キョウ たくぼく 

 
Blog「みずき」:初句の「わざと転びて」の歌は啄木上京の年の1909年の作。年譜によれば、その前年には啄木は小樽市内で当時の社会主義者、西川光二郎の講演を聞いています。啄木の「強権」への怒りはこのとき確実に萌芽されていたと見てよいでしょう。「時代閉塞の現状」を憂う歌を作った翌年の1910年は大逆事件の年。また、朝鮮併合の年でもあります。そして、啄木が早世するのはその翌々年の1912年。「貧しさ」と「時代閉塞の現状」は啄木をも殺したと言っていいでしょう。そのときから105年。「啄木的現状」はいまも変わりません。

【強権への憤怒――石川啄木の場合】
啄木は時の強権政治の最高責任者であった桂太郎首相に対する怒りを表現している。

宰相の馬車駆り来るその前にわざと転びて馬車停(と)めて見る
(「莫復問」1909年5月『スバル』)

宰相の馬車わが前を駆け去りぬ拾へる石を濠に投げ込む
(「曇れる日の歌(6)」1910年3月27日『東京朝日新聞』)

やとばかり
桂首相に手とられし夢みて覚めぬ
秋の夜の二時
(1910年9月9日『創作』同年10月号)

地図の上朝鮮国に黒々と墨をぬりつけ秋風を聞く


明治四十三年の秋わが心ことに真面目になりて悲しも


何となく顔が卑しき邦人の首府の大空を秋の風吹く


常日頃好みて言ひし革命の語をつつしみて秋に入れりけり


秋の風われら明治の青年の危機をかなしむ顔なでて吹く


時代閉塞の現状をいかにせむ秋にいりてことにかく思ふかな
(1910年9月9日)

鄭玹汀 2016年2月19日

【山中人間話】

http://www.asahi.com/articles/ASJ3253F1J32UHBI01R.html?ref=nmailこういう時代に、僕らは生きている。

Posted by 金平 茂紀 on 2016年3月2日

【米国大統領選 分断の政治を憂う】
米国の民意はどこへ向かうのか。「
トランプ現象」はもはやブームではない。保守層の中で確かな流れになりつつある。実業家のドナルド・トランプ氏が2大政党のひとつ、共和党の大統領候補指名に向けて着実に歩を進めている。50州のうち、11州でおとといあった予備選や党員集会でも、ライバルとの差を広げた。この勢いが続けば、党の候補の座を獲得し、11月の大統領選挙に臨むことになるかもしれない。多くの国の人びとが不安の目を注いでいる。トランプ氏は、米国と世界を覆う難題への冷静な取りくみではなく、むしろ、米国内外の社会の分断をあおる言動を重ねてきたからだ。やり玉に挙げるのは、メキシコ人であり、イスラム教徒であり、中国や日本でもある。民族や宗教などに標的を定めて攻撃し、テロの心配や雇用難などで怒る有権者の歓心を買う。そんな扇動的な訴え方が、自由主義の旗手を自負する大国のリーダーとしてふさわしくないのは明らかだ

トランプ氏は、人種や性問題での差別意識の疑いも漂わせてきた。白人至上主義を唱える団体の元幹部からの支持も、明確に拒む姿勢を見せていない。もし人種的な意識が潜んでいるならば、危うい時代錯誤だ。米国の人口構成は着実に旧来の「白人」の比率が減り、中南米系やアジア系が増えている。流入する移民とともに世界の頭脳と活力を吸収する成長力こそ米国の強みであり、実際、米国経済を引っぱる情報技術や金融界での移民の貢献は甚大だ。多様性を否定するような言動は移民の国としての自己否定であり、トランプ氏が言う「米国の復活」にもつながるまい。

米国民の心情に、政治への強い鬱屈があるのはわかる。新たな政治を求めて誰かを選ぶというより、旧来の政治を壊すために極端な主張に支持を寄せる現象は近年、他の民主主義国でもめだっている。経済でもテロ問題でも、一国の有権者には見えにくい地球規模の情勢が、暮らしを左右する時代である。政治家たちが問題のありかを国外に求め、自国優先を唱えれば心地よく響く。それは各国共通の事情だろう。だが現実には、移民を排し、外国を責め、国を閉じることで問題は何も解決しない。米国にいま必要なのは、多様な国民を統合し、国際社会と手を携えてグローバルな課題に向き合える有能な指導者を選ぶことだ。秋の選挙に向けて賢明な選択を下すよう米国民に期待する。(
朝日新聞社説 2016年3月3日

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