キョウ からす

Blog「みずき」:「今日の言葉」として短文化するために、徐京植さんの指摘する「虚構の平和憲法」問題に絞って「からす」と題されたコラムの主題に関わる文章は根こそぎ省略しています。したがって、この要約された文章だけではなにゆえに「からす」なのかはわかりません。ぜひ、徐京植さんの全文をお読みください。それにしても、「権力に対する戦いは忘却に対する記憶の戦いだ」というミラン・クンデラの言葉は心に突き刺さってくる言葉です。そのクンデラの言葉と、「時間の経過というものは、いつでも加害者の味方だ」という徐京植さんの言葉は胸に刻みつけておきたい言葉です。

【虚構の「平和憲法」下の現実】
日本のいわゆる「平和憲法」は、すでに以前から真の平和憲法ではない。それは米国から核の傘を提供され、自衛隊という名の世界有数の軍事力を備え、明治初期に植民地化した沖縄に基地負担の大半を押し付けた上で成立している虚構の「平和憲法」である。しかし、日本の「平和憲法」は、日本人自身が勝ち取ったものというより、中国、朝鮮、アジア諸民族の頑強な抵抗と膨大な犠牲によって収穫された果実でもある。軍備と交戦権を禁じる「平和憲法」は日本国民だけの独占物ではなく、アジアの被害者たちのものでもある。被害者の同意なしに解釈変更や改定をしてはならないはずだ。(略)日本国の為政者は「唯一の被爆国として」という決まり文句を繰り返す。国民の多数も同じ決まり文句を唱える。それだけで自分たちは平和の側にいると思い込んでいる。しかし、同時にアメリカの「核の傘」の下にあるということを日本国民の多数が支持している。場合によっては他者の頭上に核兵器が降り注ぎ、ヒロシマ・ナガサキ以上の惨禍をもたらすことも承認しているのだ。オバマ大統領が核兵器先制不使用を宣言すること検討していると知ると、日本政府はそれに反対の意向を示したと伝えられる。国連核軍縮作業部会は8月19日、核兵器禁止条約の締結に向けた交渉を2017年の国連総会で開始するよう勧告する報告書を賛成多数で採択した。しかし、「唯一の被爆国」を自任する日本は棄権した。(略)

丸木夫妻が私財を投じて建てた美術館の庭に「痛恨の碑」がある。1923年の関東大震災後、6000人ともいわれる朝鮮人が日本の一般民衆と軍警によって虐殺された。丸木美術館のある地域でも、虐殺があった。そのことを決して忘れまいという意志で、地域住民の反発をおして丸木夫妻がこの碑を建てたのである。日本国民の中に丸木夫妻のような人たちがいることを、私は忘れたくない。その意志を受け止め、毎夏「原爆の図」を展示してきた高橋住職のような人々や、その講話に真剣に聴き入る市民がいることも知っている。だが、残念ながらその数は年々減少している。71年前の戦争の記憶が薄れているだけではない、つい先日と言えるほど近い過去にあったフクシマ原発事故についてすら、罪深い忘却の気配は色濃い。「時間の経過というものは、いつでも加害者の味方だ」、私は「原爆忌」当日のトークでそう述べた。「権力に対する戦いは忘却に対する記憶の戦いだ」(ミラン・クンデラ)とすれば、(少なくとも日本社会では)人々はこの戦いに一貫して敗北してきたというほかない。忘却どころか、むしろ、記憶の基礎となる言語とその概念自体が内側から腐るように崩れている。「平和」の名のもとに戦争準備を進め、「唯一の被爆国」として核先制攻撃を支持する、といったたぐいの事態である。「平和を守れ」「人間を守れ」というために、まず「言葉を守れ」と訴えなければならない。それが日本社会の現実である。(徐京植「ハンギョレ」2016.09.03

【山中人間話目次】
・女性と天皇制研究会の声明 ―― 「天皇メッセージ」は違憲! 世襲制「国体」なんてまっぴらです
・佐野眞一『唐牛伝』をめぐって(1)-海神日和 2016-09-03
・からす 徐京植 ハンギョレ 2016.09.03
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