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2017.06.18
今日の言葉 ――立憲デモクラシーの会の大御所的存在の樋口陽一さん(東大名誉教授、憲法学)の「『きれいはきたない』の氾濫」という文章に見る「軽さ」はかれらの運動の軽薄さを象徴しているといえないか。
Blog「みずき」(1):朝日新聞の6月17日付の「温故知新」欄に掲載された樋口陽一さん(東大名誉教授、憲法学)の「『きれいはきたない』の氾濫」という文章を紹介する人がいましたので読んでみました。一読して言葉が軽い、と思いました。安易に過去の文学者の有名な小説の一説や現代日本の有名な漫画家(故人)の一世を風靡した漫画のネタをつなぎ合わせて、さらにはリンカーンやケネディ、与謝野晶子まで投入して恣意的な論をつくる。そこに見られるのは自分の教養(それもたいしたものでもない)をひけらかそうとする学者のうぬぼれた自尊心のようなものだけです。私は一読してこの学者の来し方の生き方の生ぬるさを思わざるをえませんでした。言葉が軽いから「人々の魂を動か」さないのです。そういう論をつくってどうする? そういう論を紹介してどうする? 樋口陽一さんは主に学者で構成される立憲デモクラシーの会の大御所的存在です。民主主義、立憲主義の重要性を言いながら、民主主義とは矛盾する天皇制(象徴天皇制)を支持してはばからないいまの学者界隈のていたらくを示してあまりある事例、というのが私の評価です。
Blog「みずき」(2):対して盛田常夫さん (在ブダペスト、経済学者)の日本の現代ポピュリズム=安倍政権批判は、たとえば以下の辺見庸の日本の「革新」批判ないしは「リベラル・左派」批判と相補する関係を構築しているように私には見えます。盛田さんの論は辺見庸言語の学者流の翻案と言ってみてもよいかもしれません(もちろん、盛田さんの論はオリジナルなものです )。私は両者の論に近似性を感じました。品のよさは学者としての盛田さんの論の方が一枚上回っていますが、「胸底につきささってくる」(宮崎悠さん、政治学者)という点では辺見の文章は群を抜きます。両者の論を相補って読めばポピュリズムというものへの理性的、感性的な理解の幅はさらに深まるのではないか、とは私の思うところです。盛田さんは鋭い目を持つ、さらに信頼のおける学者だというのが私の評価です。
【山中人間話目次】
・文章が軽いということについて――樋口陽一さん(東大名誉教授、憲法学)の「『きれいはきたない』の氾濫」
・盛田常夫さんの日本の現代ポピュリズム=安倍政権批判は辺見庸の日本の「リベラル・左派」批判と相補する関係を構築している
・鄭玹汀さんの三谷太一郎の日本近代史観、天皇観批判――『日本の近代とは何であったか―問題史的考察』(2017年)を読んで
・安倍内閣の支持率が第3次安倍内閣になってはじめて30%台に落ち込み、安倍内閣支持率の急落傾向ははっきりとしてきました
・共謀罪法案9つの論点の東京新聞の徹底検証(取材記者のコメント付)
【山中人間話】
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