様の共産党に対する疑問と疑念を持っています。 そして、同様の疑問や疑念を持っているのは単に大畑さんや私ばかりではありません。

たとえば共産党ウオッチャーの村岡到氏(『プランB』編集長)は「共産党の『原発ゼロ』はセクト主義」(村岡到の探理夢到 2011年6月9日)という論攷の中で大畑さんの疑問とほぼ類似の問題を挙げて次のような重要な指摘をしています(私は村岡氏と見解を異にするところが多く、その他の問題で村岡氏を全面的に評価するものではないことをお断りしておきます)。

昨日、国会図書館で1954年の「アカハタ」を閲覧した。この年の6月にソ連邦が世界最初の原発運転を開始したので、それを共産党がどのように報道したのか確かめるためである。予想以上に絶賛していた。「ソ同盟原子力発電所操業を開始」「平和利用を実現 人類史に新しいページ」(略)「ソ同盟科学技術の勝利」「無限の繁栄を約束」の大見出し。次の日は「原子力は人間に奉仕する」とモスクワ放送を記事にした。(略)不破哲三氏は、1961年の会議で原発反対の決議を上げたことがあることを古文書を探し出して強調し、「それ以来、この問題でのわが党の立場は一貫しているのです」と歴史を偽造しているが、折角、歴史を探るのなら、その7年前にもさかのぼる必要があるのではないか。

さらに「日本共産党三中総 『原発撤退』方針の積極面の裏で危機が深行」(『プランB』第34号)という論攷では次のような指摘もしています。

日本共産党は、七月三日、四日に第三回中央委員会総会(三中総)を開き、当面の活動方針を決定した。最大のポイントは、共産党が「原発撤退」を「綱領的課題の一つとして位置づけ」て活動すると明確にしたことである。これまでは政党のなかで「脱原発」を明確に主張していたのは社民党だけだったから、積極的な決定である。(略)そのことを明確にしたうえで、三中総の問題点を明らかにしよう。(略)この短評では詳述できないが、次の文章を思い出す必要がある。「社会党は、原発推進と『原発絶対反対』との間を動揺。各地で混迷を深めているのが現状です。この原発絶対反対と関連をもった一部のニセ『左翼』や『原水禁』グループなどが策動しています」。これは、一九八八年五月の「赤旗」の主張であり、『原発推進政策を転換せよ』(一九八八年)というパンフレットに収録されている。当時は、この認識を基礎に、共産党は反原発運動に消極的だったのであり、「原子力の平和利用」に力点があった。

上記の村岡氏の指摘に関連して私もこの問題について地元の図書館で当時の「赤旗」記事を探索してみましたが、村岡氏の指摘する記事のほかにもたとえば「赤旗」の88年4月22日付けの「ニセ『左翼』集団主導の4・23反原発集会」という記事では今回のフクシマ原発事故でもその存在の貴重さと大きさを広く市民に知らしめることになった原子力資料情報室を1975年に設立した故高木仁三郎氏や『暗闇の思想を―火電阻止運動の論理』(朝日新聞社、1974年)や『ルイズ―父に貰いし名は』(講談社、1982年。全国学校図書館協議会選定図書、第4回講談社ノンフィクション賞受賞)などの名著があり、草の根の視点から市民運動情報を発信し続けるミニコミ誌として全国的に根強い購読者の層があった『草の根通信』を1973年から2004年に死去するまで発行し続けた故松下竜一氏や、さらには「日本はこれでいいのか市民連合」批判という形で晩年には当の共産党自身が推奨してやまない九条の会の世話人でもあった(ある)故小田実氏や鶴見俊輔氏(鶴見氏が「日本はこれでいいのか」に実際に参加していたかどうかについては私は詳らかではありませんが、「ベ平連」時代からの小田実氏との関係から見ても鶴見氏は仮に正式な「日本はこれでいいのか」の参加者ではなかったとしても少なくともそのシンパサイザーであったということだけは確かなことのように思います)までもを「ニセ『左翼』」の一員として激しく糾弾しています。

