キョウ 流砂

私は一昨日の1月9日付けのエントリとして「「週刊金曜日」の自滅と「赤旗」の辺見庸インタビュー・ドタキャン事件のひとつの顛末 ――「週刊金曜日」読者会なるものがいまだに続いている「無知のきわみ」を私は長年の友人として嘆かざるをえません」という記事を書きましたが、同標題中の「『週刊金曜日』読者会」の部分に関して大分の元読者会会員のおひとりから地元のメーリングリストを通じて自身の経験とその人の観点に即した週刊金曜日と日本共産党を批判するご意見をいただきました。

その意見は、週刊金曜日の佐藤優重用問題について金光翔さんらの指摘と批判があったときに同読者会をすでに退会していること、共産党の国会開会式出席問題に関して改めて同党への批判を強く持ったこと、そのことに関連して一般に議会政党はいわゆる「票欲しさ」にポピュリズムに流れる、すなわち「右傾化」する必然性を持っていること、「このような翼賛政治の状況を変えるためには、そもそも代議制(いわゆる「議会制民主主義」)そのものに疑問を呈し、最終的には代議制を否定して乗り越える思想が必要」だと考えていることなどを述べたものでした。
私としても多くの点で共感するところのあるご意見なのですが、一点、「議会制民主主義」の否定に通じる論については結果としてアナーキズムに流れていくのではないかという思想上の懸念を持ちましたので以下のような返信を認(したた)めて私の考えを述べました。その中で私は一定の前提つきではありますがもはや共産党を支持しえないことなども表明していますので、そのことを含めてあらたな記事として起こしておきたいと思います。
 
議会政党の評価の問題に関しては私はイギリスの宰相であったチャーチルの1947年11月11日の有名な下院演説中の「これまでも多くの政治体制が試みられてきたし、またこれからも過ちと悲哀にみちたこの世界中で試みられていくだろう。民主主義が完全で賢明であると見せかけることは誰にも出来ない。実際のところ、民主政治は最悪の政治形態と言うことが出来る。これまでに試みられてきた、他のあらゆる政治形態を除けば、だが」という言葉が至言だろうと思っています。この言葉ほど民主主義という政体の可能性とその政体がはらむ堕落の可能性を示唆した言葉を私はほかに知りません。あなたはチャーチルのいう「民主政治は最悪の政治形態」というところに力点をおいて議会政治のはらむポピュリズム性を慷慨、剔抉しており、私も同様の感想を持ちますが、それでも議会政治に勝る政治形態を私はほかに知りません。
 
だとすれば、議会政治がどのように堕落の可能性をはらんでいようとも、私たちは議会政治のはらむその弱点を知りつつ、その弱点だらけの政治形態としての議会政治を活用していくよりほかに道はないだろう、というのが、私の現在の到達点として思うところの結論です。私たちはどんなに腹立たしくとも議会政治を棄てることはできないと思っています。だから、私は、共産党の「右傾化」のさまが腹立たしいし、許せないのです。昨年末から今年にかけて共産党批判を続けているのはそういう理由からです。そして、私が共産党批判を続けているのは同党を見限ってはいないからです。ないしは見限ってはお終いだと思っているからです。
 
ほとんど期待はしていませんが、澎湃として共産党内から同党中央批判、ないしは同党の非民主主義制度としての(同党の最大の害悪だと私は思っています)民主集中制批判が出てくることを私は期待しています。というより、期待せざるをえません。いまのところ、他になしうる方法を私は知らないからです(このままの事態が続くようであれば有志を結集して新左翼政党の立ち上げも考えなければならないときがくるかもしれません)。
 
しかし、それでも、これはすでにブログやメールでも表明していることですが、志位・不破執行部体制に変化がない限り私も今後共産党を支持することはありません。私は現在66歳で20歳のときから社会党全国候補としてアイヌ民族の代表が立候補したときなどの特例を除いて一貫して共産党に投票し続けてきましたが(18歳で入党し、現在までの48年間のうち若い時代の10年間は共産党の地方の専従職員でもありましたが除名処分)それももう終わりです。自身のアイデンティティーに関わることでもありますから慙愧の念に堪えませんがやむをえないことだと思っています。
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