キョウ だいどうじしょうじ3

Blog「みずき」:「死の覚悟求めて止まず花の雨」。生前刊行されたものとしては最後の句集『残(のこん)の月』の一句である。「花の雨」は、桜を打つ雨。獄中の大道寺将司はそれをみたわけではない。心の花を雨で散らせ、みずからに課した死を、くりかえしなぞったのだ。逮捕から約40年、獄中での自責と悔恨、死のシュミレーションは、かれの日課だった。つまり、かれは想念で毎日くりかえし死んでいた。大罪はむろん大罪である。大道寺がいくら詫びたとて、獄死したとて、事件の被害者はよみがえらない。遺族は救われない。その苛烈な諸事実の間の、気がとおくなるほどの距離に、しかし、なにもまなばないとしたら、40余年の時間とおびただしい死傷者は空しいムダにしかならない。若い人びとはおそらく知るまい。一見はげしく対立するはずの、ヒューマニズムとテロリズムの二点を結ぶ線分は、おどろくべきことに、かつて、それほど長いものではなかったのだ。直線的な理想主義とそれを根拠とする憤激が、あるとき短絡し、おぞましい殺りくを結果した例は、1970年代の連続企業爆破事件にとどまらない。連合赤軍事件も内ゲバ事件も、生まれついての暴力分子の手になるものではなく、まことに逆説的で皮肉なことには、もともと過剰なほど真剣に理想をとなえるものたちの所業だったのである。(略)大道寺将司が逝ったいま、二つのパラドックスが暗示するものを、わたしはじっとかんがえつづけるだろう。一つは、事件関与を除き、それだけをのぞき、かれが「高潔」といってよいほどの人格のもちぬしだったこと。もう一つは、連続企業爆破事件のころ、世の中はそうじて明るく、いまのように戦争とテロをリアルに予感せざるをえない空気はなかったのである。つけくわえれば、当時は、いまほどひどい政権ではなかった。われわれは今後、奇しき生を行き、奇しき死を死ぬだろう。(辺見庸「奇しき生と奇しき死ーー大道寺将司とテロの時代」 中国新聞 2017年5月28日

【山中人間話目次】
・辺見庸の「奇しき生と奇しき死ーー大道寺将司とテロの時代」――大道寺将司追悼
・太田昌国さん(評論家)の5年前の『棺一基』(大道寺将司句集)評
・内田博文さん(九州大学名誉教授)の「治安維持法から迫る共謀罪の本質~政府は何を甦らせようとしているか~」
・安倍政権の一連の国連軽視発言をうけて「日本は国連人権メカニズムに敵対的な国として認定されつつある」という高林敏之さんの重要な指摘
・仲宗根勇さん(元裁判官、うるま市在住)の乗松聡子さんと新垣勉さんの埋め立て承認撤回と県民投票の是非をめぐる沖縄タイムス紙上における議論の評価
・浅井基文さん(元外交官、政治学者)の安倍政権とメディアによる「作り上げられた朝鮮の『脅威』」論批判
Secret

TrackBackURL
→http://mizukith.blog91.fc2.com/tb.php/2284-e25a1c64