村上春樹には「私はいつも卵の側に立つ」という「有名」なスピーチがあります。もちろん、この言葉は、村上が2年前にエルサレム賞という文学賞を受賞した際にイスラエルの東部の町エルサレムで同賞受賞記念スピーチの一節として発した言葉でした。いままた、村上のスペインのバルセロナであったカタルーニャ国際賞授賞式の際に語った「(これまで原発を容認してきたのは)日本人の倫理と規範の敗北でもありました」、「我々日本人は核に対する『ノー』を叫び続けるべきだった」というスピーチが例によってというべきでしょうか民主メディアを含むマスメディアと、これもまた自らを反原発論者、またデモクラートと自称する人たちを含む大勢の人たちから喝采を浴びています。しかし、私の見るところ、村上の言葉の言貌は薄っぺらなもので、真実を決して穿つことのないもの、真実とはおよそかけ離れた安易な言葉の羅列にすぎないもののように見えます。

村上の言葉を薄っぺらというのはこういうことです。村上はこの
スピーチで日本人の「無常」観について述べています。村上によれば、その日本人の「無常」観は、春は桜、夏は蛍、秋は紅葉に代表されるものです。
 
「桜も蛍も紅葉も、ほんの僅かな時間のうちにその美しさを失ってしまう(略)。我々はそのいっときの栄光を目撃するために、遠くまで足を運びます。そしてそれらがただ美しいばかりでなく、目の前で儚く散り、小さな灯りを失い、鮮やかな色を奪われていくことを確認し、むしろほっとするのです。美しさの盛りが通り過ぎ、消え失せていくことに、かえって安心を見出すのです。」
 
なにやら清少納言の枕草子の一節を思い出し、川端康成の『美しい日本の私』というノーベル賞受賞の際のスピーチを思い出させます。しかし、私には村上の作文にはそれ以上のものは見出すことはできません。川端もこのノーベル賞受賞記念講演で日本人の「無常」観について語っています。私は川端の思想を全面的に支持するものではありませんが、それでも川端には道元禅師を語って道元の「春は花夏ほととぎす秋は月/冬雪さえて冷(すず)しかりけりという「本来の面目」の歌に対する深い洞察があったように思います。また、明恵上人を語って「雲を出でて我にともなふ冬の月/風や身にしむ雪や冷めたき」という明恵の「無常」観への愛しみも感じられました。また、芥川龍之介の『末期の眼』を語って芥川の悲しみに対する川端の深い同情心も感じとることができました。しかし、村上の言葉には教科書的な単なる教養の言葉としての「無常(mujo)」観しか読み取ることはできません。

そして、その「無常(mujo)」観は、村上によって福島の原発事故と結びつけられます。
 
「今回の大地震で、ほぼすべての日本人は激しいショックを受けましたし、普段から地震に馴れている我々でさえ、その被害の規模の大きさに、今なおたじろいでいます。無力感を抱き、国家の将来に不安さえ感じています。/でも結局のところ、(略)我々はこの地球という惑星に勝手に間借りしているわけです。(略)少し揺れたからといって、文句を言うこともできません。ときどき揺れるということが地球の属性のひとつなのだから。好むと好まざるとにかかわらず、そのような自然と共存していくしかありません。」(同上) 
 
そして、さらに村上の「無常(mujo)」観は日本人の「倫理」と「規範」の問題、「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」というあの広島の原爆死没者慰霊碑の言葉へと結びつけられていきます。

「『安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから』/素晴らしい言葉です。我々は被害者であると同時に、加害者でもある。そこにはそういう意味がこめられています。核という圧倒的な力の前では、我々は誰しも被害者であり、また加害者でもあるのです。その力の脅威にさらされているという点においては、我々はすべて被害者でありますし、その力を引き出したという点においては、またその力の行使を防げなかったという点においては、我々はすべて加害者でもあります。」(同上)
 
この広島原爆死没者慰霊碑の「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」という言葉についてかつて寺島実郎は次のように述べていたことがあります。
 
「広島の原爆慰霊碑に掲げられた『二度と過ちは繰り返しません』の言葉も、熟慮するほど不可解である。思わず共感する言葉であるが、誰のいかなる責任での過ちなのかを明らかにすることなく、『なんとなく反省』『一億総懺悔』で納得し、それ以上踏み込まないのである。/表層な言葉の世界への陶酔を超えて,いかにして実のある世界に踏み込むのか,これこそが戦後日本という平和な擬似空間を生きてきた我々の課題である。」(「小さな花」の強さ 2004年4月)

