キョウ さくらたい  
Blog「みずき」:ここに描かれている挿話は私もこの何十年かの間に切れ切れに聞いてきたことです。宇野重吉の弟子の米倉斉加年さん(はそう自称していました)と一度会食したことがありましたが、そのときにも彼の口から宇野重吉の戦時中の苦難の断片を聞いたことも思い出しました。私の中のその切れ切れの記憶が今回の醍醐聰さんの文章によって一軸の絵のつらなりになったような気がします。私はまだ「さくら隊散る」は未見なのですが今度一度観てみようと思います。私もかつて演劇を志したこともあるのです。

【目黒の五百羅漢寺で開かれた「被爆71年 桜隊原爆忌」】
昨日、目黒の五百羅漢寺で開かれた「被爆71年
桜隊原爆忌」に参加した。(略)「桜隊原爆忌」の第1回は1975年10月19日。参加者52名。1981年以降、毎年8月6日と定着したという。9名全員が命を奪われたというが、約半数が宿舎でほぼ即死と見られ、生き延びた人々のその後の消息はバラバラだった。(略)今年の「桜隊原爆忌」の特徴は、碑前祭のあと、桜隊の記録映画「さくら隊散る」(新藤兼人監督、1988年作品)が上映されたことだった。生き延びた丸山定夫園井恵子高山象三仲みどりの被爆後の消息と最期の姿を再現するとともに、彼らにゆかりの人々の生前の証言が随所に織り込まれ、緊迫感がみなぎる作品だった。丸山定夫の名優ぶりと剛毅な中にも繊細な人柄を語った千田是也滝沢修ら、園井恵子の魅力を語る宝塚歌劇団の同僚、2ヶ月後に結婚しようという言葉を残して高山象三と別れたという当時の恋人、遠路上京して母の実家に着いた仲みどりを診察した東京帝国大学の医師・医学生などの証言は誠に生々しく、貴重な原爆受難記録にもなっていた。また、長椅子に横たわった宇野重吉が戦時中、大政翼賛会文化部に呼び出され、国策への忠誠を誓う誓約書に署名をさせられた屈辱を何度も語る姿が痛々しくも、表情に悔しさがにじみ出ていた。と同時に、そうした戦時中の屈辱的体験について、今なお口をつむぐ文化人がいかにおびただしいことかと想像もした。

それにしても、映画を見終えて脳裏に刻まれたのは、丸山定夫、高山象三、園井恵子、仲みどりの最期の姿の共通性である。日を追うごとに髪の毛がごそっと抜け落ち、布団、ベッドの上で水を求めてのたうちまわる姿、吐血とともに息を引き取る姿・・・・どれも被爆死のむごたらしさを赤裸々に伝えるシーンだった。こうしたシーンをみて私は、
オバマ大統領の広島訪問を実現するための譲歩かのように「広島の被爆者は謝罪を求めない」という物言いが広まったことを思い起こした。しかし、それが被爆者の今となってはの一面の心情ではあっても、本心であろうはずがない、いわんや、無念の死を強制された被爆者の本意を代弁するかのように語り広めるのは死者に対する冒涜であるという思いを再認識した。核なき世界を求める未来志向? 自らが犯した人道に対する罪と向き合わず、不都合な過去から顔をそむけて何が未来志向か! むごたらしい被爆死、無念の被爆死のリアルな実態を直視し、そこからこみ上げる恨み、憤怒に突き動かされ、それらを昇華した平和へのエネルギーこそ、この先、1人の被爆者も生まないための運動に向かう本物の未来志向ではないのか? 過去と未来を身勝手に切り分けるな! 貴重な記録映画を残した関係者、桜隊の被爆死を慰霊し、その実相を伝える活動に務めておられる方々の尽力に深い敬意を覚えた。(醍醐聰のブログ 2016年8月7日

【山中人間話目次】
・Blog「みずき」の現代日本のフェミニストへの疑問
・Blog「みずき」の小池百合子を「リベラル」と評価する江川紹子批判
・kojitakenさんの小池当選を示したテレビ画面に拍手を送った楊逸(ヤンイー。芥川賞作家)批判
・ZEDさんの田中宏氏(一橋大名誉教授)批判
・浅井基文さん(政治学者、元広島平和研究所所長)の広島平和式典批判
・内藤正典さん(同志社大教授)のルモンド紙記事「日本政府、ナショナリストを防衛相に任命」評
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