キョウ にいがた

【二重にも三重にも誤っている事実認識から生み出される「思想」なるもの】
このフェイスブックの
記事は二重にも三重にも誤っています。第1。同記事が無条件に正しいものとして引用しているツイッター記事は新潟日報の記事は泉田知事へのネガティブ・キャンペンと断定するもの。しかし、その断定は正しいか。ここでネガティブ・キャンペンとされている新潟日報の記事は泉田県政が主導してきた日本海横断航路計画のフェリー契約トラブル問題と法律で作ることが義務づけられた県の福祉・医療4計画の未策定問題に関するキャンペン。どういう問題か。一方の当事者である新潟日報はこの問題について次のように書いています。「フェリーは中古で、県が約65%を出資する新潟国際海運がパナマのペーパー子会社を通じ、韓国企業から約5億円で購入した。速度不足を理由に船の受け取りを拒否したが、海事仲裁機関は仲裁判断で県側に支払いを命じ、船を取得できないまま2億円超の損失が出る恐れがある。この問題を巡っては、車の車検に当たる船級が失効し再取得も困難だったことや、必要な改造費が購入価格を大幅に上回ることなどが次々と判明した。県議会で集中審議をしたが、ずさんな契約がなぜ行われたのか、どういう過程で意思決定がなされたのか、真相は不明のままだ。むしろ、ほかに責任を転嫁する知事の姿勢が浮き彫りになったと言わざるを得ない。2008~14年度にわたった法定4計画の未策定も同様である。本紙が開示請求した関係文書の多くが黒塗りで非公開だった。未策定が続いた理由や誰の判断だったかは明らかになっていない。これでは県民が納得するはずがない。知事は全ての情報を開示する責務がある。県民への説明責任を果たしてもらいたい」(新潟日報社説 2016年8月31日)。

この泉田知事と新潟日報の応戦についての中立者の意見は次のようなものです。「不出馬の理由に報道を挙げるのは意味不明で「裏に何かあるのでは」と勘ぐられても仕方がない。新潟日報も、辞めていく人の発言を「圧力」と言うのは解せない。問題とされた記事を再取材し、続報を出すべきで、それが読者に対する誠実な態度だろう。(
服部孝章・立教大名誉教授(メディア法) 毎日新聞 2016年9月1日)「地元紙が知事に批判的であることには何の問題もないが、「県に説明を求める読者投稿への県回答」を「総合的に判断し掲載を見送った」というのは普通に考えて解せない。」(toriiyoshiki・ETVディレクター Twitter 2016年9月1日

この問題についての中立者であり、メディア問題に関して識見のある人たちが新潟日報の側にも問題点があることを指摘した上で「地元紙が知事に批判的であることには何の問題もない」と言っているものを一方的に「ネガティブ・キャンペン」などと断定するのは正しい態度とはいえないでしょう。第2。同記事は、米山知事の誕生=泉田前知事の信任という図式で記事を書いていますが、泉田前知事と米山新知事は柏崎刈羽原発の再稼働問題について「福島第1原発事故の検証と総括が不十分」として慎重な姿勢をとっているという点で現段階で一致しているというだけで、米山新知事は泉田前知事の後継というわけでもなく、政治信条も思想的立場も別人格の知事であることもいうまでもありません。もちろん、米山知事の誕生=泉田前知事の信任ということでもありません。第3。米山知事が誕生したことは「新潟日報の終わり」をもちろん意味していません。仮にこれまでの新潟日報の記事に「泉田知事へのネガティブ・キャンペン」の側面があったとしても、すでに第1で述べたように「地元紙が知事に批判的であることには何の問題もない」ことです。要は新潟日報という新聞社のジャーナリズム精神のありようの問題です。そのジャーナリズム精神のありようを問題にするのではなく、報道の自由を抑圧するような「新潟日報の終わり」というような決めつけ方は二重にも三重にも誤っている事実認識と思想の貧困の結果というべきものです。(
東本高志フェイスブック 2016年10月17日

【山中人間話目次】
・新潟県知事選、自公が負けたのは良いが「めでたさも下の下くらい」
・新潟日報の泉田知事批判を一方的にネガティブ・キャンペンと断定する態度は正しいか?
・屋良朝博さんの「沖縄の米軍基地問題は基地集中の解消に尽きる」という論の盲点
・加藤哲郎さん(一橋大名誉教授)の「アメリカ大統領選ヨゼフ・ナイ的ソフトパワーの失敗作」という論
・醍醐聰さんの上村達男氏(前NHK経営委員)批判と赤旗批判 ――上村達男氏のNHKガバナンス論の真贋~赤旗編集局への書簡(4/7)
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