キョウ のうといえる

Blog「みずき」:本文章は松岡正剛さんの「福島応援歌」といってよいものでしょう。本文章の最後は高村光太郎の『開墾』の一節の引用で締めくくられています。「北上川以西の此の辺一帯は強い酸性土壌であり、知れ渡つた痩せ地である。そのことは前から知つてゐたし、又さういふ土地であるから此所に移住してくる気になつたのである。野菜などが有りあまる程とれる地方では其を商品とする農家の習慣が自然とその土地の人気を浅ましいものにするのである。‥‥太田村山口の人達は今の世に珍しいほど皆人物が好くてのどかである。その代り強い酸性土壌なのである。(略)太田村には清水野といふ大原野があるが、此所に四十戸ばかりの開拓団が昨年から入り、もうぼつぼつ家が建ちかけてゐる。私は酪農式の開拓農が出来るやうに願つて、なるべくそれをすすめてゐる。そして乳製品、ホウムスパン、草木染に望みをかけてゐる。」


【国は被害者の味方にはならない】
2011年3月11日、新潟で会議をしていた著者がいた建物と部屋が大きく揺れた。みんなが立ち上がり、会議は中止。
著者は不安に駆られつつも、車でラジオの緊急ニュースを聞きながら自宅に走った。やがて福島原発が爆発したことがあきらかになり、周囲に放射能が洩れ出した。メルトダウンしたかどうかの報道はなかったが、チェルノブイリ以上の大事故かと思われた。さっそく日本有機農業学会を母体にした現地調査団が組まれた。5月6日、著者たちは澤登早苗を団長として相馬市・南相馬市・飯舘村・二本松市東和地区に入った。(略)これらの地域では、水田面積12600ヘクタールのうち、津波で冠水して塩害を受けた水田が4321ヘクタールになっていた。畜産家は364戸のうち僅か101戸が残っただけだった。牛や豚もあわせて4864頭がいたのだが、その後は2200頭を切った。相馬市山上では、水田土壌の放射性セシウムが1キログラムあたり640ベクレルを示した。南相馬市では積算空間放射線量が20ミリシーベルトになるおそれがあった。福島県有機農業ネットワークの前代表をしていた小高区の根本洸一さんを訪ねると、あの日から茫然自失の状態で、学校避難のあとは喜多方に一時避難し、その後は相馬市の親戚の空き家に暮らしていた。(略)

本書には農事と救済をめぐる活動がいろいろ紹介されているのだが、そのなかから「
農と言える日本人」ならではの発見や着眼がいくつも報告されている。たとえば「耕作することでセシウムの空間線量率が下がっていく」「落ち葉を食べるミミズにはセシウムがかなり濃縮される」「表面剥ぎ取りは土壌侵害をおこして水系の二次汚染をすすめる」「牧草の汚染は地上部に集中して根には至っていない」といったことは、ぼくのような素人から見ても画期的な観察結果なのではないかと思われた。著者の活動と研究は「農による知の統合」なのである。本書の後半には、足尾銅山の汚染問題水俣病の公害問題についての詳しい見解も述べられている。著者は栃木県葛生に生まれ育ったのだが、小学校の校舎の入口には田中正造の写真が掲げられていたのだそうだ。著者はやがて荒畑寒村の『谷中村滅亡史』や林竹二の『田中正造の生涯』、東海林吉郎・布川了の『足尾鉱毒・亡国の惨状』などを読み耽って、日本の農事・山村・漁村を襲う「侵害」に立ち向かえる研究者になろうと決意したようだった。本の終わり近く、著者は次のことを明言している。①国は被害者の味方にはならない。②県は被害者を説得しようとする。③しばしば「偽りの科学性」によって真実が歪められる。④「疑わしきは罰せず」によって科学的因果関係の決着が延ばされる。⑤「疑わしきは認めず」によって人命は軽視されていく。(松岡正剛の千夜千冊 2016年06月03日
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