キョウ いくみな4 
原画は山下清「観兵式」(1937年)

Blog「みずき」:徐京植さんの辺見庸の新刊『完全版1★9★3★7(イクミナ)』の解説のさらにレクチャーとしてのハンギョレ紙寄稿文を読んで第一に私が思ったのは徐さんの「在日」という立ち位置です。その立ち位置ゆえに書くことのできた辺見庸の新刊の渾身の解説(レクチャー)であるということです。このレクチャーには徐さんの「在日朝鮮人」という立ち位置の心性が強く反映しています。辺見の父がまだ子どもだった辺見に野蛮な怒気をふくんだ声で言い放った「朝鮮人はダメだ」という言葉、「あいつらは手でぶんなぐってもダメだ。スリッパで殴らないとダメなんだ……」という罵倒の言葉への徐さんの反応にその心性の強さは如実に現われています。徐さんは書きます。「『朝鮮人』である私には、平静な心でこのくだりを読むことが、できない。私自身が殴られたわけでもないのに、神経がこすり上げられたような痛みと嫌悪を感じる」、と。そこからのニッポンという国への問い。辺見庸の評価。その問いと評
価が読む者の胸を打つのです。辺見庸の新刊の優れた解説、レクチャーになっていると思います。

【昨今の日本社会はますます「発狂」の度を深めている】
辺見庸は将校として中国戦線に従軍した自らの父も、このような行為に手を染めたのではないかと疑っている。いや、ほとんどそのことを確信しているのである。〈このひと(辺見の父)はなにをしてきたのだ。なにをみてきたのか。それらの疑問はけっきょく問いたださなかったわたしにも、不問に付すことで受傷を避ける狡いおもわくがどこかにあったのであり、ついに語ることのなかった父と、ついにじかには質さなかったわたしとは、おそらくは同罪なのだ。訊かないこと――かたらないこと。多くの場合、そこに戦後精神の怪しげな均衡が保たれていた。〉そうだ。「かたらないこと」「質さないこと」によって日本の「戦後精神の怪しげな均衡」は保たれてきたのだ。あえて語ろうとするもの、質そうとするものは「スルー」(through)され孤立させられる。それが日本社会を成り立たせてきた。辺見庸は父の肖像を描くことによって、薄笑いの表皮に隠された戦後日本人の素顔を描いた。大虐殺の余燼がくすぶり、血の匂いが消えやらぬ中で堀田や武田の文学が切り開こうとしたのは、他者の目で自己を見つめ、自律的な倫理的更生を目指す道であった。その道を歩もうと志した人々は、戦後の一時期、少数ながらたしかに存在していた。いまは雑草に覆われ地図からも消されようとしているこの道を、辺見庸という作家が辿ろうとしている。〈いつだったか、まだ子どものころ、酔った父がとつじょ言ったことがある。静かな告白ではない。懺悔でもなかった。野蛮な怒気をふくんだ、かくしようもない、かくす気もない言述である。この記憶はまだ鮮やかだ。「朝鮮人はダメだ。あいつらは手でぶんなぐってもダメだ。スリッパで殴らないとダメなんだ……」。耳をうたぐった。発狂したのかと思った。…〉「朝鮮人」である私には、平静な心でこのくだりを読むことが、できない。私自身が殴られたわけでもないのに、神経がこすり上げられたような痛みと嫌悪を感じる。韓国国内のみなさんはどうだろうか? 職場の同僚や近隣の住民、温厚で理性的にしかみえない人々の心の奥底にこの心理が巣くっていて、時ならず噴き出すのではないか。その予感に私はいつも身構えている。それが植民地支配ということであり、「朝鮮人」であるということなのだ。ここでの「朝鮮人」を「黒人」「インディアン」あるいは「女」などに置き換えてみれば、全世界的に拡散し、いまも克服されていない植民地主義の心性がよく見える。

考えてみれば、辺見庸の父が少数の例外であったはずはない。それは日本人と朝鮮人の間で日常化していた行為であった。日本は「文明化」をかかげて朝鮮を「併合」した後も、朝鮮において非文明的な刑罰である笞刑を残し、それを朝鮮人にだけ適用した(金東仁「笞刑」参照)。笞の一振りごとに、激痛と屈辱が朝鮮人の身体に文字どおり叩き込まれた。同時に、笞を振るう官憲やそれを傍観していた日本人植民者は、一振りごとに奴隷主の心性をおのれに叩き込んだのである。「発狂したのか」というのなら、突然にではなく、「琉球処分」に始まり、日清・日露戦争を経て、アジア・太平洋戦争に至る近代史の始発点から「発狂」していたのだ。笞刑はその一例に過ぎない。しかも、戦後の日本人にはその歴史を骨身に沁みて省察し、「正気」に返る機会はあったのに、ことごとくその機会を「スルー」してきた。昨今の日本社会はますます「発狂」の度を深めている。すでに「在特会」など日本の排外主義者たちはそのことを意識的に実践しており、先日の都知事選では11万人以上の日本市民が彼らに投票した。その人々は「スリッパ」で私と私の同胞たちを殴っているのだ。そんな中で、たとえたった一人でも、日本人作家のこのような作品に接することができたことは僥倖であった。まだ「正気」を保とうとしている人が辛うじて生き残っているしるしであるからだ。奴隷が叩き込まれた奴隷根性を克服することが困難なように、奴隷主が苦痛に満ちた自省の過程を経ずしてその心性を捨て去ることはきわめて困難であろう。日本社会に、そのような自省の必要を認識し、努力を惜しまない人々が存在することを私は知っている。しかし、その数は少なく、きわめて微力である。私はこの小文を、辺見庸という作家を韓国の人々に知ってもらいたくて書いた。それは「日本と日本人」がいかに救い難いかを嘆くためではない。辺見庸の作品に「希望」を見て自らを慰めるためではない。私たち朝鮮人が自らに叩き込まれた「奴隷根性」を自覚し、それを克服して植民地主義と闘い続けるためである。(
徐京植 ハンギョレ 2016.11.04

【山中人間話目次】
・東京新聞の沖縄・高江に焦点を当てた憲法特集
・森川文人さん(弁護士)の「夜、立ち上がれ Nuit debout!」
・メキシコのジャーナリストたちの死の危機――なぜ日本のメディアは報道しないのか
・「日本パグウォッシュ会議」が体制を強化し、活動活発化に向けて再出発するというニュース
・日本と中東の男女格差はどちらが深刻か- 川上泰徳 ニューズウィーク日本版
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