キョウ きょうさん2

下記のおひとりの大学教員とおふたりの弁護士の「共産党の国会開会式出席」対応批判に私は深く同意し、共感するものです。

そのうちのおひとりの大田英昭さん(中国・東北師範大学教員)は「一星忽焉として墜ちて声あり、嗚呼自由党死す矣、而して其光栄ある歴史は全く抹殺されぬ」という幸徳秋水がかつての同志たちに宛てた憤激の言葉をもって志位共産党執行部の今回の痴態と愚行を批判しています。まさに今回の事態は「一星忽焉として墜ちて声あり、嗚呼共産党死す矣、而して其光栄ある歴史は全く抹殺されぬ」事態といわなければならないでしょう。

近年の共産党の激しい「右傾化」の様相については一昨日も私は記事にしています。そこで挙げた「天皇」問題にかかわる「日本の知識人」批判として、かつて辺見庸ノーム・チョムスキーに「まさに鉈でぶち切るように」聞かされたという話をここにも再度記しておきます。

辺見によれば、チョムスキーは次のように語ったと言います。

「戦後日本の経済復興は徹頭徹尾、米国の戦争に加担したことによるものだ。サンフランシスコ講和条約(1951年)はもともと、日本がアジアで犯した戦争犯罪の責任を負うようにはつくられていなかった。日本はそれをよいことに米国の覇権の枠組みのなかで、『真の戦争犯罪人である天皇のもとに』以前のファッショ的国家を再建しようとした。一九三〇年代、四〇年代、五〇年代、そして六〇年代、いったい日本の知識人のどれだけが天皇裕仁を告発したというのか。あなたがたは対米批判の前にそのことをしっかりと見つめるべきだ」、と。

辺見は、このチョムスキーの「日本の知識人」批判を「陰影も濃淡も遠慮会釈もここにはない。あるのはよけいな補助線を省いた恥の指摘だ」と書いています(朴日粉(パク・イルブン)「朝鮮新報」2015年12月14日から)。
さて、今回の共産党の愚行の批判者のおひとり目。澤藤統一郎さん(弁護士)。

【かつて共産党は極北の一個の動かぬ星のごとくではなかったか】
これが今年の「驚き納め」だろう。
日本共産党が、年明けの通常国会には開会式に出席するというのだ。大日本帝国議会のあの時代、貴族院にしつらえられた玉座から、天皇が国民代表の議員を見下ろして「(お)ことば」を賜るというあの開会式に、である。そりゃなかろう。無数の星々が皆天界をうごめく中にあって、極北の頂点にたった一個の動かぬ星がある。その北辰のごときものこそが共産党ではなかったか。航海する諸々の船が、自分の位置を測るときの動かぬ測定の起点。それこそが共産党が占める位置ではなかったか。何が正しいか間違っているか、頑固な物差しとして変わらぬ存在が共産党ではなかったか。近代日本の民主主義も大衆運動も、天皇制と対峙して生まれ、天皇制と拮抗しながら成長した。その天皇制と向き合った民衆の側の最前線に常に位置していたのが共産党ではなかったか。融通がきかず頑固で、政党助成金も受けとらない筋を通す姿勢。それ故の、共産党への民衆の信頼であり敬意ではなかったか。北極星が動いて物差しが伸び縮みするようでは、世も末なのだ。

天皇制とは、世襲の政治権力構造を意味するものではない。むしろ、神話的・文化的な権威による社会心理的な統治構造というべきであろう。その意味では、象徴天皇制こそが、純粋な天皇制と言っても差し支えない。支配者にとって、自らの主義主張を持った自立した国民は、支配しにくいことこの上ない面倒で疎ましい存在なのだ。統治しやすい支配者お望みの国民のまたの名を「臣民」という。大日本帝国憲法時代の臣民は統治しやすかった。日本国憲法の時代となって、法制上「臣民」はなくなったが、天皇は残った。天皇が残ったことによって、法制上はない「臣民根性」も、「臣民もどき」も、旧体制の残滓として生き残っているのだ。保守的支配体制の側が、統治をしやすい「臣民根性」「臣民もどき」を再生産し拡大をはかるために、天皇を最大限に利用してきたのは周知の事実ではないか。その天皇の利用に最も果敢に闘い、民主主義の徹底のために天皇の存在感を最小限に抑えるべきことを主張してきたのが、共産党であったはず。こんなに簡単に、ものわかりがよくなってしまっては、多くの良心ある叛骨の人々が戸惑うばかりではないか。これは、小さくない問題だ。(略)

