キョウ りゅうさ

【安倍的な「凶禍の元」は日本の戦後民主主義の中に早くから胚胎していた】

辺見庸高橋哲哉との対談集はこれで3回目だそうです。(略)高橋が自らの責任の撮り方として、「沖縄の基地は、安保を廃棄できない限り、日本の(ヤマトゥ)の責任なのだ。ならば日本で基地を引き取り、日本でこれを廃棄しなければならない」、「自分の責任として踏み込むつもりです」と主張します。それに対して辺見は、「責任の取り方として、基地を引き受ける、という行動様式と身ぶりが僕はどうも引っかかる」、それに対して高橋の説明を聞いて一定の理解を示したあとに辺見は、「責任論は高橋さんの哲学的な原点だと思うので、もっと個的で内的な丁寧な書き込みが必要だという気がします」と指摘するのです。

辺見は、高橋の責任の取り方は、「県外移設の現実的な不可能性に触れていない」という意外な指摘をします。そして最後にこのようにしめくくります。「この国の戦中、戦後において、責任という概念ほど重要なものはない。誰もが合法的に責任を免れるようにして生きてきてしまった。一人ひとりが責任主体として自らの内面の闇の部分に光をあてていく作業が必要だと僕は思っています」。(略)
SEALDsに見られる若い人たちの台頭にも辺見は心を許しません。彼らの運動は、これまでの内外のストラグル(闘争)やムーブメント(運動)とことなり、「公権力と馴れ合い親和的」であり、「組織主体のはっきりとしないフィノメノン(現象)に見える。・・・法と秩序に以外なほど従順で、あたらしフィノメノンであるにせよ、既製事実をぶちこわすようなフィノメノンではないでしょう」と辛口です。そこには、SEALDsは日本の戦後の民主主義は「骨の髄まで民主主義国家」であり、「安倍はいまこの時に突然変異として出てきたのではなく、この国の呪わしい遺制が早くから胚胎し、生まれるべくして生まれてきた凶禍の元」であることをどれほど認識しているのかという厳しい問いがあります。

世界観や歴史の知識があるからといって人の心をうつものではありません。時代を生き抜いてきた親の振る舞いに時代や歴史を見てとり、なお、そこに自分自身のあるがままの姿をしっかりと受け止めるものがないと(「個人の内面深くを見つめないと」)「世界史的なイメージというのは・・出しえない」辺見は語ります。私がブログでも取り上げましたが、1975年の昭和天皇の記者会見において、戦争責任を問われ、天皇は「そいう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究していないので、お答えできかねます」と答えたのですが、そのことにマスコミは一切反応(批判)できず、「日本の言説はノックアウトされた」と辺見は見ます。彼の指摘は改めてしっかりと受け止めるべきではないでしょうか。平和的な言葉を発する天皇が再評価されている現在、時に必要であると思います。(
OCHLOS(オクロス) 2016年1月3日

【安保法制成立と国際政治】
安保法制は、日本がアメリカの世界軍事戦略に全面的に加担するための国内法的受け皿である。安倍政権は、そのために集団的自衛権行使を第9条のもとで「可能」とする解釈改憲を強行し、その上で安保法制を成立させた。安保法制で裏打ちされた日本の対米軍事協力が今後の国際政治で持つ意味は、米ソ冷戦終結後のNATOが演じてきた役割を確認することで直ちに明確になる。アメリカが日本に求めているのは、日米軍事同盟がNATO並みの機能を果たすことに尽きるからだ。NATO諸国の多くは、冷戦終結直後の湾岸危機に際して、アメリカ主導のいわゆる多国籍軍に参加し、協力した(1991年)。ユーゴ内戦では、NATO軍は「人道的介入」と称してユーゴに対する空爆を行った(1999年)。9.11後の対アフガニスタン及びイラク戦争でも、NATOはアメリカに全面協力した。また、いわゆる「アラブの春」の中で発生したリビア内戦においても、NATO軍は公然と介入した。日本国内では、アメリカ発の情報が垂れ流されているので、以上のアメリカ及びNATOの軍事行動に関する正確な認識が阻まれている。

しかし、湾岸戦争はともかく、
ユーゴ空爆対アフガニスタン・イラク戦争リビア空爆すべて、国際法的及び政治的に許されてはならないものである。まず、戦争を違法化した国連憲章のもとで、軍事力の行使は、安保理が憲章第7章のもとで容認した場合か、安保理が行動するまでの一時的な行動としてのみ許容される。対ユーゴ及びリビア空爆については、米欧による両国に対する不当な内政干渉とする中露の反対で、安保理決議は成立しなかった。次に、イラク戦争後の同国の紊乱状態、アフガニスタン及びリビアの無政府状態及び三国におけるテロ勢力の跋扈に明らかなとおり、NATOの軍事介入はことごとく失敗している。シリア内戦でも、アメリカ及びNATO諸国は政権反対勢力を支援して事態を悪化させ、大量の難民を生み出した。安保法制成立後の日米軍事同盟の危険性はさらに深刻かつ重大である。朝鮮半島(及び台湾海峡)では冷戦構造が今日なお存続している。東シナ海では日中の、また、南シナ海では中国とフィリピン、ヴェトナム等との領土紛争が存在している。しかも、その根底には、台頭する中国とステータス・クオに固執するアメリカとの対峙構造がある。

安倍政権は、正にこれらの紛争において「火中の栗」を拾うべく安保法制の成立を急いだのだ。今夏の参議院選挙及び近い将来の衆議院総選挙を控える安倍政権は、安保法制の危険な本質をさらけ出す対米軍事協力にとりあえずは慎重を期するだろう。しかし、それはあくまでも「とりあえず」であって、安保法制の危険な本質は変わるはずがない。私たち主権者は、集団的自衛権行使を「合憲」とした閣議決定を廃止し、安保法制を廃棄することにより、2014年7月以前の憲法状態に原状回復するべく、両院選挙で自公政治を退陣させなければならない。(
浅井基文のページ 2016.01.01

【山中人間話】


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