「kojitakenの日記」の本日付けのタイトル「宮球場使えない五輪死ね!!!」は「保育園落ちた日本死ね!!!」ブログのタイトルのもじりであることは明らかですが、このようにして「罵倒文化」なる罵り言葉が罵り言葉でない、ふつうの言葉であるかのように世間に流通していき、かつ、 「かだった言葉遣いが、どんどん貧しくなっていく」のです。

私がここで強調するまでもないことですが、「言葉遣い」は長い歴史の中で培われてきたひとつの文化です。そういうことどもへの敬意の希薄化。そうした敬意の希薄化の後には何が待っているでしょう? 遺憾の念に堪えませ
ん。
 
改めて「日本はあんなに豊かだった言葉遣いが、どんどん貧しくなっていく」という野坂昭如の絶筆となった論の一節を引用しておきます。
 
日本はあんなに豊かだった言葉遣いが、どんどん貧しくなっていく。美しかった言葉は今やまったくといっていいほどなくなってしまった。今、この国の体裁は整ったように見えるかもしれないが、しかし言葉は失ってしまった。そうか戦後は「黙」なのだ。病後を言い訳に、天井だけを見て日々過ごしていると、ロクなことしか考えないし、ロクなことしか思い出さない。二十歳を過ぎた頃だったか、学校にも行かず、酒を飲むかバイトに行くか。その日は銀座7丁目千疋屋でりんご磨き。店先に真っ赤なりんごが並ぶ。ぼくは、ひとつ、ひとつ丁寧に磨いた。りんごはとても冷たく指が切れそうだ。指先が悴(かじか)んで落としそうになる。店には「枯葉」のメロディが流れていた。寒い日だった。(野坂昭如「俺の舟唄」第22回 週刊金曜日所収)

【山中人間話】

「kojitakenの日記」の本日付けのタイトル「神宮球場使えない五輪死ね!!!」は「保育園落ちた日本死ね!!!」ブログのタイトルのもじりであることは明らかですが、このようにして「罵倒文化」...

東本高志さんの投稿 2016年4月5日
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