昨日(12月24日)の記者会見の中で、次の質疑応答があったという。


―よそから見たら、共産党が普通の党になっていくという一環みたいなことでしょうか。
志位 普通の党というあなたの質問がどういう意味か分かりませんが、私たちが一貫して言っている開会式の民主的改革の提起というのは、将来の政治制度をどうするかという角度から提起しているのではないのです。現在の日本国憲法の原則と精神と諸条項を厳格に貫くという立場から一貫して対応しております。それは一貫しております。

この記者の質問は、論理的ではないにせよ、「これまでは普通ではなかった共産党」が、「普通」になってしまうことへの、良くも悪くも感慨が込められている。これに対する志位委員長の回答は納得しにくい。少なからぬ憲法学者が、現行憲法の解釈として、開会式の「(お)ことば」などは、憲法が明文で限定する天皇の国事行為には含まれない。したがって、憲法はこれを容認していないと理解してきた。そのような憲法学者と共産党は、これまでは相性がよかった。しかしこれからは、リベラル憲法学との折りあいが悪くなることを覚悟しなければならない。憲法学者ばかりではない。多くのオールド・リベラリストとの関係においてもである。(澤藤統一郎の憲法日記 2015年12月25日

おふたり目。大田英昭さん(大学教員)。

【幸徳秋水の「自由党を祭る文」を共産党に贈る】
一星忽焉として墜ちて声あり、嗚呼自由党死す矣、而して其光栄ある歴史は全く抹殺されぬ」。かつての自由民権運動の元闘士たちが伊藤博文によって籠絡され、立憲政友会(今の自民党の源流の一つ)の結成に向けて談合を進めていた1900年8月、幸徳秋水が憤激をこめてつづった「自由党を祭る文」(『万朝報』1900年8月30日)の一節だ。堂々たる「立憲政治家」となった元闘士たちよ、かつて自由民権の大義に殉じて志半ばに果てた多くの同志たちの犠牲を忘れたのか?幸徳はそのように問いかけながら、「自由党の死を吊し霊を祭」った。

日本共産党の志位委員長は2015年12月24日、天皇が臨席する来年1月召集の国会開会式に共産党議員が出席することを明らかにした(『しんぶん赤旗』2015年12月25日)。参議院本会議場の「玉座」から天皇が「お言葉」を述べるこの式への出席を1948年以来一貫して拒否してきた共産党にとって、根本的な方針転換といってよい。

戦前、いわゆる「絶対主義的天皇制」と共産党とは不倶戴天の敵であり、君主制廃止ないし天皇制打倒は1920年代から一貫した党の「民主主義革命」の方針だった。それに対して、「国体」(すなわち天皇制)の変革を目的とする結社に関わった者を処罰する治安維持法は、「共産主義者」を狙い撃ちにした。この弾圧法によって共産党員を中心に七万五千人以上の者が獄に囚われ、うち拷問や病気などによって千六百名以上が死亡したとされる(衆院予算委員会における総括質問、1976年1月30日)。戦前、無産政党が次々と戦時体制に妥協してゆくなかで、天皇制打倒を掲げて正面から日本帝国主義と闘った唯一の政党が共産党であり、その「光栄ある歴史」はいまなお輝きを放っているといってよい。

敗戦直後、旧無産政党諸派の人びとが設立した日本社会党は、「主権は国家(天皇を含む国民協同体)に在り」、「統治権は之を分割し、主要部を議会に一部を天皇に帰属し(天皇大権大幅縮減)せしめ天皇制を存置す」というように天皇の統治権を残したいわゆる君民共治の新憲法草案(1946年3月)を発表した。それに対して共産党は、その憲法草案(1946年6月)で「天皇制の廃止」と「人民に主権をおく民主主義的制度」を明記したのである。

