キョウ ひろしま4 キョウ ひろしま5

Blog「みずき」:「菊タブー」と「タブー」という言葉、久しぶりに聞いたような気がします。かつての「菊タブー」「星タブー」批判勢力がいまは逆に同タブーの補強勢力となっています。「半年のうちに世相は変った。醜の御楯といでたつ我は。大君のへにこそ死なめかへりみはせじ。若者達は花と散ったが、同じ彼等が生き残って闇屋となる。ももとせの命ねがはじいつの日か御楯とゆかん君とちぎりて。けなげな心情で男を送った女達も半年の月日のうちに夫君の位牌にぬかずくことも事務的になるばかりであろうし、やがて新たな面影を胸に宿すのも遠い日のことではない。(略)生きよ堕ちよ、その 正当な手順の外に、真に人間を救い得る便利な近道が有りうるだろうか。(略)堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない。政治による救いなどは上皮だけの愚にもつかない物である」と書いたのは坂口安吾でした(『堕落論』)。こういうときは安吾の言葉こそふさわしい。

【自分の責任を棚上げにする姿勢でオバマと昭和天皇は共通している】
オバマ大統領が折ったという折鶴が芳名録とともに原爆資料館で9日から一般公開されるなど、「オバマ訪広」賛美が続いています。オバマ氏はその芳名録に、「
核兵器のない世界を追求する勇気を持ちましょう」と書きました。ところがその舌の根も乾かない7日、オバマ氏はホワイトハウスでインドのモディ首相と会談し、インドの核保有を改めて容認するとともに、新たに「原子力協力の拡大」で合意しました。「被爆地広島で核廃絶への誓いを新たにしたオバマ氏だが、核不拡散政策との矛盾は覆い隠せなくなっている」(9日付中国新聞=共同)。改めてその言行不一致ぶりが露呈しています。核保有・拡大の先頭に立っている自らの責任は棚上げし、言葉だけの「核廃絶」で「広島」をレガシー(遺産)づくりに利用したオバマ氏。その姿は、69年前に同じく広島を訪れた人物と重なってきます。天皇裕仁の広島巡幸です。1947年12月7日、戦後初めて被爆地・広島を訪れた天皇裕仁は、元護国神社前の広島市民奉迎場で市民の「大歓迎」を受け、式典でこう述べました。「本日は親しく広島市の復興の跡を見て満足に思う。広島市の受けた災禍に対して同情はたえない。我々はこの犠牲を無駄にすることなく平和日本を建設して世界平和に貢献しなければならない」(『天皇陛下と広島』天皇陛下御在位六十年広島県奉祝委員会発行より)侵略戦争の最高責任者であり、国体=天皇制護持のために終戦を引き延ばして原爆投下を招いた自らの責任はまったくほうかむりし、「同情はたえない」「犠牲を無駄にすることなく」とは、よくも言ったものです。オバマ大統領と天皇裕仁。もちろん時代も立場も違いますが、自分の責任を棚上げして「平和主義者」を装う権力者(この時すでに新憲法は発効しており天皇は憲法上「権力者」ではありませんが)の醜い姿は共通です。
 
「歓迎」する「市民」の側にも共通点があります。オバマ訪広に対し湯崎広島県知事も松井広島市長も、いち早く「謝罪の必要なし」と言明し、ひたすら来広を待ち望みました。一方、天皇裕仁の広島巡幸の際も、広島県議会は「感謝決議」をあげ、浜井広島市長(当時)は「願わくは…広島市に深き御心を御寄せ下さいますこと」を願うと、天皇にひれ伏しました。当然「謝罪」してしかるべき権力者に対する「怒り」はいずれも見えません(表面化しません)。天皇裕仁の「戦後巡幸」は1946年2月の神奈川県を皮切りに始まりました。その狙いは、天皇の戦争責任論、さらに退位論を払拭し、天皇の権威を回復することでした。「天皇は危機に瀕した現状を行幸で改善しようと、マッカーサーとGHQの広報担当顧問の積極的な支持のもとに旅行を開始した」(ハーバート・ビックス『
昭和天皇下』)天皇とGHQの狙いは全国で的中しました。それは「被爆地・広島」においても例外ではなかったのです。オバマ氏の訪広を含む今回の来日の最大の狙いは、日米同盟=日米軍事同盟の美化・強調でした。それが参院選に向けた安倍首相の戦略もあったことは、戦争法(安保法)廃止の主張に対し「日米同盟」を盾に反論する安倍氏の演説(8日の山梨など)を聞けば明白です。オバマ氏の訪広を賛美するメディアはそうしたオバマ・安倍戦略の片棒を担いでいると言わねばなりません。天皇・皇室は批判せずひたすら賛美するメディアの「菊タブー」。日米同盟(軍事同盟)=日米安保体制を是認・美化する「星(星条旗)タブー」。69年の時空を超えて、「菊タブー」と「星タブー」が交差しています。(アリの一言 2016年06月11日
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