キョウ かとう

Blog「みずき」:「今日の言葉」は2題です。はじめに紹介する言葉はタイトルをつけるとすれば「佐多稲子の生きた(活躍した)時代」とでもするのがふさわしいでしょう。が、内容的には「六全協」前の戦後の日本共産党史、戦後文学史の一断面というべきものです。その断面に記されていることは党員ならずともいわゆる「戦後文学」に関心のある者にとっては「常識」の部類に属することですが、いまの共産党員はこうした「常識」すら知らない党員がほとんどではないか? 同党の「国会開会式出席」問題「日韓合意評価」問題に見られる同党の「知性」と「認識」の著しい後退現象はそうした同党党員の「知性」の劣化(良質な「知性」を持つ党員の排除)とおそらくパラレルの関係にあるでしょう。2題目の言葉はそうした状況を「物言えぬ『政権批判者』たち」という表現で剔抉しています。同記事は上記の共産党問題が表面化する以前の世論調査をもとに同党の現在の支持状況を分析するという論理展開上の無視することのできない難を抱えていますが、そのことを別にすれば、いわんとしていることは的を射ている、というのが私の評価です。
【佐多稲子の活躍した時代と「六全協」前の共産党と新日本文学の一断面】
昨日のセンター試験で国語問題に、
佐多稲子の『三等車』が出題されました。この作品が書かれたのは1950年です。1950年は、コミンフォルム批判により日本共産党が分裂し、朝鮮戦争が始まった年であり、佐多稲子自身が苦悩を深めていたちょうどその時期にあたります。戦前の様相を日増しに深める、今日の日本と重なる時代を反映した「三等車」が、教育統制を強める文科省占領下で出題されたのはとても意味深いですね。佐多稲子は、「キャラメル工場から」などを書いた、戦前のプロレタリア文学を代表する作家であり、非公然の日本共産党員でした。その佐多稲子も、治安維持法で在宅起訴されて、執行猶予付きの有罪判決を受けます。偽装転向した夫・窪川鶴次郎との男女の葛藤を経て、佐多は思想転向して朝鮮総督府に協力し、軍部に迎合して戦時中は「銃後文芸奉公隊」員として中国戦線を慰問し、「最前線の人々」など多くのルポルタージュや戦争文学を書くとともに、全国各地で戦争を賛美する講演を行うなど明確な戦争協力をしています。

敗戦後、豹変した佐多は、戦後革命期に日本共産党に復党しますが、戦時中の戦争責任は曖昧にされたまま、
中野重治らと新日本文学で活動します。1950年1月、スターリン体制下のコミンフォルムは、日本共産党の「占領下での革命」論を批判し、5月のGHQによるレッドパージにより非合法化での非公然活動に入った指導部によって軍事闘争が開始され、日本共産党は所感派国際派に分裂しました。佐多らが属した新日本文学も分裂を反映して、その後文学者の日本共産党からの除名、離党が相次ぎ、佐多は野間宏、中野重治、安部公房大西巨人らと新日本文学を中心に活動することになるのです。私が東中野にあった新日本文学に通っていたのは、1970年代のことですが、佐多稲子、野間宏、中野重治、大西巨人という、今思えば巨大な文学者のお話を聴くことができたのは幸運でした。しかし佐多稲子や中野重治たちの思想転向については聞くこともできず、永遠にその機会は失われたのです。(内海信彦フェイスブック 2016年1月17日

【「共産党の国会開会式出席」に物言えぬ「政権批判者」たち】
最近特に私が気になって仕方がないのは、昨年末から今年初めにかけての共産党の2つの行い、つまり慰安婦問題をめぐる
日韓合意に対する積極的評価と今年1月4日の天皇が臨席した通常国会開会式への共産党の出席をめぐる政権への反対者たちの沈黙だ。(略)概してこの件で共産党を評価するのは、同じ反安倍の立場に立つ論者であっても保守系にカテゴライズされる者が大半だ。たとえば、元旦から明白な戦争責任のある昭和天皇を賛美したり、普段から民主党を中心にした「野党再編」(民主党と維新の党との合流も含まれると思われる)を熱望したり、時には橋下徹を評価してみたりするような明白な保守系のブログが、「野党共闘、連合政府構想に対する共産党の本気度を再認識した人も少なくなかったのではないだろうか」と書いた。共産党に投票する気など全くないくせに無責任な記事を書くなよ、と腹を立てたが(なお私自身は共産党の「民主集中制」に大反対であるにもかかわらず、最近は消去法で共産党に投票せざるを得ないことが大半だ。なお一昨年の東京都知事選のように、白票を投じる場合もある)、それでもこの件に言及した、つまり自分の立場を明確にしただけまだマシだ。

もっと問題なのは、内心志位氏ら党執行部の方針に反対ないし不快感を持っているにもかかわらず沈黙してしまう人たちだ。党を離れたくない党員の場合はまだわかるが、そうでない単なる支持者の場合、さらには私のように共産党支持者ではないけれども共産党に投票する機会がある者の場合など、あとで挙げた者ほど反対意見を言い易いはずだ。それなのに反対意見がなかなか出てこない。一体どういうことか。彼らは何を「自粛」しているのか。野党支持者や「リベラル」はそこまで「同調圧力」に弱い人間ばかりなのか。等々、呆れるやら腹が立つやらで非常に気分が悪い。もちろん澤藤統一郎弁護士のように明確な反対論を述べた方もおられるが、
澤藤弁護士は2014年の東京都知事選でも共産党推薦の宇都宮健児氏の不支持の論陣を打ち出して注目された人だ。それに対し、当時宇都宮氏を推し、最近ではSEALDsを手放しで持ち上げたような人たちの間から今回の共産党の転向に対する異論は出たかと言えば、中にはいるのかもしれないが思い当たらない。このていたらくでは、無党派層が「安倍政権の改憲」に反対する政党に投票する気が起きなくても仕方ないのではないか。物を言えない「リベラル」なんて自己矛盾もいいところであって、肩書きと中身が一致していないどころか正反対だ。(略)それにしても状況が悪くなると自滅を招く悪手を繰り出す現象は昔から嫌というほど見てきたが、まさか「秀才揃い」の印象の強かった共産党までもがこの罠にはまるとは、少し前なら想像もつかなかった。本当に、何が起きるかわからない時代になった。(きまぐれな日々 2016.01.18

【山中人間話】

Blog「みずき」:。上記の小野昌弘さんのツイット中「小沢冤罪事件は…」云々の部分は私は同意しませんが、「一方、原発事故後「左派・リベラル」は」以後の指摘はきわめて重要な指摘であると私は思います。その「科学より党派性を優先、デマに侵され現実対応能力を失う」さまをまとめているのが下記の記事です。下記は共産党の政治的「右傾化」の社会的な負の影響力の凄まじさを物語る一例というべきものです。

Blog「みずき」:上記の中野晃一さんの論を紹介している都藤邦さんはこの中野さんの論について「日韓合意を勝手に「前進と評価」した志位氏へのやんわりとした異論か」としています。都藤さんによれば、中野さんは同日付けの「女性・戦争・人権」学会の声明「日本軍「慰安婦」問題の日韓合意に深刻な危惧を表明します」 にも「いいね」をしているようです。中野さんは今年の元旦の赤旗でも共産党の志位委員長と「政党と市民グループのキーマン」同士として新春対談をしている「いま」を代表する共産党系の学者です。そうであればなおさら中野さんは同「異論」は「志位談話」への異論であることを明確に述べるべきだったでしょう。それが同党から「市民グループのキーマン」として評価される人の責任というべきではないか。
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