キョウ めどるましゅん2

Blog「みずき」:「今日の言葉」は小倉利丸さんの「戦争法(安保法制)下の共謀罪 -なぜ、いま、「テロ等組織犯罪準備罪」なのか-」という論のうち最終章の「最大の課題は、正義のためにやむをえず法を逸脱することをどのように考えるのか、にある」という論のみピックアップして取り上げています。ここでの問題提起は、現在の運動のあり方に対する小倉さんの根底的な違和感の表明とそれを払拭するための小倉さん流の根底的な問題提起となっていると考えるからです。小倉さんは次のようにも私たちに問いかけています。「(共謀罪)法案反対運動のなかでは、往々にして、運動の側は常に憲法が保障する言論・表現の自由の権利に守られており、違法な行為は一切行なっていないのに、権力が法を濫用して不当な弾圧をしかけてくる、という前提がとられる。しかし、現在の状況は、こうした遵法精神を前提とするだけで運動が正当化されるという狭い世界に運動を閉じこめていいのかどうかが問われている。いやむしろ現実の運動は、警察や政府にとっては「違法」、わたしたちにとっては正当な権利行使、としてその判断・評価が別れる広範囲の「グレーゾーン」のなかで、民衆の抵抗権の確立のために戦ってきたのではないだろうか」。

【法を執行する権力が同時に合法・違法の判断を下す権限を独占する「正義」とは】
法案反対運動のなかでは、往々にして、運動の側は常に憲法が保障する言論・表現の自由の権利に守られており、違法な行為は一切行なっていないのに、権力が法を濫用して不当な弾圧をしかけてくる、という前提がとられる。しかし、現在の状況は、こうした遵法精神を前提とするだけで運動が正当化されるという狭い世界に運動を閉じこめていいのかどうかが問われている。いやむしろ現実の運動は、警察や政府にとっては「違法」、わたしたちにとっては正当な権利行使、としてその判断・評価が別れる広範囲の「グレーゾーン」のなかで、民衆の抵抗権の確立のために戦ってきたのではないだろうか。例えば、エドワード・スノーデンによる米国の国家機密の意図的な漏洩や、ジュリアン・アサンジウィキリークスなどによる組織的な国家機密の開示運動は、いずれも違法行為である可能性が高い。彼らとその支援者の活動は、新共謀罪の適用もありうるような行為といえるかもしれない。彼らは敢て法を犯してでも、実現されるべき正義があると考えて行動し、この行動に賛同し支援する人びとが世界中にいるのだ。私たちは、彼らが違法な行為を行なったからという理由で、その行為を否定したり、法の範囲内で行動すべきだ、と主張すべきだろうか?私はそうは思わない。(略)私は、こうした警察の介入を法と秩序を維持する上で正しく、法を逸脱した反政府運動が間違っているということにはならないと考えている。むしろ、法を執行する権力が、同時に合法・違法の判断を下す権限を独占し、法を口実に、民衆的な自由の権利を「犯罪化」しようとすることが世界中で起き、こうした法を隠れ蓑に民衆の権利を「犯罪化」するやりかたへの大きな抵抗運動が起きているということではないだろうか。(略)日本も例外ではない。沖縄の辺野古や高江での米軍基地建設反対運動では多くの逮捕者を出している。阻止のための実力行使も行なわれている。私は、そのような行為を「言論」による闘いに限定すべきだとして否定すべきだとは思わない。(略)権力は過去の教訓や経験の蓄積から多くのことを学び、現状において利用可能な手法を再生したり復活させようとする。この権力の構造的な記憶装置をあなどることはできない。新共謀罪法案はこの典型的な例ではないかと思う。これに対して、反政府運動の側は、歴史の過ちを引き合いに出すだけでは十分ではないだろう。むしろ、歴史を踏まえつつ、民衆的自由を実現できる社会を新たに創造することを視野に入れた運動を生み出すことがなければならないと思う。(小倉利丸ブログ 2016年10月30日

【山中人間話目次】
・戦争法(安保法制)下の共謀罪 -なぜ、いま、「テロ等組織犯罪準備罪」なのか- -小倉利丸ブログ
・高田昌幸さんのコメントへの返信 ――リベラルとジャーナリストと糞バエについて
・朴槿恵(パク・クネ)政権は終焉の様相。各国のメディアはいまの韓国の事態をどう見ているのか?
・Love Letter(監督:岩井俊二。1995年)所感 ――熱いものがこみあげてくる映画だった
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