キョウ みんしんとう2

Blog「みずき」:こういう政党になお期待を寄せる「野党共闘」とはなにか。私の根本的な疑念はそういうものです。ゆきつく先は戦前の社会大衆党の末路ではないか。

『戦前の無産政党は長く離合集散を繰り返していたが、1931年7月に労農党・全国大衆党・社会民衆党合同賛成派が合同し、全国労農大衆党が結成された。これがきっかけとなり、さらに1932年7月24日に全国労農大衆党と社会民衆党が合同して、社会大衆党が結成された(安部磯雄委員長・麻生久書記長)。こうして、無産政党の統一が実現した。事実上の二大政党制を担ってきた民政党と政友会に対する、いわゆる日本憲政史上初の“第3極”である。

しかし、社会大衆党は陸軍統制派・革新官僚に迎合・接近していく。親軍路線を主導したのは、麻生久を中心とする旧日本労農党系のグループであった。麻生は1934年「戦いは文化の母である」と主張する「陸軍パンフレット」を「広義国防論」(戦争協力とひきかえに国民の社会権の保障を求める主張)の観点から支持。1937年に行われた総選挙で第3党に躍進する倍増の38名当選の成果を得たが、同年の日中戦争勃発を受けて、「国体の本義」を支持する新綱領を制定。その後も軍部との関係を強化し、1940年3月には、斎藤隆夫の反軍演説による懲罰動議に対して反対の姿勢を示し欠席・棄権した党首の安部磯雄、西尾末広、片山哲、水谷長三郎、鈴木文治ら8名に対し、麻生主導で除名処分にするなど、より親軍部の立場を鮮明にした。同7月に二大政党よりも早く、先頭切って自発的解散の形をとって消滅、大政翼賛会に合流した。』(ウィキペディア『社会大衆党』)


【山中人間話目次】
・こういう政党になお期待を寄せる「野党共闘」とはなにか。私の根本的な疑念はそういうものです。ゆきつく先は戦前の社会大衆党の末路ではないか
・朝鮮(北朝鮮)の「ミサイル発射」問題に関する辺見の問いは重層的だ
・デモクラシー・ナウ!は8月29日付けで安倍政権のJアラートによる緊急避難指示について「国民が避難に駆り立てられた」という見出しを立てて暗に同政権の拙速を批判する記事を書いています
・トランプ政権の末期的症状を示すニュースです――トランプ政権:「ポジティブニュース収集担当」が辞任 - 毎日新聞
・12年前の8月9日、以下の番組が放送されました。文字どおり谷口稜曄さんの「赤い背中」は原爆を背負い続けた60年でした
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