キョウ へのこ7

Blog「みずき」:「今日の言葉」として引用する仲宗根勇さんの文章のテーマは「沖縄差別の源流と「和解」をめぐる疑惑・今後の闘い」というもので、下記はそのうち「沖縄差別の源流」の部分のさらにその一節に焦点を当てているものです。本文はPeace Philosophy Centreブログにも転載されており、その中で同ブログ運営人の乗松聡子さんは「仲宗根氏は最後から2番目の段落で、もし県が新たな訴訟で敗訴した場合、「県が自ら招いてしまった第9条の拘束を自動的に受けることになるので、その拘束から逃れるためには、新たな訴訟の判決直前に翁長知事が埋め立て承認の撤回をするのが得策」と述べている。これは県が耳を傾けるべき重要な提言ではないか」というコメントを述べています。本文全体のポイントを理解するために乗松さんのコメントを前説としてご紹介しておきます。

【「沖縄差別」という言葉が今日ほど日常的に広く頻繁に語られた時代はない】
沖縄差別」という言葉が今日ほど日常的に広く頻繁に語られた時代は、沖縄の近現代史においてかってなかったことである。近くは、1960年代から70年代初頭にかけての
復帰運動がピークに達した頃の闘争の現場において、本土政府の沖縄に対する理不尽な仕打ちに対し、沖縄の民衆が現在のように「沖縄差別を許すな!」などというシュプレヒコールを唱えることはなかった。その理由は、当時の主流的な復帰運動が抱えた思想原理に内包されていたということができる。つまり、「祖国復帰」(母なる「祖国」への復帰)という言葉に象徴される当時の主流的な復帰思想は、日本国が単一民族国家であることを無意識のうちに前提にして、国民国家の構成員としての沖縄人イコール=日本国民という真正な等式が何の疑問もなく立論され、言わばその等式を前提にしての復帰運動であった。それゆえに、沖縄を含む日本国家の同一民族論に立つこの等式からは「差別」という観念は論理必然的に排除・隠蔽されねばならなかったわけである。しかし、この運動原理の前提とは異なり、沖縄人を異族視する、本土における一般的な民衆意識が広範に存在したことは、当時から現在に至るまで何ら変わってはいない。そうであるがゆえに、国土面積の0.6パーセントに過ぎない沖縄に全国の約74パーセントの在日米軍専用施設を押しつけて恥じない日本政府とそれを支持する多数の日本国民という不条理な構図が続いているわけである。

しかし、「復帰」後40年以上の歳月が流れた現在、復帰に状況変革の夢をかけた沖縄の民衆の政治意識は大きく変容している。「復帰」前後においては、意識的に論じられることがなかったいくつもの論点・視点が公然と浮上してきた。例えば、沖縄人がいわゆる「先住民族」であるか否かが新聞紙上などで論争され、安倍内閣によって平和憲法が弊履のように捨てられている日本から離脱し理想の国家を構想する「琉球独立論」が学問的・運動論的に確かな形で民衆の前に立ち現れている。「
日本会議」などの右翼勢力をバックにした安倍内閣が日本国憲法をクーデター的に解釈改憲して、自衛隊がアメリカの傭兵となって世界中で戦争をすることができる戦争法を強行採決し、沖縄差別の発現である辺野古新基地建設を暴力的に強行する日本国家に対する底なしの絶望がその背景にある。(略)アメリカの「アジア回帰」戦略に呼応して集団的自衛権を現実化する戦争法を強行採決した安倍内閣が、諸々の選挙で示された沖縄の圧倒的な民意を無視し、アメとムチを振りかざして辺野古新基地建設を強行し、配備隠しの果てのオスプレイの配備強行、南西諸島への自衛隊配備を推し進めている現実それ自体、沖縄差別そのものの集中的表現である。同時にそれは、憲法違反状態の小選挙区制と野党分裂が生んだ虚構の多数与党にあぐらをかき、日本国憲法を無視し立憲主義を破壊しつつ明文改憲をもたくらむ安倍内閣による、憲法クーデターともいうべき憲法の危機的状況を意味する。辺野古・高江の闘いは、沖縄の環境と未来を守るとともに、右翼・安倍晋三内閣による世界に冠たる日本国憲法の改悪策動を許さない、平和と人権を守る歴史的な闘いの最前線に位置する。(仲宗根勇「Peace Philosophy Centre」(2016年6月16日)より
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