キョウ さわふじとういちろう3

Blog「みずき」:澤藤統一郎さん(弁護士)の宮中で旧新嘗祭の行事が執り行われる日(勤労感謝の日)の本日付けの記事に引用されている「神聖国家日本とアジア――占領下の反日の原像」(勁草書房1984年)の「あとがき」(鈴木静夫)の文章が私の心にも残りました(澤藤さんはこの「あとがき」が心に残ったから今日の記事を書いているのでしょう)。澤藤さんは同著の「あとがき」で紹介されている「東南アジア『懺悔』行」を書いた新日本宗教団体連合会に所属する二十六人の青年たちの思想と行動は「靖国の思想と真っ向から対立する」と書いています。「靖国は死者を、敵と味方、軍人と民間人に、徹底して差別する思想に立っている」とも。その「靖国の思想と真っ向から対立する」二十六人の青年たちの思想と行動を紹介した「あとがき」の文章自体は澤藤さんのブログで読んでいただくことにして、ここでは同著を読んだ澤藤さんの感想を「今日の言葉」としてとりあげておきたいと思います。

【新日本宗教団体連合会の二十六人の青年たちの思想と行動】
晩秋。雲の厚い陰鬱な勤労感謝の日である。晴天に恵まれた文化の日に神保町の「神田古本まつり」の露店で購入した本をひろげている。「神聖国家日本とアジアー占領下の反日の原像」(鈴木静夫・横山真佳編著、勁草書房1984年8月の刊)。(略)この本の惹句は、「第二次大戦下,日本はアジアの占領地域で何をしたか,相手側はどのように受けとめたか。現地調査と綿密なデータ収集で掘り起こし,現在も深い影を落している事を明かにした。」というもの。現地をよく知る6人の毎日新聞(元)記者が精力的な調査結果をまとめている。3年掛かりの作業だったそうだ。この書のキーワードは、アジアの人びとがもつ「対日不信の原像」である。帯には「これはすぐれた日本人論でもある。現地調査と研究が浮彫りにした日本の原像。この水準を越えるものは当分出ないだろう」と記されている。この書に記された独善と狂気と残酷を「日本の原像」というのか。アジアの占領地に「呪縛と支配の思想」を押しつけた、私より一世代前が「日本人の原像」だというのか。ますます陰鬱な一日となってしまった。私がこの本を買う気になったのは、以下の「あとがき」(鈴木静夫)に目が行ってのこと。大切な視点だと自分に言い聞かせるつもりで、引用しておきたい。「「東南アジアの対日不信」の調査、研究は一つの衝撃的な新聞記事との出会いから始まった。その記事は「東南アジア『懺悔』行」と題された一九八〇年五月十九日付の毎日新聞夕刊の記事である。新日本宗教団体連合会に所属する二十六人の青年たちが、三度目の東南アジアの戦跡めぐりをしたという囲みものの報告記であった。東南アジアの戦跡めぐりをする旧軍人やその家族はたくさんおり、そのこと自体は珍しくはないが、この記事が伝える内容は私を激しく揺り動かした。彼らは古戦場や軍人墓地を訪問したのだが、その訪問の仕方がまるで違っていたからである。(略)」ここで指摘されているのは、「戦争を被害者としての視点からだけではなく、自らを加害者として見つめ直すこと」、「侵略戦争を被侵略国の民衆の立場からありのままに見るべきこと」、そして「戦争がもたらした長く癒えぬ傷跡をあるがままにとらえること」である。この基礎作業なくして、対話も謝罪も、関係の修復も、真の友好と将来に向かっての平和の構築もあり得ない。このような考え方は、靖国の思想と真っ向から対立する。靖国は死者を、敵と味方、軍人と民間人に、徹底して差別する思想に立っている。天皇や国家のための忠死故に「英霊」と顕彰するとき、既に戦争が美化されている。その戦争が醜い侵略戦争であったこと、皇軍は加害軍であったことが隠蔽される。靖国の思想とは、戦争を美化して次の戦争を準備する思想といってよい。靖国史観に、侵略された国々の民衆の歴史を対峙させることの意味は大きい。(
澤藤統一郎の憲法日記 2016年11月23日

【山中人間話目次】
・小倉利丸さん(富山大学名誉教授。ピープルズ・プラン研究所共同代表)の武藤一羊著『戦後レジームと憲法平和主義』書評
・木村剛久さん(元編集者。「海神日和」ブログ主宰者)の『宇沢弘文傑作論文全ファイル』を読む(1)
・郷原信郎弁護士の『「小池劇場」で演じられる「コンプライアンス都政」の危うさ』という小池都政批判
・スティグリッツ氏(2001年ノーベル経済学賞を受賞、米国を代表する経済学者)のトランプの経済政策批判
・共産・志位委員長は「問題解決に向けての前進と評価」談話(2015/12/28)を撤回せよ!!という主張に強く同意する
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