共産党の1961年綱領は、現代天皇制について次のように規定した。「戦前の絶対主義的天皇制は、侵略戦争に敗北した結果、大きな打撃をうけた。しかし、アメリカ帝国主義は、日本の支配体制を再編するなかで、天皇の地位を法制的にはブルジョア君主制の一種とした。天皇は、アメリカ帝国主義と日本独占資本の政治的思想的支配と軍国主義復活の道具となっている」。

この部分は1994年の改定で、「天皇制は絶対主義的な性格を失ったが、ブルジョア君主制の一種として温存され、アメリカ帝国主義と日本独占資本の政治的思想的支配と軍国主義復活の道具とされた」というふうに変更された。すなわち、戦前と戦後の二つの天皇制の間の断絶が明確にされ、「アメリカ帝国主義と日本独占資本の政治的思想的支配と軍国主義復活の道具」としての天皇利用も過去形で表現されるようになった。ただし、憲法の「天皇条項」を「反動的」とし、また「民主主義革命」の課題として「君主制を廃止」することはなおも一貫して綱領に掲げられた

こうした天皇制に対する共産党の公式見解に大きな変更が加えられたのは2003年、第7回中央委員会総会における党綱領改定案についての不破哲三議長による提案報告および党創立81周年記念講演会での同氏の講演においてであった。ここで不破氏は、主権在民の原則が明確な現行憲法下の日本は君主制国家ではないと断言し、戦前の「絶対主義的天皇制」からの断絶をいっそう強調した。こうした認識のもと、当面は「天皇制と共存」すべきことを同氏は明らかにしたのである。なお同氏は上記講演で、「このことを見て、『共産党はいままでがんばってきた旗をおろして現実に妥協しすぎるんじゃないか』、こう心配する声も聞かれ」るが、それは「誤解」だと弁明している。

このような方針転換によって、共産党の2004年綱領では、天皇制を「ブルジョア君主制の一種」とするかつての文言が削除され、「民主主義革命」を経て樹立される「民主連合政府」においても「現行憲法の前文をふくむ全条項」がまもられる、すなわち天皇制が維持されるという方針を明確にした。その際、「天皇条項については、『国政に関する権能を有しない』などの制限規定の厳格な実施を重視し、天皇の政治利用をはじめ、憲法の条項と精神からの逸脱を是正する」ことが謳われるにとどめられた。共産党は将来の目標として「民主共和制の政治体制の実現をはかるべきだとの立場に立つ」ものの、天皇制の「存廃は、将来、情勢が熟したときに、国民の総意によって解決されるべきもの」であると、事実上棚上げされたのである。
 
なお、上記の2003年第7回中央委員会総会で不破議長は、共産党が国会開会式に参加しない理由を次のように述べた。

現在、わが党の国会議員団は、国会の開会式に参加していませんが、これは、天皇制を認めないからではありません。戦前は、天皇が、帝国議会を自分を補佐する機関として扱い、そこで事実上、議会を指図する意味をもった「勅語」をのべたりしていました。いまの開会式は、戦後、政治制度が根本的に転換し、国会が、独立した、国権の最高機関にかわったのに、戦前のこのやり方を形を変えてひきついできたものですから、私たちは、憲法をまもる立場に立って、これには参加しないという態度を続けてきたのです。

また、『しんぶん赤旗』(2004年1月20日)は、「日本共産党国会議員団は、憲法と国民主権の原則を守る立場から〔開会式を―引用者補〕を欠席しました。現行の開会式は、戦前の帝国議会の儀式を引き継ぐもので、憲法の「国事行為」から逸脱するものです。日本共産党は、開会式を憲法が定める国民主権の原則にふさわしいものに改めるよう主張しています」と説明した。

戦前の大日本帝国憲法下では、立法権は天皇に属し、議会はその協賛機関に過ぎず、天皇は勅語によってしばしば政治に介入した。こうした政治制度は戦後の新憲法下で根本的に変化したが、しかし、国会開会式(旧帝国議会開院式)で天皇が参議院本会議場(旧貴族院本会議場)の「御席」(玉座)から「お言葉」(勅語)を述べるという形式は、戦前から受け継がれており、それは憲法で定めた国政に関する権能を有しない天皇の「国事行為」から逸脱し、国民主権の原則にも抵触している。したがって、共産党がそうした国会開会式に参加しないのは、天皇制を認めないからではなく、「憲法をまもる立場」に基づく行動なのだ、というわけである。

