私には以下の数葉のフォトとツイートはいまのニッポンの左翼政党と市民社会の断面の右傾化のさまの象徴としか見えません。 


共産党集会に集まったあの大人数を見ていると私は太平洋戦争が勃発する契機となった日中戦争(支那事変)がはじまった1937年に書かれた永井荷風の「断腸亭日乗」の一節を思い出します。

「八月廿四日。晴また陰。午後曝書。夜浅草散歩。今半に夕飯を喫す。今宵も月よし。十時過活動館の前を過るに看客今正に出払ひたるところ、立並ぶ各館の戸口より冷房装置の空気道路に流出で冷なるを覚えしむ。花川戸の公園に至り見れば深更に近きにも係らず若き男女の相携へて歩めるもの多し。皆近鄰のものらしく見ゆ。 余この頃東京住民の生活を見るに、彼等は 其生活について相応に満足と喜悦とを覚ゆるものの如く、軍国政治に対しても更に不安を抱かず、戦争についても更に恐怖せず、寧これを喜べるが如き状況なり」(永井荷風「断腸亭日乗」1937年8月24日)

「十一月十九日。快晴。・・・・・・・今秋より冬に至る女の風俗を見るに、髪はちぢらしたる断髪にリボンを結び、額際には少しく髪を下げたるもの多し。衣服は千代紙の模様をそのまま染めたるもの流行す。大形のものは染色けばけばしく着物ばかりが歩いてゐるやうに見ゆるなり。売店の女また女子事務員などの通勤するさまを見るに新調の衣服(和洋とも)を身につくるもの多し。 東京の生活はいま だ甚しく窮迫するに至らざるものと思はるるなり。戦争もお祭さわぎの賑さにて、さして悲惨の感を催さしめず。要するに目下の日本人は甚幸福なるものの如し」。むかしから、民衆はこうなのだ。漱石もそうだが、しれっとそれを眺めて、ちょこちょこ皮肉るだけの彽徊趣味とやらが日本の最高の知性とは笑わせる。(同上 1937年11月19日)

 
そして、辺見庸の2年前の選挙ボイコット宣言を思い出します。

「はっきりした自覚と覚悟をもって、なんども自問しつつ、選挙をボイコットした。棄権したのではなく、積極的に投票を拒否した。事実上の憲法改悪および途方もない解釈改憲の追認をせまる策謀的選挙に、わたしはどうあっても加担できない。(略)この選挙を機に、この国の全民的自警団化はますます進むだろう。貧者と弱者はますますのけものにされるだろう。ひとびとは投票所にゆき、わざわざ災厄をえらんだのだ。永井龍男の短篇「朝霧」だったか、「ラセラスはあまりに幸福すぎたので、不幸を求めることとなりました」というのがあった。あれだ。」(辺見庸「日録」2014/12/14)
【私の「今日の言葉」再掲】

私は「立憲主義」の名のもとに次代の政治展望に決定的な禍根を遺す「野党共闘」の理念の全面的見直しを求めます。

私には「野党共闘」と一般に呼ばれている政治的トレンドについて根底的な疑問があります。その「野党共闘」の謳い文句は「憲法違反の
安保関連法を廃止するための立憲主義に基づく野党間共闘」というものですが、これらの政党の主張する「立憲主義」とは「新9条論」者の多い安全保障関連法に反対する学者の会の主張に立脚するもので、まず樋口陽一氏(東大名誉教授)らの主張する「立憲主義」についていえば金光翔さん(元『世界』編集部員)はその問題点を次のように指摘しています。樋口氏は「大日本帝国憲法を作った権力者らの掲げたキーワードが立憲政治だった。安倍政治は(略)その『戦前の遺産』さえ無視しようとしているのだ。だから私たちは、『憲政の常道』とも言える立憲主義を取り戻す必要がある」(週刊金曜日)と言うが、「大日本帝国憲法すら『立憲主義』の『遺産』」として評価されるならば、自民党の改憲案がなぜ「立憲主義」に反しているということになるのか私にはよくわからないのだが、(略)今日の「立憲主義」の政治的主張が、『戦後解放の意味』をあいまいにし、天皇制、『昭和天皇の戦争責任という問題』を捨象した上で成り立っているものであることを示唆していると言えよう」(私にも話させて 2016年3月6日)、と。また、「新9条論」者の主張を身も蓋もなく要約すれば単に「政府が強行採決した安保関連法は憲法違反である。だから、『憲法を現実に近づけませんか』」(斉藤美奈子本音のコラム』)というもので、安保関連法の指向する、すなわち、安倍政権の指向する戦争への道から脱却しようとするものではありません。だとすれば、なんのための「野党共闘」なのでしょう? 政党の顔 ぶれや看板などの表装は変わったとしても安保関連法という内装が旧態依然のままであるならばそれは「廃止」の名に値しないでしょう。ふつうこういう状況を「実質的容認」というのです。これが私の根底的な不信感です。どうして安保関連法の実質的容認でしかない「野党共闘」に期待などできるでしょう! なにも変わりはしません。むしろ、市民に徒な幻想を 抱かせる分より悪質性は高い、というのが私の評価です。私はこうした次代の政治展望に決定的な禍根を遺す「野党共闘」の理念の全面的見直しを求めます

 
こうした政党の総保守化=総右傾化とでもいうべき現象は実は戦前にもありました。後に十五年戦争と総称される戦争の端緒となった満州事変に始まる1930年代、「反資本・反共・反ファシズム」の三反主義の理念を掲げていた合法政党として唯一の左派であった社会大衆党はそれまでの「反共」以外の二反の主張はかなぐり捨てて自ら進んで国民動員体制の中核組織となる大政翼賛会に合流していきます。ここでは「自ら進んで」というところが肝要です。当時、思想・信条の自由と言論の自由はもちろん「法律ノ範圍内」という臣民の権利としての制約はあったもののまかりなりにも保障されていたのです。にもかかわらず社会大衆党は自発的に戦争遂行体制を支える側に合流していったのです。その戦前の社会大衆党の位置をいまは日本共産党が占めているといっても言いすぎではないと思います。「自衛隊合憲論や九条改憲論をためらいなく口にする人たちをリーダーとする団体が社会運動の中心に祭り上げられ、共産党すら自衛隊や日米安保を棚上げにした『国民連合政府』を唱えているいま、『戦後革新勢力』の末期の水をとらねばならない時が近づいているのだろうか」とは日本近代思想史研究者で東北師範大学(中国)教員の大田英昭さんの言葉です。(Blog「みずき」2016年5月20日

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