キョウ おばま

【広島(及び長崎)は「お飾り」以外の何ものでもない】
核兵器廃絶を希求する国民世論にとっては、オバマ訪広はいかなる積極的意味をも持たない。オバマ政権(米国)にとって、「核のない世界」はあくまでビジョンに過ぎず、核
デタランス戦略したがって核戦力保有政策は微動だにしていない。また、安倍政権(日本政府)にとっても米国の拡大核デタランス(「核の傘」)は日米同盟の基軸だ。したがって、オバマの訪広が核兵器廃絶に向けた第一歩になるのではないかという期待を抱くものがいるとすれば、それは幻想以外の何ものでもない。外務省での実務経験を持つものとして率直に指摘せざるを得ないのは、核問題に関する日本外交において広島(及び長崎)に与えられた位置づけは「お飾り」以外の何ものでもないということだ。より根本的に、政府・外務省においては、日米安保体制堅持が最中心に座り、軍縮(核を含む)問題は一貫して脇役、それも日米安保体制堅持に邪魔にならないことを大前提とするいわば「日陰の存在」だ。核兵器廃絶を希求する国民世論の存在を無視しえない政府・外務省にとって、核軍縮自体が「鬼子」的厄介物でしかない。

戦後長年にわたり、広島(及び長崎)は、日本の核廃絶運動のメッカ的存在として、核兵器廃絶問題に取り組む姿勢ゼロの政府・外務省に対する対抗軸としての役割を担ってきた。しかし、1960年代以後の高度経済成長、戦争体験の「風化」、国民意識の保守化等の全般的状況並びに、広島及び核廃絶運動における様々な要因の働きにより、広島は今や対抗軸としての機能を担う意思も能力も失ってしまっている。その端的な表れが、日米両政府主導で実現する今回のオバマの訪広であり、それを無条件で歓迎する広島の姿である。つまり、オバマ訪広は核兵器廃絶とは一切関係のない、それどころか核兵器堅持を前提にして行われるセレモニーに過ぎず、それを歓迎する広島は日米両政府の核政策を全面的に受け入れるというにほかならない。つまり、政府・外務省に対する対抗軸としての自己規定を最終的に放棄するということだ。そしてこれからは、日本外交における「お飾り」としての役割に徹することを自ら進んで受け入れるということでもある。(略)

プラハ演説を行った際のオバマに対する国際的評価・期待は高かったことは事実(その端的表れがオバマに対するノーベル平和賞授与)ではあるにせよ、その後7年にわたるオバマの実績に対する国際的な評価は総じて極めて厳しい。オバマが行った主要政策としては核セキュリティ・サミットが唯一のものだが、その主眼は核物質の国際管理と原発推進であり、核兵器廃絶はおろか、核兵器削減に向けた取り組みはゼロである。したがって、オバマの訪広を核軍縮及び核兵器廃絶と結びつけて評価する国際的な動きは皆無といって過言ではない。むしろ、オバマ訪広について浮き足だった反応を示している日本国内の動き(特にマス・メディア)の異常さだけが突出しているのが実情であると言わなければならない。(浅井基文のページ 2016.05.16
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