キョウ あんどれ・じっど
アンドレ・ジッドの青年時代(1920年)

Blog「みずき」:辺見庸ブログに以下のような新著案内があります。「2016年3月初旬発売の「文學界」4月号が、辺見庸の最新短篇「あの黒い森でミミズ焼く」(約45枚)を掲載する予定です。……災禍を生きのこってしまったひとりの老女の存在をめぐり、こともあろうに、『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』の著者カールにたいし、あれこれと一方的に問いかけつづける物語。名著『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』は、大月書店版、新日本出版社版、平凡社版の3つを用いました」。

カール・マルクスの『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』を小説仕立てにするという着想自体、辺見ならではと言ってよいでしょうが、辺見が同短編の創作を思い立ったのにはおそらく昨年末の『赤旗』の自身へのインタビュー・ドタキャン事件が関係しているでしょう。そのとき辺見は日本共産党という左翼政党の社会主義思想の貧困の問題に思い到った。その共産党の思想の貧困はなにに由来するか。辺見はその問題をマルクス主義(科学的社会主義)の創始者のカール・マルクスに語らせようと着想した。それが「あの黒い森でミミズ焼く」という短編の創作の動機になったのではないか。いずれにしても、そのマルクスと辺見の問答は以下の渡邊一民さんの問題提起にも通じる問いだろうと私は想像します。そのとおり、左記はいまのところ私の想像の域を超えていませんが、おそらくそういう短編になるだろうというのが私の予想です。もちろん、当たるも八卦当たらぬも八卦の世界の話でしかありませんが……。

【状況主義とスターリニズムとの相似性】
前回渡邊一民状況主義とラディカリズム」(略)からの引用の中に「状況主義」という言葉がある。この言葉は渡邊の造語なのだが、これについて解説した渡邊の文章が含蓄があると思うので紹介しておきたい。(略)
<30年代の反ファシズム運動はある意味では革命の祖国ソヴェト擁護の運動だったとも言えるのですが、そうした国際的な反ファシズム運動の指導者の一人が、きみもよく知っているアンドレ・ジードその人でした。

ところがジードは、1936年夏ソヴェトを訪れ、そこに期待とはまったくかけ離れた現実を見いだしました。そして彼はその年の暮に、ソヴェトにおける「希望と信頼と無知によってつくられている」民衆、革命精神の死滅、すべてを受諾する服従の精神、あらゆるところに見られる
コンフォルミスムを弾劾する、有名な『ソヴェト紀行』を発表したのです。もっともそれは、けっして世上に言われるような反共文書ではなく、その序文でジードが記しているように、「虚偽――たとえ沈黙のそれであっても――や虚偽に固執することは、ときには都合よく見えるかもしれぬ。が、しかし、それは敵の攻撃にたいして絶好の機会をあたえるものだ。それに反して真実は、たとえ痛々しいものであっても、癒すためにしか傷つけないものである」(「序文」小松清訳による)という確信にもとづいて書かれたものだったのです。そのような意図が政治の世界では理解されるはずもなく、この書物は右翼の喝采と左翼の側からの罵詈雑言によって迎えられました。(略)

ジードが、それこそ反ファシズム運動をほんとうの意味で強化することだと信じたがゆえに、あえてあきらかにしようとした真実、すなわちソヴェトのまぎれもない現実、粛清への疑惑、抑圧への抗議にたいして、ジードの批判者はその真実の内容をまったく問うこともなく、いわば一方的に「政治判断」ないし「客観的判断」によって、その真実を圧殺し糊塗しようとしたのでした。(略)こうした論法ないし思考法が、結果としては、大義のためにそれを用いた人々の善意とは裏腹に、まさに
スターリニズムの犯罪の隠蔽にしか役立たなかったことは、その後の歴史の示すところでしょう。

わたしはこういう論法ないし思考法を一括して状況主義と呼びたいのです
。一言でいえば、たとえ真実であっても、真実はそのときの政治状況によって真実であってはならないし、ときにはそれが偽りとならねばならぬことさえあるという、そのような考えにもとづくもののことです。(略)一種の民衆不信に彩られるこうした状況主義は、けっしてこの時代だけに限られたものではなく、戦後もそのまま引きつがれ、《ストックホルム・アピール》の時代に青春をすごしたぼくらは、それによってどれほど毒されたかはかり知れません。今日なお、それと意識されないにせよ、状況主義的思考があらゆる領域で跳梁していることは、それをささえてきた特定の世界観が、つい最近までどれほど強い影響力を行使してきたかを証すものにほかならないでしょう。>(金光翔「私にも話させて」 2016年02月19日

【山中人間話】

強権への憤怒――石川啄木の場合啄木は時の強権政治の最高責任者であった桂太郎首相に対する怒りを表現している。宰相の馬車駆り来るその前にわざと転びて馬車停(と)めて見る(「莫復問」1909年5月『スバル』)宰相の馬車わが前を駆け去...

Posted by 鄭玹汀 on 2016年2月19日
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