キョウ はぎわらさくたろう

Blog「みずき」:以下の朝鮮人虐殺に関する萩原朔太郎の三行詩を紹介する文芸評論家の卞宰洙(ピョン・ジェス)さんの文章のほかに朔太郎の「ある野戦病院に於ての出来事」(大正十三年二月『新興』)を紹介する坂根俊英さん(県立広島大学教授)の「萩原朔太郎論」の一節もご紹介しておきます。坂根さんは朔太郎論を次のように書いています。「詩人の鋭い直観はしばしば見事に歴史の証言として価値を持っているのである。例えば、大正十三年二月『新興』に載った「ある野戦病院に於ての出来事」には次のように述べられている。<戦場に於ける「名誉の犠牲者」等は、彼の瀕死の寝台をとりかこむあの充満した特殊の気分。――戦友や、上官や、軍医やによって絶えず語られる激励の言葉、過度に誇張された名誉の頌讃、一種の緊張された厳粛の空気――によってすっかり酔はされてしまふ。彼の魂は高翔して、あたかも舞台における英雄のごとく、悲壮劇の高潮に於て絶叫する。「最後に言ふ。皇帝陛下万歳!」と。かくの如き悲惨事は見るに堪へない。青年を強制して死地に入れながら、最後の貴重な一瞬間に於てすら、なほ彼を麻痺さすべく阿片の強烈な一片を与へるというのは! さればある勇敢な犠牲者等は、彼の野戦病院の一室に於て、しばしば次の如く叫んだであらう。「この驚くべき企まれたる国家的奸計を見破るべく、今、最後に臨んで、私は始めて素気(しらふ)であった」と。併しながらこの美談は、後世に伝はらなかったのである。>戦死を「悲惨事」とみて美化せず、戦争を「企まれたる国家的奸計」と看破した朔太郎が、その後、「阿与」的国家主義に「麻痺」して「よろしく萬歳」を叫んだとしても、このアフォリズムそのもののもつ洞察力はこの時点において褪せない強さをもっている。」(「萩原朔太郎論――啄木の影響と社会性――」坂根俊英より)

【朝鮮人あまた殺され その血百里の間に連なれり われ怒りて視る、何の惨虐ぞ】
朝鮮人あまた殺され/その血百里の間に連なれり/われ怒りて視る、何の惨虐ぞ 「近日所感」と題された、萩原朔太郎の三行詩である。
関東大震災のあった1924年2月に雑誌「現代」の第5巻第2号に発表された。震災の当日、朔太郎は郷里の群馬県前橋の自宅にいた。震災のあまりにも大きな被害に驚愕して、米と食料品をリュックで背負い東京に向かった。幼少のころから慕っていた母方の叔母と従兄を見舞うためで、汽車と荷車をのりつぎ、大宮からは歩いたという。朔太郎は、1917年に処女詩集「月に吠える」をもって口語自由詩を完成させた、日本近代詩の巨匠である。その詩人が、朝鮮人虐殺にいち早く反応して怒りを噴出させたことは記憶にとどめてもよい。「あまた殺され」「その血百里」という直截で簡潔な表現をもって、犠牲者のあまりにも多数であったことをリアルに表現している。朔太郎の怒りは、無抵抗の朝鮮人をふつうの民間人も軍警と一緒になって虐殺したことに、日本人の自分が許せなかったことに起因している。「惨虐」という詩語については、この言葉は現在、「広辞苑」にも「大辞林」にものっていない。当時は「残虐」と同じ意味で使われていたことばである。朔太郎が、あまりにもむごたらしい惨状を、臨場感をもってあらわすために使った「惨虐」という詩語が、80年以上経っても胸に迫ってくる。無こなる朝鮮人惨殺に対する、この詩人の沸々とした憤怒が、あえて「惨虐」を詩語たらしめたのであろう。この詩がいく種もの版のある単行本の「萩原朔太郎詩集」にはおさめられていないのは残念であるが、筑摩書房版全集の第3巻「拾遺詩篇」には収録されている。(卞宰洙(ピョン・ジェス)・文芸評論家 「朝鮮新報」2006.09.01

【山中人間話目次】
・オリンピック批判, 資本主義批判, 文化批判 資本主義的身体からの訣別のために—近代スポーツと身体搾取-小倉利丸
・証拠映像:NHKが「オリンピックの目的は国威発揚」と仰天解説 - YouTube
・ドイツ映画「民族の祭典」 Olympia 開会式 - YouTube
・東京オリンピック開会式(1964年) - YouTube
・辺野古・高江、目覆う無法状態 「傍観」が助長 司法機能せず-金平茂紀の新・ワジワジー通信(18)
・危険な水域にはまる政府交渉を安慶田副知事任せにする翁長県政の自招危難(仲宗根勇さん)

【山中人間話】






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