キョウ のざかあきゆき

Blog「みずき」:野坂昭如のこの末期の言葉は昨日の「今日の言葉」で引用した星野智幸さん(小説家)の現代日本社会の「言葉」への慨歎とも通底するもののように私には感じられます。「いま」の日本社会がいかに不毛の地と成り果てているか。辺見庸の慨嘆とも通底する「言葉」のようにも私には思えます。老いさらばえて、私たちはこうして「嘆き節」を遺したまま死んでゆくのか。あまりに悲しすぎる現実を眼のあたりにして私は言うべき言葉を持たない。
【野坂昭如の絶筆「俺の舟唄」第22回】
野坂昭如氏の「俺の舟唄」第22回は活字媒体に載る最後の文章となった。「言葉」をめぐる回想だ。(略)演劇も小説も言葉がいのち。それを失ってしまった現代の我々に、季節にふさわしい日本語の文章を贈り物として旅立った。「俺の舟歌」の最後四段落を、感謝をこめて以下に引く。「日本はあんなに豊かだった言葉遣いが、どんどん貧しくなっていく。美しかった言葉は今やまったくといっていいほどなくなってしまった。

今、この国の体裁は整ったように見えるかもしれないが、しかし言葉は失ってしまった。そうか戦後は「黙」なのだ。病後を言い訳に、天井だけを見て日々過ごしていると、ロクなことしか考えないし、ロクなことしか思い出さない。二十歳を過ぎた頃だったか、学校にも行かず、酒を飲むかバイトに行くか。その日は銀座7丁目千疋屋でりんご磨き。店先に真っ赤なりんごが並ぶ。ぼくは、ひとつ、ひとつ丁寧に磨いた。りんごはとても冷たく指が切れそうだ。指先が悴(かじか)んで落としそうになる。店には「枯葉」のメロディが流れていた。寒い日だった。」(
湘南のオアシスから 2015年12月18日

【山中人間話】

野坂昭如の文字通りの絶筆、俺の舟歌22(「週刊金曜日」所収)を読む。過去に思いが飛んでいた。失われたものへの郷愁。

Posted by 金平 茂紀 on 2015年12月19日
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