キョウ うすいよしみ
臼井吉見(1905~87)

3年前から「今日の言葉」として人さまの言葉を中心に書き綴っています。この1年ほどは結果としてほとんど日本の社会と政党の「右傾化」の問題が主題になっています。毎日、毎回、飽きもせずに「右傾化」の問題を書き綴っているということになります。しかし、日本社会と政党の「右傾化」は急傾斜の様相は帯びても一向に弱まる気配はありません。私の問題提起などときどき池に蛙が飛び込むポシャリという程度のさざ波さえも起こさないということなのでしょう。しかし、小さなさざ波であっても池に飛びこもうとする蛙の動きを凝視していた人の目にはとまるはずです。私としてはそれでよしとするべきかもしれません。誰かが聞き耳を立てていてくれたのですから。私のブログの冒頭の言葉にも書いています。「時には行く人あり、見る人もあるだろう」、と。

その「見る人」のために「戦後の日本の大衆運動」の問題点を文芸評論家の視点から問題提起している一文を下記に再掲しておきたいと思います。文芸評論家の臼井吉見(1905~87)の視点です。1964年に書いた「戦没者追悼式の表情」という一文。「大衆を組織するという政治目標が何よりも優先されるという状況主義の跋扈が個々の運動を事実上安易で自己満足的な基盤の脆いものに堕さしめた」という渡邊一民さんの指摘に呼応するその言葉よりさらにひと昔前の指摘です。「今日の言葉」の続としておきます。半澤健市さんの文章の「モトノモクアミに化していくのだろうか」という節より。

評論家の臼井吉見が1964年に書いた「戦没者追悼式の表情」というエッセイがある。政府主催の第二回戦没者追悼式(遺族会の要求で靖国神社で開催)に出る未亡人が、満面の微笑とともに、「感謝と感激でいっぱい、なんと申していいものやら、胸がつまって、言葉もございません」と答えているテレビ画面を、臼井が、みたこと、また、『あの人は帰ってこなかった』という新刊を読んだら、岩手県山村の一部落では、125人が出征して、32人の未亡人が出たこと、そして未亡人の一人が次のよう語ったこと、について書いている。

「エヤ、戦争どう思うってすか? なに、やらねばならなくてやったんだべからナス。アン、仕方ねぇことだったべと思ってるナス。戦死した家、皆気の毒だったナス。オレばかりでなくナス。オレより苦労した人、まだいっぱいいるベモ」

臼井はこう続けている。
 
「(あとの人は)靖国神社その他が出てこないうちだから、まさか感謝感激はしていない。だが、このあきらめぶりは、戦前と寸分の変わりもない。

十九年かかって、モトノモクアミに仕立ててしまったということ、これをすべて反動勢力のしわざにしてしまうわけにはいくまい。その勢力がものを言ったことを疑うものではないが、責任はむしろ革新勢力にあるのではないかと思われてならない。浮き足だって突っ走り、自分の金切り声に自分で酔い、口を開けば、ソレ戦争にナル、ヤレ戦争につながるの一点ばり、そのすべてが逆用されたといえば、言い過ぎであろうか。

適時に、ぬからずクサビを打ち込むこと、ここからは断じて後戻りさせないという、派手ではないが大事なクサビ打ちの仕事を革新勢力はやって来たかどうか。職業柄、日教組などは、その適任者のはずなのに、これがまっさきかけて突っ走ったのだから話にならない。

戦没者の慰霊祭などは、とっくの昔に、革新勢力の提唱で、国民の名において実行すべきではなかったか。その犠牲によって、日本が近代国家に生れ変り、軍国主義を捨て去ることのできたゆえんをはっきりさせて感謝するほかに、戦没者の霊を慰める道などあろうはずがない。しかるに、戦没者が、あたかも悪事を犯したかのようで、その遺族が、肩身の狭い思いをしなければならぬようなふんいきをかもしだしつつあったのは、どこのだれだったか。たまには胸に手を当てて考えてみるがよい。(略)僕は、先日来、テレビで甲子園の野球見物をしている。この選手たちは、すべて戦後の生まれとか。

あの残虐愚劣きわまりなかった戦争を、話としてしか知らない者どもが、ここまで育ってきたかと思うと感無量だった。こうしてすべては忘れられ、モトノモクアミに化していくのだろうか。まさか?」
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