キョウ ほっかいどうごく2

澤藤統一郎弁護士は私の尊敬する弁護士のおひとりですが、同弁護士の「北海道5区補選・共闘の『成果』と『教訓』についてー郷路征記君の意見紹介」という論には賛成できません。同弁護士の論調は私が前回記事で指摘した「井の中の蛙」の目を超えていないからです。
 
私は同記事で次のように指摘しておきました。「典型的な「井の中の蛙」発言です。大海を知らないのです。共産党をはじめとする組織力に定評のある組織にはたしかに一定の動員力はあるでしょうが、そうした井の中の「賑やかしさ」だけでは「『寝ている無党派層』は起こせない」のです、と。
 
しかし、澤藤弁護士が「これだけでも、十分な『選挙総括』となりうる」として紹介する4本の動画はすべてその「井の中」の側から撮った動画でしかありません。これでは「井の外」は見えはしません。「井の外」の状況や動向を知らずに「十分な『選挙総括』となりうる」はずもないでしょう。また、それではせいぜい「井の中」だけでの「選挙総括」ということにしかならないでしょう。「井の『内』と『外』」を含めた大海の総括とはなりえないのです。
 
大海の状況と動向を見極めるにはkojitakenの日記の「投票率の割に池田真紀候補の得票が少なかった」グラフが参考になります。そのグラフを示した上でkojitakenさんは次のように指摘しています。「今回の補選における池田真紀候補の得票率は最小自乗法による近似直線よりもかなり下に位置することが注目される。この要因として、下記の2点が考えられる。1.近年、自民党支持が増え、野党支持が減っている。2.「野党共闘」を嫌って投票しなかった共産党支持者(及び民進党支持者)が少なからずいる。(略)やはり、2010年以降の自民党の党勢拡大と、今回の「野党共闘」によって共産党の固定票の一部が逃げた影響は無視できないだろう」、と。それが今回の北海道5区補選における大海の状況と動向というべきものです。

kojitakenさんの言う「共産党の固定票の一部が逃げた」問題については共産党シンパ層の投票行動に影響を及ぼした深層(心理)の問題として私は次のように分析しています(あくまでも直観的なものですが)。
 
「昨日の記事で民進党の問題群はさておいて、共産党を例にとって、私が『選挙前に天皇臨席の国会開会式に出席したことや『「慰安婦』問題に関する『日韓『合意』』を徒に評価したことが今回の補選にもどれだけ負の影響を与えているか』と述べているのは、その問題がkojitakenさんの言う『『寝ている無党派層』を起こさせるほどの魅力が欠けていた』大きな理由のひとつになっていると考えるからです。これまで同党の周縁にいて共産党を支える蝶番的役割を果たしてきた知識人やシンパサイザーの少なくない人たちがこの問題を通じて同党に大きな不信を募らせた。それがこの北海道5区補選においても深層のところで『寝ている無党派層』を起こさせるだけの瞬発力を持ちえなかった大きな一因になっている」、と。私がここで言う「瞬発力」とは共産党シンパ層をさらに超える共産党支持、あるいは野党共闘支持の大衆的な「拡がり」の勢いのことです。澤藤さんの言う「シナジー効果」、これまで革新統一共闘の利点として言われてきた1プラス1が3にも4にもなる相乗効果は今回は働いていないことはkojitakenさんのグラフが示しているところです。
 
そうした反省を「選挙総括」に活かしうるかどうか。澤藤さんの論を見る限り「井の中の蛙」の視点は克服されておらず、そうであれば当然、「選挙総括」として活かされるはずもありません。もう一度kojitakenさんの論を引いておきますが、この点についてkojitakenさんは次のように言っています。
 
「負けたあとにこそ冷静な結果の分析が必要なのだ。それを怠って、『このまま『野党共闘』を進めていけば参院選に勝てるぞ』などと声高に叫ぶ姿勢を、われわれ反自民系無党派の人間は強く批判しなければならないと私は確信している。なぜなら、彼らの甘言に乗せられたあげくに、今は「死んだふり」を決め込んでいる安倍晋三に衆議院を解散されて『衆参同日選挙』をやられた日には、日本の反自民勢力は先の戦争に負けた時に匹敵する致命的な敗北を喫することは目に見えているからだ。その最悪の事態を回避するために全力を傾注しなければならない時、それが今だ」、と。
 
最後に澤藤さんの5区補選の総括について「とりわけ直接選挙に携わった人たちからの報告や意見を聞きたい」という発言の問題性についてもひとこと触れておきます。これは4月25日付けのブログ記事で引用した神奈川新聞記者の言う「『当事者性』も『匿名性』も、問題の本質を語るにおいて、一体どれだけ大切なのか。(略)当事者でなければ切り捨てるのか。当事者なら対応は変わるのか」といういわゆる「当事者主義」の問題です。同記者はさらに次のように言葉を継ぎます。「『当事者であること』というステータスに重きが置かれているならば、それは非常に危険なことだと思う。当事者の絶対数が少ない社会的マイノリティーは、確実に制度の谷間からはい上がる機会を失い、やがて淘汰される」だろう、と。
 
また、同記者の記事をツイッターで紹介した発信者も次のように言います。「『当事者以外は声をあげるな』が罷り通ることは、為政者と利害関係者の好きにやらせろとほぼ同じ意味。為政者はすべての当事者だから」、と。
 
澤藤弁護士の議論における「当事者主義」の主張は危ういものがある、と私は思います。
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