キョウ ひろしま
安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから
 
Blog「みずき」:半澤健市さんの論に関連して、広島の原爆慰霊碑に刻まれた「二度と過ちは繰り返しません」の言葉に関しての寺島実郎さんの論をご紹介しておこうと思います。「広島の原爆慰霊碑に掲げられた『二度と過ちは繰り返しません』の言葉も、熟慮するほど不可解である。思わず共感する言葉であるが、誰のいかなる責任での過ちなのかを明らかにすることなく、『なんとなく反省』『一億総懺悔』で納得し、それ以上踏み込まないのである。/表層な言葉の世界への陶酔を超えて、いかにして実のある世界に踏み込むのか、これこそが戦後日本という平和な擬似空間を生きてきた我々の課題である。」(「小さな花」の強さ 2004年4月)

【米国大統領は追悼の前に「謝罪」することが論理的な筋道である】
オバマ米大統領が2016年5月の
伊勢志摩サミット出席のついでに広島を訪問するという。被爆者を含む多くの日本人がそれを歓迎していると報道されている。81歳の一日本人である私には、なぜそうなるのか理解できない。「そうなる」とは、オバマが「謝罪なしに広島訪問すること、日本でそれを歓迎するムードが起こる」ことである。常識的で市民的な感想を述べたい。核兵器の廃絶は世界の世論であり人類の悲願である。核兵器はなぜ廃絶すべきなのか。それは非人道的な兵器だからである。非人道的な兵器として認識されるようになったのは何故か。米軍機による広島と長崎への原爆投下が、無辜の人々を一挙に大量に虐殺したからである。投下だけではない。原水爆の実験によっても米国を含む各地に犠牲者が出たからである。全面核戦争が起これば人類の滅亡につながるからである。核兵器の使用は「人道に対する罪」、「平和に対する罪」を犯すことである。第二次大戦後に、勝利国側が「創設」したこの二つの罪に該当する。私は個人的にはそう考える。しかし米国は広島と長崎への原爆投下を正当化している。(略)

米国の
戦略爆撃調査団は、戦中から戦後まで日本への空爆の破壊力、被害の大きさを細部にわたり徹底的に調査した。戦後に発表された報告からは、1945年時点における日本の国力は、戦闘どころか、政府は生存に必要な食糧さえ国民に供給できない状況だったことがわかる。米国でも、アカデミズムでは原爆投下は正当化されないのが通説という。それはB29爆撃機や米空母艦載機の空襲を経験した私の世代の常識でもある。正当化論は、米国政治家と国民の大勢が支持してきたが、若者層では反対論が増えているとの報道もある。この前提に立てば、世界の指導者が原爆被爆地を訪れ惨劇の事実を知り反核意識を深めて犠牲者を追悼するのは望ましい。これは一般論であって、米国大統領の場合は別である。彼は追悼の前に「謝罪」が必要である。これが私の考えである。

オバマは2009年の
プラハ演説で、米国が率先して核兵器のない世界を追求するとの決意表明をして、同年のノーベル平和賞まで獲得した。彼は自国の爆撃機が70年余前に投下した広島を訪れる。そのときに原爆資料館や原爆ドームを見て記念碑に献花するだろう。しかし哀悼と鎮魂では済まない。ノーベル賞に至る演説の精神と謝罪は矛盾しない。むしろ謝罪が論理的な筋道である。米国の世論を超えて、指導者として当然の論理であり心理である筈だ。(略)オバマの広島行きに関して歓迎色だけが日本全体を覆っている。メディアを見聞しても謝罪論を一つも見ていない。(略)以上は「常識的で市民的な感想」のつもりで書いた。この考えについて何人かの知人・友人に意見を求めたが全面賛成者は皆無であった。私の考えは「常識的で市民的」ではないのだろうか。(半澤健市「リベラル21」2016.05.03

【山中人間話】

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