あるメール:
「餅を食ったら忘れる」と言い、「戦争法」強行後、憲法の規定も無視して臨時国会を開かなかった安倍政権は、本日(1月4日)、通常国会を開きました。(残念ながら共産党は、戦後初めて国民主権に反するとして拒否していた天皇出席の開会式に出席しました。これは「小に因りて大を失う」ことです。) しかしこの日、国会議員会館前では、今年最初の『総がかり行動』が行われ、約3800人が参加しました。(主催:戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会)これだけでも、「餅を食ったら忘れる」と言った自民党に対する今年最初の具体的な反撃です。

標題のご投稿について少し私の意見を述べます。

あなたは一方で「(残念ながら共産党は、戦後初めて国民主権に反するとして拒否していた天皇出席の開会式に出席しました。これは「小に因りて大を失う」ことです。)」と述べ、他方で「今年最初の『総がかり行動』が行われ、約3800人が参加しました。(略)これだけでも、「餅を食ったら忘れる」と言った自民党に対する今年最初の具体的な反撃です」という評価を述べます。

しかし、この「一方」と「他方」で紹介されているそれぞれのファクター(事実要素)は「しかし」という逆説で結ばれる接続関係にあるでしょうか?

「他方」で紹介されている集会には社民党の福島瑞穂さんも参加して挨拶をしていますが、この社民党に対しては以下のように批判する人もいます。


上記は社民党が次の参院選で東京選挙区から立候補させようとしている福島差別扇動者(デマゴーグ)の「増山麗奈擁立」問題に関わっての社民党批判の例ですが、同批判は一部の者の批判ではなく、同批判の背後には多くの批判が山のようにあることを察しなければならないでしょう。
 
社民党員(社民党大阪府連合常任幹事)の古川一夫さんも「もし増山麗奈の公認が覆らない場合は、社民党の死を意味すると考え私は離党し再び戻ることはありません」とまで激しく自党に抗議しています。
 
そうであれば、これも「小に因りて大を失う」事例の一例ということができるでしょう。

今年最初の『総がかり行動』に約3800人もの人たちが参加したとしても、その数をはるかに上回る革新政党批判が全国各地の津々浦々に伏在しているとすれば(実際に伏在していると私は見ていますが)、これも「小に因りて大を失う」事例でしかないということになるでしょう。

理念を蔑ろにした実利主義(「数は力だ」信仰)をポピュリズムと言いますが、そのポピュリズムは常に次の社会上の動因(それがさらなるポピュリズムであることもあれば、「革命」になることもあります)によって淘汰されてきました。それは西欧史であれ、日本史であれ、歴史によって証明されていることです。

理念の問題(共産党の国会開会式出席問題)を現実のある局面の「成功」体験(今年最初の『総がかり行動』に約3800人が参加したこと)でチャラにすることはできません。それは結局歴史を大きく誤ることにつながるでしょう(たとえばナチス政権の誕生)。

現実をどのように解釈するか。あるいは現実を見つめる視力を確かにするか。辺見庸の次の言葉は示唆的です。
 
「SEALDsに見られる若い人たちの台頭にも辺見は心を許しません。彼らの運動は、これまでの内外のストラグル(闘争)やムーブメント(運動)とことなり、「公権力と馴れ合い親和的」であり、「組織主体のはっきりとしないフィノメノン(現象)に見える。・・・法と秩序に以外なほど従順で、あたらしフィノメノンであるにせよ、既製事実をぶちこわすようなフィノメノンではないでしょう」と辛口です。そこには、SEALDsは日本の戦後の民主主義は「骨の髄まで民主主義国家」であり、「安倍はいまこの時に突然変異として出てきたのではなく、この国の呪わしい遺制が早くから胚胎し、生まれるべくして生まれてきた凶禍の元」であることをどれほど認識しているのかという厳しい問いがあります。」(OCHLOS(オクロス) 2016年1月3日から)

以下、ご参照ください。
 http://mizukith.blog91.fc2.com/blog-entry-1717.html
関連記事
Secret

TrackBackURL
→http://mizukith.blog91.fc2.com/tb.php/1719-83d65df0