キョウ やとうきょうとう5

Blog「みずき」:鬼原悟さん(「アリの一言」主宰者)は下記の醍醐聰さん(東大名誉教授)の論に関連して目下の衆議院東京10区と福岡6区の補欠選挙をはじめとする野党共闘の問題を取り上げて次のように述べています。「問われるのは、こうした民進党と「共闘」している日本共産党、社民党、自由党(旧生活の党)の各党、とりわけ自らの候補者を降ろして民進党候補に一本化した共産党の責任です。これらの党は辺野古新基地にも高江ヘリパッドにも「反対」のはずですが、賛成する民進党と「共闘」することによって、しかも「政策協定」すら結ばないで事実上選挙戦から撤退することによって、安倍政権に審判をくだすべき重要な選挙で、沖縄の基地問題、辺野古・高江がまったく争点にならないことを容認した、いや加担したのです」、と。この鬼原さんの指摘に私も強く同意するものです。

【沖縄切り捨て政治を支持・黙認し続けるのかという自問の大切さ】
9月25日、「米軍基地引き取り論」をテーマにしたシンポジウムが都内で開かれた。パネリストの一人の
高橋哲哉氏(東大大学院教授)は「8割が安保条約を肯定している本土の人々は、安保に伴う基地負担を沖縄に押し付けず、本土への引き取りという形で当事者責任を果たすべきだ」と述べた。もう1人のパネリストの成澤宗男氏(「週刊金曜日」編集部員)は、植民地支配の張本人であるアメリカを横に置いて、沖縄と本土を分断し、基地の引き取りを論じることに根本的な異議を提起した。沖縄に基地負担を押し付けてきた政治を容認してきた本土の有権者にも当事者責任が問われるのは当然だ。しかし、その責任を「基地の引き取り」という形で果たすべきという主張には同意しない。高橋氏の議論を聞いて、基地引き取りの2つの意味が使い分けられていると感じた。一つは、沖縄の基地を本土の人々に突きつけることによって、基地負担を負わせる安保条約の廃棄へ向けた気運を醸成するという意味である。しかし、基地引き取り論にはそれだけでなく、沖縄の米軍基地を現実に本土へ移設するという意思が込められているはずだ。現に、高橋氏は本土引き取りを提起することによって、辺野古が唯一という主張を突き崩す選択肢を示す意味があると語った。

しかし、本土への引き取りといっても、いつのことか計り知れない観念論ではないかという成澤氏の指摘に対し、高橋氏は自覚喚起の意味での基地引き取り論を再論した。これでは成澤氏が提起した現実論への応答にならない。だが、移設条件なしの米軍基地の閉鎖・撤去を目指すよりも本土への基地引き取りの方が、沖縄からの基地の全廃に向けた戦略として実現の可能性が高いといえるのか。実現の見通しもないまま提示した「引き取り論」が頓挫して、「やはり辺野古しかない」という議論に回帰してしまうように思える。これで喜ぶのは日本政府ではないか? 今、本土に問われるのは、自民党のみならず野党も沖縄の基地問題を国政選挙の争点に据えようとしないことである。蓮舫民進党代表は辺野古移設という民主党政権当時の大枠を堅持すると公言した。それに伴い、沖縄問題は野党共闘の共通公約から外されようとしている。共闘を求める市民団体や支持者からもこれを正す動きはない。これでは本土の野党、市民も沖縄切り捨ての共犯者である。今こそ本土の有権者は、自分が引き受けたくない基地を沖縄に押し付けている沖縄切り捨て政治を支持・黙認し続けるのかと自問しなければならない。こうした有権者一人一人の自問、答責を抜きに沖縄の基地負担を全廃する政治を本土から生み出すことはできないのだ。(
醍醐聰 琉球新報「論壇」2016年10月3日

【山中人間話目次】
・「辺野古・高江」を問わない「野党共闘」は沖縄切り捨ての共犯 - アリの一言
・ヨゼフ・ナイ的ソフトパワーの「失敗作」としての今回のアメリカ大統領選とニッポンのゆく末-加藤哲郎のネチズン・カレッジ 2016.10.15
・醍醐聰さんの上村達男氏(前NHK経営委員)批判と赤旗批判 ――上村達男氏のNHKガバナンス論の真贋~赤旗編集局への書簡(3/7)
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