今回の集会は、こうした運動の盛り上がりを「原発とめよう」のスローガンのもとに組織し、大量動員を競って、市民権を得ていこうというのが、ニセ『左翼』各派の反共主義者、反党盲従集団のねらいです。/集会の実行委員会の事務局は、プルトニウム研究会・原子力資料情報室や「反原発新聞」編集部などの所在地となっており、高木仁三郎氏が中心的な役割を果たしています。彼はニセ「左翼」暴力集団の暴力活動として有名な「三里塚闘争」に参加していたことや、大学で「全共闘」運動にかかわっていたことをみずから認めている人物(『わが内なるエコロジー』)です。(略)「一万人行動」の実行委員会の参加団体には、三菱重工爆破犯を美化している松下竜一氏(「草の根通信」)や、反共市民主義の「日本はこれでいいのか市民連合」、原水禁運動の分裂組織「原水爆禁止国民会議」などが顔を並べています。(「赤旗」 1988年4月22日付)

上記に見るようなこうした共産党のこれまでの数々の誤まった主張を根本的に反省することもしないでそのまま放置しておいて、「それ(1961年)以来、この問題でのわが党の立場は一貫しているのです」(不破哲三前中央委員会議長「『科学の目』で原発災害を考える」 赤旗 2011年5月14日付)とか「原発技術は未完成で危険なものだとして、その建設には当初からきっぱり反対してきました」(志位和夫委員長「原発からのすみやかな撤退、自然エネルギーの本格的導入を国民的討論と合意をよびかけます」 日本共産党HP 2011年6月13日付)とかいう共産党の頑なでかつ牽強付会、自己正当化の姿勢を改めない限り同党の「原発ゼロ(脱原発)宣言」には常に疑問符がつきまとうことは避けられないことのように思います。左記の姿勢は、私は、共産党のためにもとても残念なことであると思います。

私は先のCML2011年5月3日付けで発信したメールにおいて浅井基文さん(元外交官、政治学者)の論攷を援用して、共産党の原発政策の理論的根幹に伏在している問題性について「1963年の第9回原水爆禁止世界大会当時の『いかなる国』問題と同根の理論的問題を含んでいるように思われること」を指摘することがありました(「『日本共産党の原発政策の転換について』という岩佐英夫さん(京都・弁護士)発信のメールへの応答」 弊ブログ 2011年5月4日)。

浅井さんはその引用論攷の中で次のように慨嘆していました。その慨嘆は私の慨嘆でもあります。

こういう認識(引用者注:日本の原水爆禁止運動において社会党・総評指導部は日本原水協から脱落していったが、日本原水協及び共産党は核兵器廃絶の大義を守りつづけてきたという共産党・志位委員長の認識)からは「今なお分裂し、このままではじり貧を免れない(としか私には思われない)日本の原水爆禁止運動の深刻な状況を直視する真摯な姿勢を窺えないことを非常に残念に思う」、「日本の平和運動の今日における沈滞は1963年の原水爆禁止運動における社共分裂に大きな直接的な原因があると言っても過言ではない。日本の平和運動が日本の世論を引っ張り、世界の平和を引っ張る力を発揮することを強く願うだけに、上記の志位委員長の発言は、正直言って理解に苦しむ。そして、このような自己正当化の主張を公然と行う共産党の姿勢は、やはり多くの国民・人々の共感を遠ざける方向に働かざるを得ないことを、私は恐れる。」

そのことを改めて問題提起して内富さん、大畑さんへの応答に代えさせていただきたいと思います。

しかし、繰り返しますが、第一で述べた今回の原水禁を主催団体とするフクシマでの原水爆禁止被爆66周年世界大会の関連行事として行われた「原発のない福島を求める県民集会」に主催団体としての原水禁関係者だけでなく、共産党を含む原水協系の団体や労働組合も賛同、参加したことは、「『国民的大統一戦線』を構築するため」の3.11以後の特記すべき重要な変化のあかしのひとつと見てよい事象だと思います。私たちはこの重要な変化の兆しをきちんと評価することの大切さを思います。
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