寺島は加藤周一と『軍縮問題資料』の2004年2月号ではじめて対談する機会を持ったようですが、上記の寺島の感想は、加藤の「一億総懺悔」批判の言葉に触発されて書かれたもののようです(この時分は寺島はまだまっとうだったようです)。加藤は『日本社会・文化の基本的特徴』(『日本文化のかくれた形(かた)』所収。加藤周一、丸山真男、木下順二、武田清子共著、岩波現代文庫、2004年)で「一億総懺悔」ということについて次のように述べています。
 
「あの十五年戦争で、日本側には、戦争責任者というものが、個人としては一人もいない。みんなが悪かった、ということになります。戦争の責任は日本国民(略)全体が取るので、指導者が取るのではない。『一億総懺悔』ということは、タバコ屋のおばさんも、東条首相も、一億分の一の責任になる。一億分の一の責任は、事実上ゼロに近い、つまり、無責任ということになります。みんなに責任があるということは、誰にも責任がないというのと、ほとんど同じことです。」
 
そうした加藤や寺島の認識に比して、村上の広島の原爆死没者慰霊碑の言葉の解釈はいかに浅薄なものであるか。私が村上の言葉を薄っぺらと批判するのはこうした村上の認識をも指しています。

私は2年前に村上のエルサレム賞受賞記念スピーチが評判になったときに
次のような感想を述べたことがあります。

「メディア、テレビの出演回数を誇るたぐいの凡俗、凡庸、低劣な『知識人』『文化人』風情の村上春樹の『エルサレム賞』受賞評価というのならば、私も納得することもできるのですが(もちろん、負の意味でですが)、なぜこうもやすやすと自らを民主主義者と自称する人たち、また、自らをデモクラティックと誇称するメディアが少なからず、というよりも寡聞の限りにおいては圧倒的に村上春樹の脆弱愚昧、こけおどし(見せかけは立派だが、中身のないこと)ともいってもよいスピーチを称賛してやまないのか。あるいは有体にいって騙されてしまうのか、というのが、村上の『エルサレム賞』受賞の報を聞いた当初からの私の決定的ともいってよい違和感でした」(「後論:作家・村上春樹のエルサレム賞受賞記念スピーチは卑怯、惰弱の弁というべきではなかったのか?」CML 2009年5月31日付)。

私は今回もほぼ同様の感想を持っています。


追記:

村上春樹の薄っぺらな文章に対比する形で良質な文章の例として引用しようと思っていた文章に東日本大震災後の3月16日付けで北日本新聞に掲載された辺見庸の文章があります(添付をしようと思っていて亡失していました)。辺見もやはり大震災後の人間の倫理の問題について語っているのですが、その現実を見る「眼の探索」の深さはこれこそ本来の作家のものというべきものです。私は辺見の眼の確かさに改めて頭を深く垂れます。そして、辺見と同時代人であることを心強く思います。

■3月16日北日本新聞 辺見庸「震災緊急特別寄稿」
http://blog.goo.ne.jp/sizukani/e/0ddcbff19adac5a8f6851b2372d1f6cd

 風景が波とうにもまれ一気にくずれた。瞬間、すべての輪郭が水に揺らめいて消えた。わたしの生まれそだった街、友と泳いだ海、あゆんだ浜辺が、突然に怒りくるい、もりあがり、うずまき、揺さぶり、たわみ、地割れし、ごうごうと得体の知れぬけもののようなうなり声をあげて襲いかかってきた。

 その音はたしかに眼前の光景が発しているものなのに、はるか太古からの遠音でもあり、耳の底の幻聴のようでもあった。水煙と土煙がいっしょにまいあがった。

 それらにすぐ紅蓮の火柱がいく本もまじって、ごうごうという音がいっそうたけり、ますます化け物じみた。家も自動車も電車も橋も堤防も、人工物のすべてはたちまちにして威厳をうしない、プラスチックの玩具のように手もなく水に押しながされた。

 ひとの叫びとすすりなきが怒とうのむこうにいかにもか細くたよりなげに、きれぎれに聞こえた。わたしはなんどもまばたいた。ひたすら祈った。夢であれ。どうか夢であってくれ。だが、夢ではなかった。夢よりもひどいうつつだった。

 それらの光景と音に、わたしは恐怖をさらにこえる「畏れ」を感じた。非情無比にして荘厳なもの、人智ではとうてい制しえない力が、なぜか満腔の怒気をおびてたちあがっていた。水と火。地鳴りと海鳴り。それらは交響してわたしたちになにかを命じているようにおもわれた。たとえば「ひとよ、われに恐懼せよ」と。あるいは「ひとよ、おもいあがるな」と。