しかるに志位和夫委員長は、2015年12月24日の記者会見(『しんぶん赤旗』12月25日)で、従来共産党が国会開会式に欠席してきた理由と、来年1月の国会開会式に共産党が出席することにした理由とを、次のように説明している。

わが党が問題としてきたことは、おもに二つの点です。

第一に、開会式の形式が、「主権在君」の原則にたち、議会は立法権を握る天皇の「協賛」機関にすぎなかった、戦前の大日本帝国憲法下の「開院式」の形式をそのまま踏襲するものになっているということです。

第二に、以前の開会式では天皇の「お言葉」のなかに、米国政府や自民党政府の内外政策を賛美・肯定するなど、国政に関する政治的発言が含まれていました。これは、日本国憲法が定めている、天皇は「国政に関する権能を有しない」という制限規定に明らかに違反するものでした。


わが党は、国会開会式が、現行憲法の主権在民の原則と精神にふさわしいものとなるよう、抜本的改革を求めてきました。

一、その後、開会式での天皇の発言に変化が見られ、この三十数年来は、儀礼的・形式的なものとなっています。天皇の発言の内容には、憲法からの逸脱は見られなくなり、儀礼的・形式的な発言が慣例として定着したと判断できます。

一方で、開会式の形式が戦前をそのまま踏襲するものとなっているという問題点は、現在においても変わりがないということも、指摘しなければなりません。

一、こういう状況を踏まえての今後の対応について表明します。

日本共産党としては、三十数年来の開会式での天皇の発言の内容に、憲法上の問題がなくなっていることを踏まえ、今後、国会の開会式に出席することにします。

同時に、開会式の形式が、戦前をそのまま踏襲するものとなっているという問題点は、根本的な再検討が必要であることに変わりはありません。わが党は、それが、現行憲法の主権在民の原則と精神にふさわしいものとなるよう、引き続き抜本的改革を強く求めていきます。そうした抜本的改革を実現するうえでも、今後は、開会式に出席することがより積極的な対応になると、判断しました。


すなわち志位氏によれば、従来共産党が国会開会式に参加しなかった理由は、(1) 開会式の形式が戦前からそのまま踏襲されている、(2) かつての天皇の「お言葉」の内容に政治的発言が含まれており憲法違反であった、という二点だった。うち(2) の問題は三十数年来解消されているので、憲法違反もなくなった。他方、(1) の問題は変わらず残されているが、共産党は国会開会式に出席することで、(1) を改革するための積極的な対応も可能となる、というのである。

しかし志位氏の説明は、六十七年前から続く方針を現時点で大転換する根拠についての説得力が乏しいように思う。上に記した2003年第7回中央委員会総会における不破議長の報告や『しんぶん赤旗』(2004年1月20日)の説明にあるように、国会開会式に共産党が欠席してきたのは、志位氏が挙げた(1) こそ最大の理由であったはずだ。すでに三十数年前から(2) が解決していたからといって、なぜ〈今〉の時点で長年の方針を一大転換しなければならないのだろうか?

この方針転換について、マスメディアは「来年夏の参院選をにらんだ現実路線の一環」(共同通信 )、「現実路線への転換を一段とアピールする狙い」(時事通信)など政局 上の見方を示している。私を含め党外の人びとからすれば当然の推測だろう。

なお志位氏が上記の記者会見で次のように述べたことは驚きを禁じ得ない。

さきほどのべたような状況のもとで、欠席という態度を続けた場合には、わが党が天皇制反対という立場で欠席しているとの、いらぬ誤解を招き、憲法の原則と条項を厳格に順守するために、改革を提起しているという真意が伝わりにくいという問題があります。その点で、出席した場合には、そうした誤解を招くことなく、憲法順守のための改革を提起しているという、私たちの真意がストレートに伝わることになると考えました。

