キョウ へんみ
辺見庸(朝日新聞)

Blog「みずき」:下記の「朝日新聞インタビュー(1)」で辺見のいう「70年代から幾何級数的に進んできた」傾向のひとつとして私は「民主集中制」問題をめぐる共産党内の田口・不破論争を挙げることができるだろうと思っています。この頃から同党は論敵を孤立化させ、排除するという形で「右傾化」の歩を進めてきたというのが私の見方です。そのことに私は最近気がつきました。

また、かつて私は辺見庸の言葉を引いて次のように述べたことがあります。これも「70年代から幾何級数的に進んできた」という辺見の指摘に呼応する私なりのひとつの応答ではあったでしょう。
 
「わが国の風俗、人びとの感性(生活スタイル、思想までも含む)は、70年(昭和45年)前後を分水嶺として決定的といってよいほど変容した。(略)なにが変容したのか。現代について「単独発言」を続ける、作家の辺見庸氏はいう。『まっとうな怒りをせせら笑い、まあまあととりなして、なんにもなかったように見せかける(略)。記憶するかぎり、老いも若きもこんなにも理念をこばかにし、かつまた、弱きを痛めつけ強きを支える時代ってかつてなかった。これほど事の軽重をとりちがえながら賢し顔を気取っている時代もなかった』。彼は、そこに「鵺(ぬえ)のような全体主義化」を感じとる(『眼の探索』)。ひとことで「保守化」というが(現に私もそのようにいったが)、その様相は「鵺」のようにまがまがしく、うす気味悪く、為体(えたい)がしれない。30年の後、時代はここまできた。」(2003年6月

【SEALDs的なものにぼくは何も新しいものを感じない】
――夏には参院選ですね。改憲が争点になりそうです。(略)「仮に安倍政権に退陣してもらったとしても、そのあとに何かが良くなるというのが見えません。安保法制で次のレールは敷かれてしまった。描いているのは、憲法をもっと融通無碍なものにする緊急事態条項ですよね」――大規模災害などに備えるための条項だとしても要らないものでしょうか。「ひょっとしたら、いまは安倍政権の退陣を求めているような勢力さえも、そういうレトリックに乗ってしまうんじゃないでしょうか。例えば尖閣諸島、あるいは北朝鮮をめぐる動きしだいでね。全体として翼賛化していくかもしれないと見ています」「ぼくは、未来を考えるときは過去に事例を探すんです。むしろ過去のほうに未来があって、未来に過去がある。そういうひっくり返った発想をしてしまう。いまの局面をなぞらえるとしたら、すべてが翼賛化していった1930年代じゃないですか? 南京大虐殺が起きた37年前後のことを調べて、つくづく思いました。人はこうもいとも簡単に考えを変えるのか、こうもいとも簡単に動員されるのか、こうもいとも簡単に戦争は起こるのか――と。現時点で、もう37年と同じような状況に入っているのかもしれません」
「戦争法(安保法)なんて、突然降ってわいたみたいに思われるけど、長い時間をかけて熟成されたものですよね。A級戦犯容疑の岸信介を祖父に持つ安倍(首相)は、昭和史をいわば身体に刻み込んだ右派政治家として育ってきたわけでしょ。良かれあしかれ、真剣さが違いますよ。死に物狂いでやってきたと言っていい。何というのか、気合の入り方が尋常じゃない。それに対して、野党には『死ぬ覚悟』なんかないですよ。これからもそうでしょう。だから、やすやすとすべてが通っていくに違いない。むっとされるかもしれないけれども、国会前のデモにしても『冗談じゃない、あんなもんかよ』という気がしますね」(略)