 わたしは畏れかしこまり、テレビ画面のなかに母や妹、友だちのすがたをさがそうと必死になった。これは、ついに封印をとかれた禁断の宗教画ではないか。黙示録的光景はそれじしん津波にのまれた一幅の絵のようによれ、ゆがんだ。あふれでる涙ごしに光景を見たからだ。生まれ故郷が無残にいためつけられた。

 知人たちの住む浜辺の集落がひとびとと家ごとかき消された。親類の住む街がいとも簡単にえぐりとられた。若い日に遊んだ美しい三陸の浜辺。わたしにとって知らぬ場所などどこにもない。磯のかおり。けだるい波の音。やわらかな光・・・。一変していた。なぜなのだ。わたしは問うた。怒れる風景は怒りのわけをおしえてくれない。ただ命じているようであった。畏れよ、と。

 津波にさらわれたのは、無数のひとと住み処だけではないのだ。人間は最強、征服できぬ自然なし、人智は万能、テクノロジーの千年王国といった信仰にも、すなわち、さしも長きにわたった「近代の倨傲」にも、大きな地割れがはしった。とすれば、資本の力にささえられて徒な繁栄を謳歌してきたわたしたちの日常は、ここでいったん崩壊せざるをえない。わたしたちは新しい命や価値をもとめてしばらく荒れ野をさまようだろう。

 時は、しかし、この広漠とした廃墟から、「新しい日常」と「新しい秩序」とを、じょじょにつくりだすことだろう。新しいそれらが大震災前の日常と秩序とどのようにことなるのか、いまはしかと見えない。ただはっきりとわかっていることがいくつかある。

 われわれはこれから、ひととして生きるための倫理の根源を問われるだろう。逆にいえば、非倫理的な実相が意外にもむきだされるかもしれない。つまり、愛や誠実、やさしさ、勇気といった、いまあるべき徳目の真価が問われている。

 愛や誠実、やさしさはこれまで、安寧のなかの余裕としてそれなりに演じられてきたかもしれない。けれども、見たこともないカオスのなかにいまとつぜんに放りだされた素裸の「個」が、愛や誠実ややさしさをほんとうに実践できるのか。これまでの余裕のなかでなく、非常事態下、絶対的困窮下で、愛や誠実の実現がはたして可能なのか。

 家もない、食料もない、ただふるえるばかりの被災者の群れ、貧者と弱者たちに、みずからのものをわけあたえ、ともに生きることができるのか、すべての職業人がやるべき仕事を誠実に追求できるのか。日常の崩壊とどうじにつきつけられている問いとは、そうしたモラルの根っこにかかわることだろう。

 カミュが小説『ペスト』で示唆した結論は、人間は結局、なにごとも制することができない、この世に生きることの不条理はどうあっても避けられない、というかんがえだった。カミュはそれでもなお主人公のベルナール・リウーに、ひとがひとにひたすら誠実であることのかけがえのなさをかたらせている。

 混乱の極みであるがゆえに、それに乗じるのではなく、他にたいしいつもよりやさしく誠実であること。悪魔以外のだれも見てはいない修羅場だからこそ、あえてひとにたいし誠実であれという、あきれるばかりに単純な命題は、いかなる修飾もそがれているぶん、かえってどこまでも深玄である。

 いまはただ茫然と廃墟にたちつくすのみである。だが、涙もやがてかれよう。あんなにもたくさんの死をのんだ海はまるでうそのように凪ぎ、いっそう青み、ゆったりと静まるであろう。そうしたら、わたしはもういちどあるきだし、とつおいつかんがえなくてはならない。いったい、わたしたちになにがおきたのか。この凄絶無尽の破壊が意味するものはなんなのか。まなぶべきものはなにか。

 わたしはすでに予感している。非常事態下で正当化されるであろう怪しげなものを。あぶない集団的エモーションのもりあがり。たとえば全体主義。個をおしのけ例外をみとめない狭隘な団結。歴史がそれらをおしえている非常事態の名の下で看過される不条理に、素裸の個として異議をとなえるのも、倫理の根源からみちびかれるひとの誠実のあかしである。大地と海は、ときがくれば平らかになるだろう。安らかな日々はきっとくる。わたしはそれでも悼みつづけ、廃墟をあゆまねばならない。かんがえなくてはならない。

(2011年3月16日水曜 北日本新聞朝刊より転載)
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