キョウ てんのう7  

Blog「みずき」:本論は半澤健市さんの「米国大統領は追悼の前に『謝罪』することが論理的な筋道である」の第2弾というべき論です。半澤さんは堀田善衛のいう「無常観の政治化」(politisation)の視点からオバマの訪広の意味を再度考えようとしています。その上で半澤さんは言います。「後世の歴史書は、日本は2016年5月に、1945年8月の広島・長崎への原爆投下を、米大統領を招いた席で容認したと書くだろう。そういう歴史の形成にコミットすることに私は反対である」、と。

【昭和天皇の焼け跡視察とオバマの訪広の相似性】
1945年3月18日に作家堀田善衛昭和天皇を見た。天皇は10日の東京大空襲の被害状況の視察にきたのである。堀田が天皇を見たのは、深川の富岡八幡宮の焼け跡でだった。天皇の焦土視察は朝9時に宮城を出て。富岡八幡宮で下車し説明を聞いたのち下町の惨状を視察して10時には戻っている。堀田はそこで二つの異様な光景を見た。一つは、天皇に対する官僚や軍人の説明の「儀式」である。二つは、天皇に対する被災者の反応である。(略)堀田は、(略)慶大政治学科から仏文科へかわった作家らしく次のような認識を述べている。「そのもの(「厄介きわまる精神状況」)は、ことばを選んでこれを言うとして、いわば無常観の政治化(politisation)とでも言うべきものであろう。ことばを選んで、言いながら、politisationなどという、まだ仏語の辞書にも正式にはのっていないようなことばを使うのは甚だ気のさすことであるが、サルトルが使ったかたちに従って私も使ってみた次第である。この無常観の政治化されたものは、とりわけて政治がもたらした災殃(さいおう)に際して、支配者の側によっても、また災殃をもたらされた人民の側としても、そのもって行きどころのない尻ぬぐいに、まことにフルに活用されて来たものであった。」(略)以上述べたことは、原爆投下への謝罪を求めた拙稿の再論である。読者からも世間でも謝罪不要論が多いことは私には意外であった。そこで堀田の昭和天皇の焼け跡視察記を思い出したのである。

日本臣民は焼け野原で、「陛下、私たちの努力が足りませんでしたので、むざむざと焼いてしまいました、まことに申訳ない次第でございます」と土下座した。この「奇怪な逆転」が広島で再現されようとしている。いくら何でもオバマに対して我々が謝罪しようという意見はない。しかし謝罪なきオバマへの歓迎には、堀田が東京で見た「奇怪な逆転」や、米空将
カーティス・ルメイへの叙勲と通底する論理があると思う。米大統領はGHQの後裔である。それを「戦後レジーム」脱却を唱える安倍晋三が、広島訪問を歓迎する。それは戦後レジームの脱却ではなく深化である。オバマは原爆慰霊碑に献花をして短いスピーチをするだろう。それは、核廃絶を言いつつも、「核不拡散」(核兵器独占)を擁護し、自衛隊の米軍化を日米同盟強化であると礼賛するものになるだろう。このままだと、後世の歴史書は、日本は2016年5月に、1945年8月の広島・長崎への原爆投下を、米大統領を招いた席で容認したと書くだろう。米大統領は被爆者の追悼に名を借りて、日本軍を抱合した米国の新覇権構想を表明したと書くだろう。そういう歴史の形成にコミットすることに私は反対である。(半澤健市「リベラル21」2016.05.21

【山中人間話】





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