キョウ ミズアオイ3

【「おらは年とってからいいかと思って」と笑った】
このあいだクリニックの待合室で、うしろに座っていた3人のおばあさんの会話が、何とはなしに聞こえてきた。ひとしきりの世間話のあと少し間があって、突然、1人のおばあさんが「海側遮水壁なんてやったって、放射能は海に流れてっぺなぁ。そんなのだれだってわかる。おめぇ、放射能は水が一番危ないんだかんな。息子なんて、いまも水を買って飲んでっから」と話し始めた。
「うちの息子だってそうだ。小さな子どもがいっから、注意しねえと」と、もう1人のおばあさん。さらにもう1人が「あのなぁ、木になるものも危ねぇんだからな。それにキノコ。キノコは放射高いべ」と言った。それからまた最初のおばあさんが「野菜だってよ、葉物はまだいいんだけんと、土のなかさ入ってるものはわかんねえからな。まっ、どっちにしても測んねえとダメだ。公民館さ行くと、測ってくれんだ。前は細かく切っていかねえと測れなかったけんと、いまは切んなくてもいいんだ」と説明し、ほかの2人のおばあさんも「んだ、公民館で測ってくれんだよな。そんでも、面倒くさくて。おらは年とってからいいかと思って」と笑った。

そしてまた間があって、1人のおばあさんが「もうすぐ5年になっけどよ、何にも変わんねえ。大変なことになっちまったよな。取り返しがつかねぇべ」と言って、ため息をついた。「ほんとになぁ」と、ほかの2人も一緒にため息をつき、しばらく沈黙が続いた。

震災・原発事故から4年9カ月が過ぎ、このごろは放射能のことを話しづらい、とよく聞く。けれど待合室での会話がここで暮らす人々の真意で、こころのどこかにみんな放射能のことがあり、「もうすぐ五年になっけどよ、何にも変わんねえ。大変なことになっちまったよな」と感じている。2015年もあと半月。来年3月には震災・原発事故から丸5年になる。(
日々の新聞 2015年12月15日

【沈黙の声に耳をすます】
白黒のツートンと「警察」の文字、銀色のドアの取っ手から、それがパトカーのドアであることが窺える。展示プレートには、(双葉郡)富岡町仏浜で見つかった「津波被災パトカー」とある。震災が起き、住民に避難を呼びかけるなかで、津波にのみ込まれた。車体の上部は押しつぶされ、屋根やドアははずれてばらばら、なかに多量 の土砂が流れ込んでいたという。向かいのガラスケースには、乗っていた警察官が「早く、避難してください」と何度も何度も叫んだマイク、交通 安全や振り込め詐欺防止の広報用カセットテープ、お守り、マーキングチョークなど車内の備品も並べられている。ケースの脇には、午後2時49分で止まっている富岡駅前の「ミチ美容室」の看板時計が置いてある。いわき市石炭・化石館のコミュニティーカフェで開かれている「浜通 りの震災遺産展」(12月20日まで)には、津波をテーマにした浜通りの資料が35点展示されている。

眺めながらひとまわりすると、あの日のことや、そのあとの海岸線の光景がまざまざと思い出される。けれど、耳をすまして沈黙の声をしっかり聞かないと、それぞれの資料が経験した出来事はわからない。富岡漁港近くの橋のそばで発見された、その双葉警察署のパトカーには2人の警察官が乗っていた。増子洋一さん(当時41)と佐藤雄太さん(当時24)さん。増子さんは1カ月後、陸地から30km離れた沖合で、遺体で見つかったが、佐藤さんはいまも行方がわからない。発見後、多くの人がパトカーを訪れ、手を合わせて花を供えた。ことしの春、放射線量 の測定や洗浄、さび防止などをしたあと、パトカーは双葉警察署わきの児童公園に移設・保管された。292000kmを超えた走行距離はもうそのままだが、震災の記憶を未来に伝えていく。パトカーのドアの反対側のガラスケースには、ミズアオイの花の標本が展示されている。

震災後、南相馬市では昭和30年代後半から農薬などの影響で見られなくなった、絶滅危惧種のミズアオイが咲いている。もともと繁殖力の強い植物で、姿が消えても生育していた場所の土を耕すなどすると再生することが知られている。南相馬市では津波被害に遭った際、土がかき回されて、ミズアオイが復活したと推測されている。小さな希望の花だ。(
日々の新聞 2015年12月15日
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