――
SEALDs(シールズ)のような若者の行動は新鮮に映りましたが。「若い人たちが危機感を持つのは理解できます。ただ、あれは『現象』だとは思うけど、ムーブメント(運動)とは考えてません。(略)ぼくはそこに何も新しいものを感じない。もっと迂遠で深い思想というか、内面の深いところをえぐるような言葉が必要だと思います」(略)「例えば、日々食うにも困るような最底辺層の怒りや悲しみを担ってるわけじゃない。なかにはそういう人もいるでしょうけど、全体としては『何としても社会そのものを深いところから変革したい』という強いパッションが見えないんです」――極端に言えば、いまの自分の暮らしが保たれることだけを願っているように見えると?「そういうことです。『怒りの芯』がない。それは言葉の芯とともにどこかに消失してしまったんでしょう。この傾向は70年代から幾何級数的に進んできたと思います。」(辺見庸「朝日新聞インタビュー(1) 2016年1月21日

【自分がそういうことに直面したときに果たしてどれだけ誠実でいられるか】
――ご自身はファシズムに抗(あらが)えますか。「ぼくの父親は1943年から中国に出征しています。法的プロセスによらない中国人の処刑などに、おそらく父親も直接、間接に関係したはずです。それを我々の先祖の時代の愚挙として片づけることはできないんですよ。記憶に新しい父親があそこにいた。そこに仮説として自分を立たせてみて、『じゃあ、自分だったら避けられたか』と問うてみるんです。あれだけ組織的な、誰もが疑わずにいた
天皇制ファシズム軍国主義のなかで、ぼく一人だけが『やめろ!』と言うことができたか。それは一日考えても二日考えても、到底無理だと言わざるを得ません。そういう局面に自分を追い詰めていく苦痛から再出発する以外にないと思うんです」「メディアに携わる人間もまた、よるべなき流砂のなかで手探りするしかありません個のまなざしを持ちえるかどうか。そこだと思うんですよ。従来型の予定調和の記事を壊していくことじゃないかな」

――それは私たちも日々、努めているつもりです。「では、これはどうでしょう。昭和天皇が75年10月31日、国内外の記者50人を前に会見をしました。そこで戦争責任について尋ねたのは英紙タイムズの記者です。天皇は『
そういう言葉のアヤについては(中略)よくわかりませんから、そういう問題についてはお答えができかねます』と答えた。広島の原爆については地元民放の中国放送の記者の質問に『気の毒であるが、やむを得ないこと』と答えている。朝日や毎日、読売はそんな質問をしていません。むしろ意識的に避けてあげたのでしょうか。しかも天皇の言葉に激しく反応してやしない。別に強制されたのではなく、ぼくたちはそういうことをやってしまうわけです」「01年のアフガン空爆のとき、朝日は社説で『限定ならやむを得ない』と書いた。それに抗議の声を上げた記者がいたことを、ぼくは知っています。あれは別に全社挙げての民主的な討論を経て書かれるわけじゃないですよね。しかし、それは違うんじゃないかって執拗に言い張ると『困ったちゃん』みたいに扱われる。場違いなわけです。ただ、場違いなことが、どれだけ大事なことかという気がします。ささやかな抵抗のほうが、国会前での鳴り物入りのデモよりも頭が下がります

「そうしたことを冷笑し、馬鹿扱いすることが、時とともに組織や社会をどれだけ悪くしていくことでしょうか。コンフォーミズム(大勢順応主義)の傾向はますます、きつくなっている。だから場違いなことを試みるってことこそ大事なんじゃないかな。衆議に従って、ではなく緊急動議的に発言していく勇気って言うんでしょうか。勇気なんて、あんまり好きな言葉じゃないけどね。おずおずとした発言でいい。かっこ悪く、ぶつぶつでいい。自分がそういうことに直面したときに、果たしてどれだけ誠実でいられるかという問題だと思うんです」(
辺見庸「朝日新聞インタビュー(2) 2016年1月21日

【山中人間話】

けさの朝日。ちゃんと読んだ。

Posted by 金平 茂紀 on 2016年1月20日

吉見教授は判決後開かれた報告大会で「判決は非常に残念で憤りを憶えるものだった。一人の研究者にとって、研究結果が『捏造』と言われるのがどれほど個人の名誉を毀損し、人格を傷つけるものなのかを、裁判所が理解していなかった」と述べた。吉見教授は判決に不服として控訴する予定だ。

Posted by 酒井 克明 on 2016年1月20日
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