キョウ まつもと

【想像力に乏しく、本当のことを知らなかったのは、ほかならぬ私だった】
私は震災後の福島を描いた二冊の絵本『
ふくしまからきた子』『ふくしまからきた子 そつぎょう』(岩崎書店)を出版しています。一冊目では震災直後に福島から広島へ、母子で自主避難した少女の物語を。二作目では、その少女が福島へ戻る物語を。

昨年、この二作目『そつぎょう』を作ったことで、そして『そつぎょう』のために私が取材で出会った「福島での暮らしを選択した人々」について反原発集会でスピーチをしたことで、私は反原発の思いを持つ人々の一部から罵声を浴びることになりました
「汚染された地に子どもを戻すのか」「虐待」「人殺し」「国策絵本作家」などの誹謗中傷が、いまだに数多く寄せられます。実は、これらの罵声は、この五年間、福島県に暮らす、一般の人々にも浴びせられ続けています。公園や校庭での外遊び、プール、芋煮会、地域の清掃活動など、一つ一つの活動がメディアで取り上げられるたびに、教育現場や役場では、抗議の電話やファックスが鳴りやまず、その数が千件以上にのぼった場所もありました。「抗議」の大半は、その場の放射線量も把握しておらず、陰膳調査や度重なるホールボディーカウンターでの内部被ばく検査の結果も知らない人々による感情的なもので、現場の大人たちや地域の子どもたちを深く傷つけている現実があります

こうした問題の背景には、国や東京電力への不信感はもちろん、「福島の人は本当のことを知らないのでは」という当事者軽視があると思います。恥ずかしながら、私自身がそういった思いを抱いていた一人でした。3・11後、私は原発事故に怒り、悲しみ、二〇一一年の夏に、初めて福島県中通りを訪れました。その時、すでにほとんどの子どもたちがマスクをしておらず、自分のイメージとのギャップに戸惑いました。当事者からどんなに説明を受けても「ここで子どもたちが育って大丈夫なのか」「政府の安全PRにだまされているのでは」と、疑念が拭えませんでした。けれど、繰り返し福島を訪れる中で、放射線と日々向き合うことを強いられた現地の人々は、私が疑うようなことはとっくに疑い尽くし、目の前の子どもや大切な人を守るため、国の出した数値を徹底的に再計測し、対策し、必死で日常を取り戻していることを知りました。福島が回復してきたことを知り、ありのままに受け止めることと、原発の是非や国や東電の責任を問うことは全く別問題であるということ、そして被ばく問題は私よりも福島の人々にとっては、はるかに死活問題であるという、当たり前のことを突きつけられました。想像力に乏しく、本当のことを知らなかったのは、ほかならぬ私だったのです。
 
一六年の今も、かつての私のように「福島は汚染されている」という抽象的な表現に翻弄され、不安に思う人々は多いと思います。しかし、あれだけメディアで耳にする「一ミリシーベルト」ですら、その数字が指す意味を具体的に把握している人は少数でしょう。例えば旅客機で成田からニューヨークに行くと、片道五〇-一〇〇マイクロシーベルトを被ばくします。五~十回の往復で国が決めた追加被ばく一ミリシーベルトを上回ります。CTスキャンは一回十ミリシーベルト、宇宙飛行士は一日一ミリシーベルトの被ばくをします。こうした具体例を多くの人が共通認識として持つことで、極端なデマやイメージに振り回されることなく、現実の福島の復興と課題が見えてくるのではないのでしょうか。

震災から五年がたちます。この先さらに福島への差別や偏見が助長されることのないよう、社会全体で、現地からの発信に耳をすまし、知らないことを知っていきながら「寄り添う」ことの意味を一緒に考えていきたいのです。(
松本春野 東京新聞夕刊 2016年3月9日

【山中人間話】

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