キョウ きむらそうた

Blog「みずき」:木村草太さんは昨年末からテレビ朝日「報道ステーション」のコメンテーターに抜擢されるなど目下売出し中の新進気鋭の憲法学者です。リベラルの論客としていわゆるリベラル・左派からの人気も高いものがあるようですが、そのリベラル度はほんものか。水島朝穂さんが彼の説く論の本質的な保守性の問題性を鋭く剔抉しています。見るべき目を確かにするためにも読まれるべき指摘だと思います。


来栖三郎が問うた「解釈者の責任」の問題】
7・1閣議決定」は、集団的自衛権と個別的自衛権とが「重なり合う」なかで、個別的自衛権の範囲の一部を集団的自衛権と呼んでいるだけであると主張する木村草太氏の議論の問題性について(略)言及しておきたい。(略)木村氏の特異な主張については、直言「「7.1閣議決定」をめぐる楽観論、過小評価論の危うさ」や拙著『ライブ講義』 の68、73、75、81-82頁、『沖縄タイムス』オピニオン欄の拙稿などで批判してきた通りである。また、木村氏の説が、10年以上前にすでに質問主意書で提起され、政府答弁書で否定されていた、およそ「新手」とは言えないものであることも「直言」で明らかにした。 個別的自衛権か集団的自衛権かは二者択一の関係にあり、ある武力行使が個別的自衛権行使でも集団的自衛権行使でもあるということはあり得ず、両者が重なり合うことはない。「7・1閣議決定」は、端的に集団的自衛権行使を認めたのである。このことを藤田氏は、「木村教授自身も亦結果的に、認めるところとなっている」と的確に指摘している(上記注15)。木村氏の主張の破綻は明らかだろう。(略)
従来の法制執務の積み重ねに則って起案され、内閣法制局が審査をした閣議決定や法案の文言を客観的に読むことと、客観的に読めば違憲になるので合憲となるように文言を読み替えるということは全く違う作業である。善意に解釈すれば、木村氏は後者を戦略として採用したのかもしれないが、法案審議の段階では、違憲の法案は否決や修正により是正の可能性がある以上、端的にその違憲性を指摘すればよく、政府の行為をチェックする側がわざわざ「合憲限定解釈」的に当該法案を合憲となるように読み替えてやる必要はないのではないか。「合憲限定解釈」は、法律が制定された後に当該法律をなるべく違憲・無効としないために行う事後的救済の解釈技術であり、いくらでも是正が可能な法案審議の際にその発想を持ち込むのはいかがなものか。そうでなく、あくまでも文言上客観的に「重なり合っている」としか読めないというのであれば、木村氏の実定法の読み方の作法を疑わざるを得ない。

木村氏は、「重なり合っている」という特殊な自説を主張することによって、閣議決定の違憲性に対する、事実上、過小評価となる楽観論を広め、本来、端的に「閣議決定は違憲である」と正すべきところ、これを弱め、曖昧にする「効果」を発揮したのである。政府解釈が半世紀以上も違憲としてきたものを、昨年の閣議決定により合憲なものにひっくり返した安倍政権の狼藉(藤田氏のいうところの「憲法学者の想定を超える程に「非常識」な政治的行動」〔論文4頁〕)を、解釈技術の提供で合理化した責任は免れない。半世紀以上昔の「
法解釈論争」で来栖三郎が問うた「解釈者の責任」の問題にもつながることをここで改めて強調しておきたい。(水島朝穂「今週の直言」2016年3月7日

【山中人間話】

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