キョウ もりかわふみと

Blog「みずき」:森川文人さんと同様のことを辺見庸が言っています。本ブログの左端のフリーエリアに掲げている言葉です。その部分を少し拡張してみます。辺見はここでは死刑制度について語っているのですが次のように言っています。「きょうお集まりのたくさんのみなさん、「ひとり」でいましょう。みんなといても「ひとり」を意識しましょう。「ひとり」でやれることをやる。じっとイヤな奴を睨む。おかしな指示には従わない。結局それしかないのです。われわれはひとりひとり例外になる。孤立する。例外でありつづけ、悩み、敗北を覚悟して戦いつづけること。これが、じつは深い自由だと私は思わざるをえません。(略)いま、語ることは語ることの無意味と戦うことです。怒りは怒りの空虚に耐えることです。お遊戯の指で、ほんものの時はかぞえられません。地上のその明るさで、地中の闇をはかることはできない、といいます。死刑制度と死刑囚についてもっともっと思いをめぐらしましょう。手紙を黒く塗りつぶした「真犯人」について、最後に告げなければなりません。「真犯人」は、それを許してきた、われわれなのです。死刑を存続させている究極の「真犯人」は、権力であるとともに、それを許しているわれわれなのです。」(辺見庸講演記録 2013.10.19

【共闘という形で「我慢」を強いるのは結局は力を削ぐことになりかねない】
安保法を成立・施行させ、さらに治安立法(盗聴拡大・取調べの録画制度・司法取引・証人隠蔽)を成立させようとし、さらにさらに、人権骨抜きの改憲を進めようとしている安倍政権に脅威を感じている人々は増えていると思います。何が「日本を守る為」だ、お前の日本って日本の資本だけだろ?、その他の99%を犠牲にして守るって意味だろ、ふざけんな!、と思っている人も増えていると思います。そう思って、それぞれが自分の想いや怒りに基づいて、それぞれのやり方で安倍政権を打倒することを考え、実行すればよいと思います。それぞれが、いろいろな方法で呼びかけるのもアリでしょう。野党共闘、がピンとくるなら、それもいいのかなあ? そういう「想い」で「勢い」がつくのであれば、とりあえず、いいのかなあ? どうせ安倍政権を打倒するまでが「共闘」の期限なのだろうし、その先、つまりポスト安倍政権を、誰が、どう責任を持って、主体化するか、ということは「共闘」できないことは、ある意味明らかだし・・・。でも・・・、私は、全くノレません。気持ちの勢いがつくどころか、ゲンナリしちゃいます。

1930年代、いわゆる
人民戦線(仏: Front populaire。1936年から1937年までフランスにて存続して「反ファシズム」を掲げたフランス社会党、急進社会党、フランス共産党など諸政党の連合政権)というのがありました。結局は、当たり前だけど同床異夢なわけだし、本質的には、体制内での解決を求め、体制自体のあり方を変えるような革命派を排除する反革命の性格を帯びざるをえないからです。そんなこと言ったら、安倍政権を倒せないだろ?と言われるかもしれません。しかし、そんなことはないでしょう。それぞれがそれぞれの力を十全に発揮し、少しも自分たちの主張を薄めずに大衆に訴え、支持を得て、力を蓄えて、発揮して、それぞれの立場で安倍政権を撃てばいいと思います。「気合い」を入れる言葉としては「共闘」でいいかもしれませんが、共闘という形で、それぞれの政治主張の何かを我慢を強いるのは、結局は力を削ぐことになりかねないし、大きな排除を生む危険性が大きいと思います。もちろん、内容的に一致を図るような実質的討論がなされていくのであれば、ともかく、時的・人的な余裕等の理由から、得てして「共闘のために問答無用」の切り捨てがなされがち。とりわけ、現体制打倒以上の本質的改革を求める勢力を過剰・過激であり「せっかくの共闘を阻む」などと排除します。それぞれが、それぞれのやり方で安倍政権を撃て! それが、今の私のノリです。(御苑のベンゴシ 森川文人のブログ 2016-05-04
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