今の共産党は、「わが党が天皇制反対という立場で欠席しているとの、いらぬ誤解」を何としても解かねばならない、と考えているということだ。さらに、国民連合政府が実現した場合、認証式はどうするか〉という記者の質問に対して、志位委員長は「認証という行為は国事行為だ。だから当然、認証式は現行の認証式に出席するということに当然なる。国事行為だから」と答えたという宮内庁のHPによれば、認証式(認証官任命式)とは、任免につき天皇の認証を必要とする国務大臣その他の官吏(認証官という)の任命式で、その際に天皇から「お言葉」があるのが慣例である。これは大日本帝国憲法下における「親任官」の「親任式」を受け継ぐものである。「皇室儀制令」(1926年)は、帝国議会の開院式および閉院式は貴族院で行い、親任式等は宮中で行うことを定めており、これが現在も踏襲されているのだ。

そもそも国会開会式(および天皇による認証式)への出席は、天皇制に対する共産党の態度決定にかかわる象徴的行動として、思想的に重大な意味をもっている。上に述べたように、共産党は2003年以来、現行憲法下の日本は君主制国家ではないとし、戦前のいわゆる「絶対主義的天皇制」からの断絶を強調している。ただし、裕仁・明仁両氏ともに天皇の戦争責任を認めていない状態で天皇制が存続し続けている事実は、戦前・戦後を通じての統治機構および支配層の基本的な連続性に制度上あるいはイデオロギー上の保証を与えてきたということができる。そのことは、現代日本国家において、(戦前に「国体」=天皇制を否定する思想を持つ者として殺害・処罰された)大逆事件や横浜事件の犠牲者が根本的に名誉回復されていない事実と、表裏一体をなしていることを忘れてはならない。

天皇制という共産党の歴史的存在の思想的根源に関わる問題をめぐって、選挙での勝利や「国民連合政府」構想の実現といった目前の目的のために、なし崩し的な妥協が行われているとは、あまり考えたくないことであるが。

かつてドイツ社会民主党(SPD)は、ドイツ皇帝が出席する帝国議会の開会式・閉会式において、皇帝を歓迎する行為をあくまで拒否して起立しなかった。それはドイツ帝国の徹底的な民主化を求める反体制的勢力としての、長年にわたる象徴的行動だった。ところが1911年の帝国議会閉会の際、SPD議員団は従来の党の慣例を破ってはじめて「皇帝万歳」を唱えた。翌年の選挙でSPDは帝国議会第一党へと躍進したが、翌1913年の帝国議会で対外膨張政策の基礎をなす国防法案に党史上はじめて賛成投票を行い、翌1914年には戦時公債法案に賛成投票して第一次大戦の熱狂的愛国主義に飲み込まれていくという、思想的転落の一途をたどったのである。

なお志位委員長によれば、国会開会式参加の方針を決定した12月21日の常任幹部会では、異論が出なかったという。かつて日本帝国(朝鮮・台湾・満洲など植民地を含む)において、自由と解放を求めて国体・天皇制と正面から闘い、志半ばに斃れた先人たちは、自らの犠牲をもって守り育てようとした「革命運動」の末裔のリーダーたちのこの決定を、草葉の陰からどのようにみているだろうか。冒頭に掲げた幸徳秋水の「自由党を祭る文」の一節が再びよみがえる。(
大田英昭のブログ 2015-12-25

三人目。徳岡宏一朗さん(弁護士)。

【志位氏の「国会開会式出席」合理化の理屈は通らない】
憲法に規定のある天皇の出席が悪いのではなく、象徴天皇のはずが高いところにある「玉座」ともいうべき場所に座り、国民代表である国会議員がそれを仰ぎ見て、三権の長の一人である衆議院議長が式辞を述べ、これに対して天皇が「お言葉」を述べる。この儀式のやり方が、基本的人権の保障と平和主義と並ぶ日本国憲法の3大原理である国民主権の精神に反している。

