キョウ おーうぇる

Blog「みずき」:ここでも辺見庸はオーウェルの「素面のときはコミュニストなのに、酔ったとなると熱烈な愛国主義者になる」男の話を引いて共産党という政党をカリカチュア化して批判しています。なにゆえに辺見は共産党をカリカチュア化するのか。少なくとも辺見はあの赤旗のインタビュー・ドタキャン事件まで共産党にはある種の信頼感を抱いていたと思います。そうでなければ辺見は志位氏に志位さん、日本共産党史上、もっとも例外的に自由で勇気ある委員長になる気はないですか?」などと対談を呼びかけたりはしないでしょう。しかし、ドタキャン事件を境にして辺見にはこれもある種の断念があった。そして、そのある種の断念は、昨年末の天皇臨席下の国会開会式出席日韓「合意」評価という同党の「歴史」的変節によって決定的な断念へと変容した。それがカリカチュア化になっているのだろうと私は思います。また、この問題の責任の主体は共産党側にあることは明らかだろうとも私は思います。批判されるべきは誰か?

【安倍をみくびってはならない。共産党をみあやまってはならないように】
オーウェルヒトラー描写の卓抜さといったらない。「それ(ヒトラーの顔)は憐れみをさそう犬のような顔というか、耐えがたい虐待に苦しんでいる男の顔である。やや男らしいところはあるものの、無数にある十字架上のキリストの絵の表情にそっくりなのだ。そしてヒットラー自身が、自分をそういう目で見ていることはまちがいない。……彼は殉教者であり、犠牲者なのだ。……われわれはナポレオンにたいする時のように何となく、彼は運命と闘っている、勝つことはできまいが勝ってもいいではないかといった気持ちになる。こういうポーズはきわめて魅力的なものだ。映画の主題の大半はこれなのである」(小野寺健・訳)。

安倍だってときどき「憐れみをさそう犬のような顔」をし、ひどく傲岸な目つきをするかとおもえば、知的劣等感にさいなまれる者のもうひとつの顔、すなわち殉教者面をよそおう。じつのところ、多少見識のあるひとびとは、与党の大物から国会前のハナクソテモ(あれはデモとはいえまい。
ニュースピーク的にいえば、せいぜいがtemonstration)参加者まで、安倍を内心、見くだしていた。安倍はじぶんがひそかに見くだされていることをよく知りつつ恨みを燃やし、それをパッションとしてのしあがってきた。だが、報道の自由度世界61位という栄えある極東の弧状列島ジャパンには、安倍を「憐れみをさそう犬のような顔」「知的劣等感のかたまり」「貧相な下痢男」と書けるジャーナリム(とその自由、その発意、その創意)はない

かくして「人間は、すくなくとも時によると、闘争とか自己犠牲を望むものだし、太鼓とか旗とか観兵式などが好きなのは言うまでもない。経済理論としてはともかく、心理学的には、ファシズムとナチズムはいかなる快楽主義的人生観よりはるかに強固なのである。おそらく
スターリン軍国主義的社会主義についても同じことが言えよう」という、オーウェル1940年の言説は依然、一読にあたいすることとなる。われわれは当面、〝イチオクソウカツヤク〟(筋障害)社会で汚物をひりちらかして生きるほかはないのだ。安倍をみくびってはならない。共産党をみあやまってはならないように。おなじくオーウェルに「素面のときはコミュニストなのに、酔ったとなると熱烈な愛国主義者になる」男がでてくる(『パリ・ロンドン放浪記』)。しかも「手に負えない排他的な愛国主義者」だ。男たちはインターナショナルラ・マルセイエーズ春歌もうたう。たからかに。心をこめて。労働歌とキミガヨをおなじ口でうたうのとさしてかわらない。(辺見庸「日録」2016/03/30

【山中人間話】

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東本高志さんの投稿 2016年3月31日

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