キョウ こっかいまえ
8月30日に警察が守っていたのは市民ではなかっ

Blog「みずき」:岩垂弘さん(元朝日新聞記者)の以下の見方(略)には私もその認識を共有します。しかし、「日本の大衆運動は4半世紀の長きにわたる沈滞期が続くが、2011年によみがえる」以後の岩垂さんの認識(略)は、この時期に大衆運動の戦線で起こった事態を正確に見ていない認識だと私は思います。その理由。第1。2011年の福島第1原発事故を機に起こった脱原発運動はたしかに国民の怒濤のような怒りを反映したもので、その怒りの規模も最大時で代々木公園に約17万人もの市民が結集し(「さようなら原発10万人集会」、主催者発表)、毎週金曜日に総理大臣官邸前で開かれていた脱原発集会にも最大時で12万人規模の市民が結集するなど凄まじいものがありました。しかし、官邸前の集会をたまたま主催したにすぎない首都圏反原発連合ミサオ・レッドウルフ野間易通がリーダー)はその後まるで「権威者」にでもなったかのようにふるまい、2012年6月29日の金曜日の官邸前抗議では警察指揮官車のマイクとスピーカーを使って警察と協同した「整然とした行動」を訴え、それに反対する市民を在特会も顔負けするほどの汚いヘイトスピーチで攻撃するなど脱原発運動を含む市民運動を決して「リベラル」とは言えない理念的には「反権力」とはおよそ言い難い「権力との協調」を強調する「権力」的なもの、組織的には反市民的、反社会的なものにしてしまいました。それ以後、根拠のない「放射能デマ」を拡散して得意然とするデマゴーグ、ヘイトスピーカーがこの世の春を謳い、脱原発運動、市民運動を誤誘導し、かつ、その誤誘導に感化される市民を増加させ、逆に多くの市民は脱原発運動なるものに見切りをつけていきました。第2。その延長線上に岩垂さんのいう2015年から2016年にかけての安保関連法制定反対運動もあります。シールズなる若者の運動体は首都圏反原発連合の警察との協同を強調する「整然とした行動」論を踏襲した理念的に未熟な、というよりも誤った運動体にすぎませんでした。その結果として安倍内閣と同様の実質的な憲法「改正」論でしかない「新9条論」を唱え、これも世論を誤誘導していきました。そうした負のスパイラルの新バージョンとしていまのいわゆる「野党共闘」論があり、いわゆる「リベラル・左派」の支持もあるのです。岩垂さんはそうした2011年以来の大衆運動のありようの重大な負の側面を大きく見損なっている、というのが私の評価です。

【山中人間話目次】
・岩垂弘さん(元朝日新聞記者)の2011年の福島第1原発事故以後の大衆運動に認識について
・「わざとらしさ」と「ふり」ということについて
・翁長知事の宮古島市長選候補者奥平一夫氏支援の不可解
・乗松聡子さん(カナダ、「アジア太平洋ジャーナル」エディター)の増田宙氏の論(沖縄タイムス「論壇」投稿、2017年1月7日付)に対する反論
・天皇の活動について、なぜ「音楽や絵画鑑賞」は公務で「大相撲観戦」は公務ではないのか? 私にも理解不能です

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