キョウ やすまるよしお

Blog「みずき」:木村剛久さん(元編集者)は安丸良夫の『日本の近代化と民衆思想』を読んだ感想として「世界を切り開くには民衆は精神だけでは足りないこと、知が必要であること、さらには時に抵抗こそが変革をもたらすことを私たちはやがて自覚するようになったはずである」と述べます。木村さんがここで「はずである」としているのは実際には安丸良夫の「民衆」に関する洞察は私たち現代人に変革に必須な思想としてきちんと継承されていないことを指摘しておきたかったからだろうと思われます。私もかつてE.フロムを援用して次のように述べたことがあります。「変容の条件は、庶民性そのものの中にある。かつてユダヤ人精神分析学者のE.フロムは、その庶民性を「社会的性格」と名づけた。ドイツの労働者階級や下層中産階級の人びと、いわゆる庶民が、なぜナチズムのイデオロギーを支持し、自発的に服従したのかを問う中で、彼は「社会的性格」という概念に想到したのである。フロムによれば、社会的性格はひとつの集団の大部分の成員がもっている性格構造の本質的な中核であり、それが社会制度の期待と矛盾するとき、社会制度に対する反発と対立を引き起こし、社会変動の起爆剤となる。庶民性はいつの場合も両刃の剣なのである」、と。そういうことだろうと思います。

【日本の近代化の背景には変動期を生き抜こうとする民衆の強い精神があった】
安丸良夫(1934-2016)の名前を知ったのは、
奥武則氏(毎日新聞客員編集委員、法政大学教授)の追悼記事を目にしたときだ。安丸の最初の著書『日本の近代化と民衆思想』は1974年に刊行されたが、それを読んだときの「衝撃は大きかった」という。追悼記事はこうつづく。〈後に「通俗道徳」論と呼ばれる民衆史の発想に目からウロコが落ちる思いだった。勤勉・倹約・孝行・正直などの民衆的な諸道徳(通俗道徳)は、封建的・前近代的とされてきた。安丸さんはそれらにまったく別の光を当てた。通俗道徳は民衆の自己規律・自己鍛錬の様式なのであり、こうした形態を通じて発揮された膨大な人間的エネルギーが、日本社会の近代化の基底部を支えたというのだ。当時、脚光を浴びていた近代化論はもとより、マルクス主義歴史観が主流の戦後歴史学もとらえることができなかったリアルな民衆がここにいた。〉(略)安丸良夫が読者に衝撃を与えたのは、そこにこれまでとらえられていたのとはちがう、生き生きとした民衆の姿がえがかれていたからである。民衆というと、封建制のもとに抑圧された民衆、無知蒙昧な民衆を思い浮かべるかもしれない。しかし、それは上から目線による歪められた像だ。実際の民衆とは「勤勉・倹約・孝行・正直など」の道徳によって、自らを律し、人生を切り開いている人びとのことである。おそらく安丸の視点がユニークだったのは、封建的とされがちな道徳をもちあげたからではない。そうではなくて、道徳をみずからとりいれることで、忍従しているのではない自立的で活発な民衆の像をえがいたからである。(略)

ここで安丸が示している民衆の像として、ぼくが思い浮かべるのは、たとえば
金光教の信者でもあった祖母のことであり、墓参りで出会った篤実な老人の姿などである。だから、安丸の示す民衆像に、どこかなつかしさを感じるのかもしれない。しかし、それが民衆のすべてかというと、それだけではないような気もする。怒れる民衆も、消沈する民衆も、泣き叫ぶ民衆もいるだろう。(略)民衆といっても一筋縄ではいかないのである。(略)安丸は精神主義のあやうさを指摘することも忘れていない。こう書いている。〈こうした民衆思想に共通する強烈な精神主義は、強烈な自己鍛錬にむけて人々を動機づけたが、そのためにかえってすべての困難が、自己変革─自己鍛錬によって解決しうるかのような幻想をうみだした。この幻想によって、客観的世界(自然や社会)が主要な探求対象とならなくなり、国家や支配階級の術策を見ぬくことがきわめて困難になった。〉それでも、日本の近代化の背景に、変動期を生き抜こうとする民衆の強い精神があったことを否定すべきではないだろう。そして、その民衆は精神だけでは足りないこと、世界を切り開くには知が必要であること、さらには時に抵抗こそが変革をもたらすことを、やがて自覚するようになったはずである。(木村剛久「海神日和」2016-06-04
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