キョウ はんなあれんと

Blog「みずき」:「今日の言葉」は(1)と(2)の二葉。(1)は広島文学資料保全の会事務局長の池田正彦さんの言葉。(2)は前広島市立大学広島平和研究所教授の田中利幸さんの言葉。おふたりの言葉ともオバマ広島訪問に対する日本国民とメディアの異様なまでの歓迎ぶりに日本人総体の凄まじいまでの日本的コンフォーミズム(大勢順応主義、あるいは同調主義)の思想的惰弱を見る内省の人の獅子吼の声というべきものでしょう。ニッポン人の一員としてのおのれの慙愧と無念の思いが音のようになって洞の空間を蹂躙しているかのような号泣の声です。先にも述べた「権力に対する戦いは忘却に対する記憶の戦いだ」という徐京植の引くミラン・クンデラの言葉を私たちはいま思い出してもよいでしょう。


【今日の言葉(1)】
毎年恒例化した広島の八月六日は終わった。今年は、五月二七日のオバマ大統領広島訪問直後の「8・6」であり、内外から注目された。今まで、広島市長の「平和宣言」は、「核兵器の製造と使用を全面的に禁止する国際協定の成立に努力を傾注し、もって人類を滅亡の危機から救わなければならない」(
一九五八年、平和宣言・渡辺忠雄市長)の流れを踏襲し、政治的立場はどうであれ、反核の立場を明確に示しつづけてきた。その背景に、一九五五年第一回原水爆禁止世界大会が開催されるなど、世界中で高まりつつあった反核運動・世論が後押しした。では現在、広島はどのような状況になっているのだろう。八時一五分黙祷後、松井広島市長の平和宣言は、予想通り「アメリカの核の傘」にまったく言及しない空疎な内容に終始した。それはそうであろう。オバマ訪問時「広島に来てもらうだけでも……」と無邪気な歓迎気分を演出した張本人の一人でもあるから。それに広島の一部の平和団体も相乗りし、この雰囲気に同調しない意見はかき消された感がある。原爆報道の雄といわれた某新聞社も「悲願が達成された」と書き(略。いつ悲願となったのであろうか)オバマ歓迎ムードを煽った。とまれ、革新市長といわれた秋葉市長時代、あの「プラハ演説」を都合良く解釈し、オバマジョリティなどの造語までつくり(Tシャツやオバマジョリティ音頭までつくった)浮かれ騒いだ前歴をついつい思い出してしまった。(略)これだけではない。原爆ドーム東側のビルは、地上一四階にリニュアール(おりづるタワーと命名)。一四階から原爆ドームを見下ろすという趣向で、入館するのに1700円かかるという。そこから鶴を折り、下に投げ入れるのに500円。一階は広島の観光土産が並び、オープンカフェで飲食が提供される。ドームのすぐ近くの元安橋のたもとでは、一部市民の反対にもかかわらず「かき船」(移動可能な船との触れ込みだが、とても移動できる工作物ではない)が営業し、ドーム東側一帯を「おりづる通り」の愛称が付けられたと新聞は伝える。(略)いま広島は「平和」を売りにする観光の街に形骸化している。オバマ歓迎もその一環としてとらえれば、他愛のない商業主義と片付ければいいのだが、「核兵器なき世界」もオバマが折ったといわれる折鶴に収斂させ、「積極的平和主義」を標榜する安倍政権にとって大骨・小骨も抜く広島での実験は成功しつつある。友人は、この現象に皮肉を込めて「広島の液状化」と称した。(略)改めて栗原貞子の言葉を思い出す。「アメリカの原爆使用は絶対容認できない。でも原爆の悲惨を訴えるだけではアジア・太平洋の人々の共感を得ることはできない。日本が過去の過ちを反省し、再び戦争をしないという決意を示したとき、広島の訴えが届く」8月15日―あの戦争に向き合う広島であってほしい。そう思うのは私たちだけではないはずである。広島の夏が、8月6日で完結する見慣れた風景の中で、広島の「平和度」が今問われている。(池田正彦(広島文学資料保全の会事務局長) 2016年9月10日

【今日の言葉(2)】
*「わたしたちの社会には、裁くことに対する恐れが広まっている ……. 悲しいことに、生きているか死んでいるかを問わず、権力と高い地位をえている人々の罪を問うことにたいする恐怖はとくに強い」。これは
ハンナ・アレントが、彼女の著書『イェルサレムのアイヒマン』(1963年)に向けられた猛烈な批判への応答として、1964年に著した論考「独裁体制のもとでの個人の責任」の中で述べた言葉である。それから半世紀以上を経た2016年5月、被爆者を含む大半の広島市民と日本国民は、「権力と高い地位をえている人々の罪を問うこと」はすっかり忘れているため、「恐怖」を感じるどころか、人類史上最も重大な犯罪の一つである原爆無差別大量殺戮に対して71年過ぎてもその加害責任を認めようとしない米国大統領を、被害国のペテン師的な首相の肝入りで大歓迎するという愚行をおかした。さらに悲壮的なのは、その愚行を、地元の中国新聞をはじめ、これまた日本の大半のメディアがこぞって褒めたたえたことである。これを「愚行」と呼ばなければ、なんと表現すべきなのか、私には他に言葉が見つからない。オバマ広島訪問は、我々が決して忘れてはならない重大な戦争犯罪の「罪」と「責任」の問題をすっかり忘却させるという、決定的な思考的打撃=精神的麻痺を広島市民と日本国民に与えたという意味で、「被爆地・広島」の今後の「反核運動」にとって深刻な禍根となる歴史的な出来事であった。この打撃の深刻さが歴史的に見ていかに重要であるかに大半の広島市民と日本国民が気がついていないこと自体、実は日本の民主主義にとってはさらに深刻な事態なのであるが。私は、このオバマ訪問と、同じく広島市民が熱狂的に歓迎した1947年12月の天皇裕仁の広島訪問の二つは、広島の反戦反核運動を決定的に骨抜きにし、日本の民主主義そのものにも致命傷的悪影響を与えたと考えている。(田中利幸 2016年9月10日

【山中人間話目次】
・オバマ広島訪問再考 液状化する広島-池田正彦(広島文学資料保全の会事務局長)
・オバマ広島訪問再考 ハンナ・アレントの目で見るオバマ大統領の謝罪なき広島訪問-田中利幸
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