キョウ うちだじゅ2

Blog「みずき」:内田樹に対して「悪い印象はもっていなかった」、「リベラルな陣営にある人との思い込みは強」かったと反省する澤藤統一郎さん(弁護士)が、遅きに失した感は免れないのですが、その内田樹の「象徴天皇制」論を「憲法論としては、トンデモ説と酷評せざるを得ない」と厳しく批判しています。この澤藤さんの論が「リベラル・左派」陣営における内田樹評価を見直す契機になることを私は期待します。以下、澤藤統一郎さんの論をご紹介させていただこうと思いますが、この問題については私も先日内田樹を批判しています。その弊論はこちらです。合わせてお読みいただければ幸いです。

さて、澤藤統一郎さんの
内田樹の「象徴天皇制」論批判(要旨)は以下のとおり。

「内田樹に聞いてみたい。あなたのお考えでは、象徴天皇は、その本務として天皇の戦争責任にどう向き合うべきなのか。どうして、象徴天皇が、父親である昭和天皇の戦争責任を抜きにして他人事のように戦死者を「鎮魂」する資格があると考えられるのか。天皇の名の下の戦争で天皇に殺されたと考えている少なからぬ人々に、「謝罪」でなく「鎮魂」で済まされると本気で思っているのか。象徴天皇の本務として、侵略戦争の被害国民や、被植民地支配国民への謝罪は考えないのか。天皇制警察の蛮行により虐殺された小林多喜二ほか、あるいは大逆罪、不敬罪の被告人とされた被害者やその家族も、象徴天皇の本務たる「鎮魂」と「慰霊」「慰謝」の対象なのか。また、東条英機ほかの戦争指導者についても、現天皇は鎮魂してきたというのか。上記内田の一文は、文化史的な天皇論と、憲法上の天皇論が未整理に混在していてまとまりが悪い。文化史的な論述は自由ではあろうが、憲法論としては、トンデモ説と酷評せざるを得ない。

内田の結論は、「現代における天皇制の本義をこれほどはっきりと示した言葉はないと思います。何より天皇陛下ご自身が天皇制の果たすべき本質的な役割について明確な定義を行ったというのは、前代未聞のことです。私が『画期的』と言うのはその意味においてです。」というもの。これは、天皇の違憲行為の容認である。容認というよりは、むしろ称揚であり称賛でもある。天皇が、憲法上の天皇の役割を定義する権限はない。してはならないのだ。天皇の権限拡大を厳格にいましめたのが現行憲法にほかならない。

戦後の憲法解釈を良くも悪くもリードしたのは宮沢俊義(東大教授)である。彼の「全訂日本国憲法」(全訂第2版・芦部信喜補訂)74ページにこう記されている。「天皇の国事行為に対して、内閣の助言と承認を必要とし、天皇は、それに拘束される、とすることは、実際において、天皇を何らの実質的な権力をもたず、ただ内閣の指示にしたがって、機械的に『めくら判』をおすだけのロボット的存在にすることを意味する。そして、これがまさに本条(憲法3条)の意味するところである」

既述のとおり、天皇には「新しい憲法解釈を示」す権限はいささかもない。のみならず、天皇の行う『儀式』が宗教色をもつものであってはならない。「宮中で行う宗教的な儀礼」は、純粋に私的な行為としてのみ許容される。憲法7条の国事行為は、厳格な政教分離の原則に乗っ取って、一切の宗教色を排除したものでなくてはならない。天皇の行う『儀式』の中に、「祈り」や「鎮魂」「慰霊」を含めてはならない。世俗的に死者を悼む気持を儀礼化した追悼の行事は世俗的なものとして、天皇のなし得る「儀式」に含まれよう。しかし、死者の霊魂の存在という宗教的観念を前提とした鎮魂、慰霊は、政教分離違反の疑義がある。「祈り」も同様である。

いたずらに、形式的なことをあげつらっているのではない。天皇の、政治的・軍事的権力の基底に、天皇の宗教的権威が存在していたのである。天皇制の強権的政治支配の危険性の根源に、天皇の宗教的な権威があったことが重要なのだ。戦前の軍国主義も、植民地支配も、臣民に対する八紘一宇の洗脳教育も、神なる天皇の宗教的権威があったからこそ可能となったものであることを忘れてはならない。天皇に「鎮魂」や「祈り」を許容することで、再びの宗教的権威付をしてはならないのだ。日本国憲法は、天皇に再び権力や権威を与えてはならないと、反省と警戒をしている。内田の説示が天皇礼賛一色で、何の警戒色もないことに、驚かざるを得ない。」

【山中人間話目次】
・内田樹に対して「悪い印象はもっていなかった」、「リベラルな陣営にある人との思い込みは強」かったとという澤藤統一郎さん(弁護士)の反省――私がけっして天皇主義者にならないわけ
・澤藤統一郎さん(弁護士)の再度の「天皇制」批判――毎日新聞の天皇礼賛報道の虚に即して
・蟻塚亮二さん(仙台市在住、医師)の「実は基地引き取り運動の本当の矛先は、『本土の沖縄化反対』というような左翼の人たちに向けられているのではないか?」という指摘
・「きまぐれな日々」ブログ(kojitakenさん主宰)の「9条改憲もアブナイが、「リベラル」の現天皇依存症はもっとアブナイ」(2017.05.22)。私はこの論にまったく賛成するものです
・「ある文科省の職員は「『なかった』という結論は官邸の指示。調査は出来レースだった」と言い切った。」(毎日新聞 2017年5月19日)そういうことだと私も思います
・醍醐聰さん(東京大学名誉教授)はなれあいのシンポジウムをして、それでよしとするような人ではありません。私はこの森友・加計問題を考えるシンポジウム」に期待します
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