キョウ そびえと3

Blog「みずき」:木村剛久さん(元編集者)の昨年ジャーナリストとして初めてノーベル文学賞を受賞したスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチの新作『セカンドハンドの時代』評。本書は日本でも評判になった前作『チェルノブイリの祈り』から16年を経てようやく刊行されました。ソヴィエト時代を生き延びた人びとについて書かれた5部作の最後の作品にあたるといいます。「ここに記録されているのは、迫害や時の流れによって魂を引き裂かれ、孤独に苦しみながらも、それでも救済と愛と幸福を求めようとする人びとの物語である」。「見ざる、聞かざる、言わざるが、人の魂のさけびやささやきが伝わってくるのを遮断する。魂は見えないし、聞こえない。その声が表にでるまでには、長い時間を要する。人は世界につらぬかれ、歴史につらぬかれる。そのとき、魂が声を発するのだ。だが、その声が表にでるときは、かぎられている。むしろ封印は永遠に解けないのが通例かもしれない」。「しかし、人類に可能性があるとすれば、文学の照明によって、魂が呼び覚まされ、新たな共同主観の地平が開けるときでしかない。そうでなければ、人はいつまでも自同律の不快を経験することになるだろう」。木村さんは60年代後半に青春を生きた当時の青年らしく埴谷雄高の有名な「自同律の不快」という言葉を用いて本書を評しています。


【どんよりした重苦しい時代がカネの威力をともないつつふたたびはじまる】
執筆におよそ20年の歳月がかけられた。著者のスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチは、ベラルーシ(それともロシアというのがいいか)のジャーナリスト。2013年に本書が出版されてから2年後にノーベル文学賞を受賞した。原著は日本でも評判になった前作『チェルノブイリの祈り』から16年をへて、ようやく刊行された。ソヴィエト時代を生き延びた人びとについて書かれた5部作の最後の作品にあたるという。これらの作品は、どれも翻訳されていて、幸いにも日本語で読むことができる。(略)〈わたしは、「家庭の」……「内面の」社会主義の歴史をほんの少しずつ、ちょっとずつ、拾い集めようとしながら書いている。人の心のなかで社会主義がどう生きていたかを。人間というこの小さな空間に……ひとりの人間に……わたしはいつもひかれている。実際に、すべてのことが起きているのは、そのなかなのだから。〉ここには、本書の方法のすべてが示されているといってよい。著者は、魂を開示してくれる人をさがしていた。「わたしがさがしていたのは、思想と強く一体化し、はぎとれないほどに自分の思想を入らせてしまった人で、国家が彼らの宇宙になり、彼らのあらゆるものの代わりになり、彼ら自身の人生の代わりになった、そういう人びと」ソヴィエト人は、戦争人間で、いつも戦争に備え、自分が奴隷であることにずっと気づかず、自分が奴隷であることを愛してさえいたという。ペレストロイカは、そうしたソヴィエト人の虚妄を白日のもとにさらした。国家はすでに人の心を支配できなくなりつつあった。そして、あらゆる価値が崩れ、待ちに待っていた自由の日々がはじまる。ドストエフスキイは、かつてこう言ったとか。「人間は弱くて浅ましいものだ。……あのようなおそろしい賜物を自分のなかに受け入れることができないからといって、弱い魂になんの罪があろうか」ソ連崩壊から20年、ロシアでは、またソ連時代のものがはやっている、と著者はいう。ソロフキやマガダンなど、かつての収容所をめぐるツアーに人気が集まっている。共産党をコピーした権力政党が復活し、大統領の権力は昔の書記長並みになっている。いったい未来はどこに行ってしまったのか。時代はまた元に戻ってしまったのか、と著者はいぶかる。セカンドハンドの時代というタイトルには、また同じどんよりした重苦しい時代が、しかし、こんどはカネの威力をともないつつ、ふたたびはじまるのではないかという不安が隠されている。(
木村剛久「海神日和」2016-11-01

【山中人間話目次】
・『セカンドハンドの時代』を読む(1) -木村剛久「海神日和」
・2016年のいまだってなんにも、1ミリも進歩していないこと。どころか、目下劇的に退歩中――辺見庸「日録」(2016年11月1日)
・常岡浩介さんのクルド地域政府警察の不当拘束、中田考さんのリサイクルショップへの家宅捜索と自民党と民進党のTPP承認案11月4日採決合意と。
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