キョウ とうじょうひでき

Blog「みずき」:水島朝穂さんの論を読んでいてはじめに目にとまったのは「天皇は疲れている」「一体誰が天皇を疲れさせ、このような不自然な形式と内容の「おことば」を発せざるを得ない状況にさせたのか」という一節です。水島さんは今回の天皇の「生前退位」に関する「玉音放送」の背後には明確な仕掛け人がいることを察知しているようです。ただ、それがどのような仕掛けなのか。いまのところ誰もわかりません。しかし、水島さんは、暗にそれは宮内庁側の安倍内閣への仕掛けであるかのように匂わせています。それはともかく、水島さんの説は、天皇の「生前退位」肯定説のように見えます。それはとりもなおさず象徴天皇制肯定説になるほかなく、私としては異論のあるところですが、水島さんが北海道大学の西村裕一准教授のを「冷静な筆致で、この問題を論ずる際に必要な視点と論点を鋭く提示している」と評価しているところを見ると、天皇の「生前退位」の議論にあたり、天皇の「お気持ち」を切り離し、国民が自律的・理性的に判断をする国民主権原理が貫徹されるようにするべきだという同准教授とほぼ同様の考え方をとっているものと見られます。水島さんの論は現行の憲法制度を前提にする限り、有意で民主的な論ということができるだろう、というのが私の評価です。


【天皇の内閣に対する不満の表明に等しい「おことば」】
「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」(略)最初に聞いたときに耳に残った言葉は「個人」と「家族」。そして頻繁に出てくる「務め」(7回)と「象徴」(8回)。「天皇の務め」「象徴の務め」「象徴天皇の務め」という使い分けのなかから浮かびあがるのは、象徴天皇制への徹底したこだわりである。(略)さて、1800字あまりの「おことば」を読むと、これまで天皇が語ったものにはない焦燥が感じ取れる。『
南ドイツ新聞』が二度も使った「天皇は疲れている(müde)」という表現に引きつけていえば、一体誰が天皇を疲れさせ、このような不自然な形式と内容の「おことば」を発せざるを得ない状況にさせたのか、ということである。そのことに触れる前に、まず「おことば」の内容に関わって感想を述べておこう。日本における新聞・雑誌などにおける専門家の議論などはほとんど読んでいないので、あくまでも「おことば」に即して私が気づいたことを記していく。(略)天皇自身がこの「おことば」で、「現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら、私が個人として、これまでに考えて来たことを話したい」として、「個人」という言葉を使った。現行の皇室典範では一般に、天皇という、生きている限りその地位から離れることを許されない人が、「公的」な場で語る限り、「個人的見解」を自由に述べることは許されない。だが、1946年の「天皇の人間宣言」からちょうど70年。これを2016年の「天皇の個人宣言」とまでいうかどうかはともかく、強い決意をもって「個人」という言葉を使ったことだけは間違いないだろう。

次に注目されるのは、「天皇の高齢化に伴う対処の仕方」として、「国事行為や、その象徴としての行為を限りなく縮小していくこと」について、明確に「無理」と断定していることである。そもそも憲法上に根拠のない「象徴としての行為を限りなく」拡大してきたのは歴代政府であり、その「ご公務」の異様な多さが、高齢となった天皇に巨大な負担となってのしかかるというジレンマを生んだわけである。天皇はその解決法として、「行為」の漸進的縮小の方向を拒否した。これは天皇の「行為」に対して「助言と承認」(憲法3条)をなす内閣に対する不満の表明に等しい。さらに、「おことば」のなかで驚かされるのは、未成年の天皇や重病などによる機能不全の場合に置かれる「摂政」(憲法5条)の可能性をはっきりと否定したことである。その理由は、摂政を置いても、「天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま、生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません」として、「務め」を果たせぬまま死ぬまで天皇でいるのはごめんだという強い意志が示されている。それは、安倍政権の周辺から聞こえてくる、「摂政で対応する」という動きに対して、明確に「ノー」を突き付ける結果になった。「象徴」という言葉が繰り返し使われ、日本国憲法のもとでの象徴天皇を「守り続ける責任」という表現も見逃せない。別のところでは、「象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくこと」が強調されている。ここに、「象徴」に加えて自民党「改憲草案」が打ち出す「天皇元首化」に対する危惧の念が潜んでいるのではないか。(略)

今回の「おことば」の問題について論じる場合、北海道大学の
西村裕一氏の論稿が重要である(略)。冷静な筆致で、この問題を論ずる際に必要な視点と論点を鋭く提示している。その指摘を受ければ、「天皇の意向」を勝手に忖度、推測、想像して論ずることには抑制的であるべきだろう。だが、いま私は外国の地にいて、日本の状況をリアルに認識することができないなか、この「直言」を書いたことをご理解いただきたい。(水島朝穂「今週の直言」2016年8月15日

【山中人間話目次】
・敗戦の日に想い起こす原爆の詩歌- 醍醐聰のブログ 2016年8月15日
・聖断拝す 大東亜戦争終結 昭和二十年八月十四日-きょうの蔵出しNHK
・武田泰淳『北京の輩に寄するの詩』(1938年11月『中国文学月報』)から
Secret

TrackBackURL
→http://mizukith.blog91.fc2.com/tb.php/2025-0f864efe