日本共産党のことはあまり詳しいとは言えませんが、そういえば、天皇が高いところから「お言葉」を言う国会の開会式には出席していませんでした。その共産党の志位和夫委員長は2015年12月24日、大島理森衆院議長と国会内で会い、これまで党として出席を見合わせてきた国会の開会式に、2016年1月4日召集の通常国会から出席する方針を伝えました。同時に、天皇が一段高い席からお言葉を述べる現在の形式は「憲法の主権在民の精神からふさわしくない」として抜本的な改革を求め、大島氏は「承った」と答えたということです。共産党は、安倍政権に対抗するため野党各党に提唱した「国民連合政府」構想に絡み「日米安全保障条約廃棄」の一時凍結などを表明しました。それに続く今回の方針変更には、現実路線への転換を一段とアピールする狙いがあるのでしょう。志位氏によると、共産党は1947年に現行憲法下で最初に開会式が行われた際に一部議員が様子を見るため出席したのを除き、帝国議会以来の形式を踏襲していることや、天皇のお言葉に政治的な内容が含まれていることを理由に一貫して開会式を欠席してきました。大島氏との会談後の記者会見で志位氏は、開会式でのお言葉の内容に関し、「この三十数年は儀礼的、形式的な発言が慣例として定着したと判断できる」「今後は開会式に出席し、民主的な改革を引き続き主張したい」と述べました。まあ、矛盾していますよね。

何が矛盾しているかというと、国民に主権があり、天皇の地位が象徴に過ぎないという象徴天皇制をとる日本国憲法の下で、開会式に出席しない理由として「第1に、開会式の形式が主権在民の原則に立ち、議会は立法権を握る天皇の協賛機関に過ぎなかった戦前の大日本帝国憲法下の開院式の形式をそのまま踏襲するものになっているということが第一点だ。」と言いながら、儀式のやり方は変わらないのに、今の天皇の言動がいいから、開会式に出席しますというのは理屈が通らないということです。そういう、天皇の個性で政治が左右されたらいけないというのが象徴天皇制です。そもそも、国民主権と天皇制が併存するということ自体が妥協の産物なのに、そちらの現実に理念を合わせていたら、日米軍事同盟という現実に憲法解釈を合わせてしまうという、立憲主義破壊の集団的自衛権行使容認の解釈改憲も批判できなくなるでしょう。1947年(昭和22年)の第一回通常国会の開会式。当然、天皇は昭和天皇。そのほか今と何も変わらない。これを、共産党が安保法制反対など立憲主義という大事なものを守るために、妥協をしたもので、現実主義でいい、という人もいるでしょうが、こんな妥協をしても、1議席も増えないと思いますよ。天皇制に対する態度で投票行動を決めている人なんてそんなにいないですし、共産党が国会の開会式に出ないから、国民連合政権構想がとん挫しそうなわけでもないですしね。共産党は2004年の綱領改定により、天皇制について「憲法上の制度であり、その存廃は将来、情勢が熟したときに国民の総意によって解決されるべきものだ」との立場をとっており、これを踏まえ、志位氏は国会の開会式に「出席した場合、『天皇制に反対する立場から欠席している』との要らぬ誤解を招くことなく、憲法順守のため改革を求める真意がよりストレートに伝わる」と語ったというのですが、ぜんぜんストレートじゃありません。

そんなに天皇制に反対しないということを表明することがいま大事でしょうか。なぜ2004年の新綱領から10年以上、開会式を欠席してきたのに、次回から出席するのでしょうか。それは明仁天皇の言動が穏当だからだと志位さんも説明しています。しかしその発想は。天皇の政治的影響力を極力排除しようとした象徴天皇制にも反する発想なのです。それにしても、今年5月の通常国会の開会式には欠席したんでしょうに、いきなり来年からは出席しますとは急な話です。いつ決めたんだという質問に、12月21日の常任幹部会で一発で全員賛成で決まったというのですが、共産党のように権力が中央に集中している組織は決めることが早くて効率的なように見えて、危険ですね。こういう大事な問題は、下から積み上げて議論を尽くして方針転換したらどうなんでしょうか。いったん共産党のような中央集権組織が「右傾化」しだしたら、もう歯止めをかけるのは大変だろうなと危惧を抱いた事件でした。(
徳岡宏一朗のブログ 2015年12月25日
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