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Blog「みずき」:ちあきなおみは私も大好きな歌手です。前田武彦と芳村真理がコンビで司会をしていた『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ)でちあきなおみは当時のマエタケさんから「ビックリ美人」という愛称を賜るほどの美人でした。それよりもなによりもちあきは歌がとてもうまい。ほれぼれとする。有名な「喝采」や「四つのお願い」もさることながら、私としては「紅とんぼ」が好きでした。あれもちあきなおみならではの歌でしたね。下記でtoriiyoshikiさんのあげる番組は、私もこどもであったとき、あるいは若者であったときにリアルタイムで観ています。だから、toriiyoshikiさんのおっしゃることはよくわかるのです。そのとおりだとも思います。おそらく同世代の共通する感想というべきものでしょう。そういうわけでちあきなおみとテレビドラマ・ヴァラエティ・ドキュメンタリーの黄金時代、それに私たちの「若き日」に今日は乾杯したいと思います。
この記事を記したもうひとつの理由についても記しておきます。永田浩三さんの本日付けの記事に以下のようなコメントを投稿しました。同投稿とのバランスをとっておきたい、というのがもうひとつの執筆動機ということになるでしょうか。
この記事を記したもうひとつの理由についても記しておきます。永田浩三さんの本日付けの記事に以下のようなコメントを投稿しました。同投稿とのバランスをとっておきたい、というのがもうひとつの執筆動機ということになるでしょうか。
この問題については永田さんの元同僚ではないかと思うのですが、元NHKディレクターのtoriiyoshikiさんの「「籾井会長がどういう意味で言ったのかは本人でないのでよくワカラナイ。しかし、少なくとも字面を見る限りは原則を大きく逸脱する話ではない。だから、現場は聞き流せばいい話。それを忖度して自主規制しようという幹部が現れるなら、情けない話である」という発言があります。 この発言については私も違和感をもっているのですが、「公共放送として、報道にあたってベースとするものは、取材してわかった事実であり、判明した事実関係である。もちろん、震災被害のような状況下で国や地方自治体など行政が果たすべき役割はきわめて大きく、そうした行政の公式発表を「行政はこのように発表しています」という事実として多くの視聴者に伝えるのは放送の役割からして当然のことである。同時に、私たちは行政とは別にさまざまな取材をおこない、そこで判明した事実や事実関係をもとにして行政に対し、質すべきことがあれば質問し、それに対する回答も伝えて、視聴者に行政がどういう考えをもとに活動しているかも伝えなければならない。もし行政の判断や活動に問題がある場合には批判をするのも当然の役割である。NHKや取材者の名誉や利益のためではなく、民主主義社会において、国を、社会を強靭にしていくために必要なことだ」というご紹介の日放労のメッセージがよき反論になっているように思います。長くなりました。ご容赦ください。
【たとえば「俺が愛したちあきなおみ」のドラマ美について】
現職時代はテレビドラマをほとんど見なかった。興味がなかったわけではない。毎週見ることがほぼ不可能だったから。…退職して時間に余裕ができて、「真田丸」とBS11で再放送されている「大都会〜闘いの日々」は欠かさず見ている。特に40年前の「大都会」は初回から一回も欠かさず見続けてきた。今夜の「大都会」は題名の鮮烈さでいまも忘れられない「俺が愛したちあきなおみ」…いやぁ、よかったなあ。「喝采」が流れるクライマックスはほとんど泣き出しそうになって見ていた。
現職時代はテレビドラマをほとんど見なかった。興味がなかったわけではない。毎週見ることがほぼ不可能だったから。…退職して時間に余裕ができて、「真田丸」とBS11で再放送されている「大都会〜闘いの日々」は欠かさず見ている。特に40年前の「大都会」は初回から一回も欠かさず見続けてきた。今夜の「大都会」は題名の鮮烈さでいまも忘れられない「俺が愛したちあきなおみ」…いやぁ、よかったなあ。「喝采」が流れるクライマックスはほとんど泣き出しそうになって見ていた。
脚本は倉本聰、監督は村川透。ゲストスターは高橋洋子に、TVディレクター役で蜷川幸雄。「俺が愛したちあきなおみ」…クライマックスのカットバックがめちゃくちゃいいんだよね。このシリーズでは脇にまわっている裕次郎の表情がとてもいい。いままでは役不足の感がなきにしもあらずだったが、この回は深〜く本領発揮。渡哲也の、男の俺が見ても惚れ惚れするような色気が堪らない。「大都会」の最初のシリーズは派手なアクションは皆無で、毎回、1時間(民放だから正味45分くらいか…)では収まりきらないほどの濃厚な人間ドラマが展開する。通奏低音は、思うに任せない人生のやるせなさだ。だから、読後感がとても重く、切ない。やくざと警察、新聞記者の織りなす同工異曲の人間模様で、毎回、人生の思うに任せない哀しさ、やるせなさを描き出して水準をクリアしているのは本当に凄い。
40年前、ぼくたちはこれほどまでに豊かなテレビ表現と同時代を生きていたのだ…。私見では、この「大都会」、同じ倉本聰の「前略おふくろ様」、NHKでは山田太一の「男たちの旅路」、向田邦子と和田勉の「阿修羅のごとく」などが次々に作られていた1970年代後半がテレビドラマの黄金時代ではなかったか。作家の小林信彦さんによれば、テレビ・ヴァラエティの黄金時代は1960年代前半だという。「シャボン玉ホリデー」や「てなもんや三度笠」などをかろうじて記憶している世代としては、肯ける話である。そして、これまた私見だが、テレビ・ドキュメンタリーの黄金時代は1960年代後半だと思う。してみれば、「テレビの黄金時代」は、俺がこの業界に入った頃には既に過ぎ去ろうとしていたことになる。つまり、俺たちは限りない後退戦を闘い続けてきたわけだ。情けない話だが、でも確かにそうだ…と肯ける気がする。まぁ、業界から足を洗ったわけでもないし、もうちょっと悪あがきをしてみるか…。(toriiyoshiki Twitter 2916年4月27日)
【山中人間話】
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