キョウ きゅうちゅう

Blog「みずき」:辺見庸の「忠良ナル汝アホ臣民ニ告ク!」の補記2と補記3を説明を兼ねたリンクをつけた上で「今日の言葉」(1)と(2)として転記しておきます。辺見はこの補記考で天皇の「内在」発言をさらに掘り下げて考察しています。「忠良ナル汝アホ臣民」にとっては必見です。

【忠良ナル汝アホ臣民ニ告ク!(補記3)】
たそがれどきに皇居のあたりをあるくと、ひどく馬糞くさいときがある。にほひは、こちらからカシコキアタリへの流れではない。馬糞臭はうたがひもなく、あちらからこちらへとただよってくる。やれありがたや、ありがたやと馬糞のにおいを胸いっぱいすっているのかどうかはしらぬが、
ドジンどもはだれも文句を言わない。逆ならどうなのだ。こちら側の馬のクソ、ひとのクソのにほひが禁中にながれこんだら、連中、少しもさわがず、歌でも詠むといふのか。 秋風は 涼しくなりぬ 馬並(な)めて いざ野に行かな 萩の花見に 道々クソをひりつつ…。ありえない。旧内務省のエトスをうけつぐ当局と地域住民が、皇居ではなく、人民の側からのクソ異臭遮断に血道をあげるだろう。新憲法担当国務大臣だった金森徳次郎は敗戦の翌年の国会答弁で、天皇を「国家の象徴とし、あこがれの中心として将来も敬愛することは日本人の高い道徳的教養でなければならない」と答弁している。慶べ、これらはいま、ついに全面的に実現されたのだ。マスコミは「オキモチ」「オコトバ」だけでなく「御下血」「御失禁」「御脱糞」「御放尿」「御放屁」「御認知(御ボケ)」までをも、推奨される皇室用語として「記者ハンドブック」に追加するかもしれない。そして天皇(制)を崇拝する「高い道徳的教養」をそなえたものどもが、ヒノマルや旭日旗をふって「朝鮮人は死ね!」「朝鮮人は息するな!」とわめくのだ。だが、かれらをなめてはならない。

農本ファシスト超国家主義者の橘孝三郎はたいへんな理論家であり、街頭で「朝鮮人は死ね!」などと叫んだりはしなかったらしい。しかし、五・一五事件に参加し「やむにやまれぬ至情」とか「聖なるか賊か是か非か問ふ勿れ、ただひたすらに祖国抱きて」とうたった。これについてあるひとは書いた。「いかなる行動も、至情から出ている限り、彼自身においては正当である」(藤田省三天皇制国家の支配原理』1966年)。至言である。「聖なるか賊か是か非か問ふ勿れ、ただひたすらに祖国抱きて」――の「祖国」は、「勅命」「大君」「組織」「党」「会社」「天命」などと代替が可能である。「聖なるか賊か是か非か問ふ勿れ、ただひたすらに祖国抱きて」の精神は、このドジンコクにあってはかつて、左右の政治勢力(共産党も反共産党系も)の別ない、殺人をも許容する「至情主義」であった。天皇制に骨がらみ馴致されたその心性は、いまも基本的には変わっていない。どうかおどろかないでいただきたい。障がい者殺傷事件のあの青年について、わたしは「いかなる行動も、至情から出ている限り、彼自身においては正当である」のセンテンスと「聖なるか賊か是か非か問ふ勿れ、ただひたすらに祖国抱きて」の、じつにバカげた一首をおもったのだ。7月26日未明の惨劇は、あの青年の「至情」の結果であり、まぎれもない蹶起でもあった。あれは倒錯した社会がこしらえた、未来を徴す血の影絵でもあった。その社会に、スメラギよ、あなたは「内在」し、なおも深く「内在」しつづけようというのか。(辺見庸「日録」2016/08/12

【山中人間話目次】
・7月26日未明の惨劇は倒錯した社会がこしらえた、未来を徴す血の影絵でもあった
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